#50
聖都サン・マリアンヌで最も夜が長くなる日――『冬至祭』の夜が訪れた。
しんしんと降り積もる雪は、使われていなかった古い修道院跡地を白く染め上げ、まるでお城の天守閣のような静けさを醸し出している。
本日の私は、この一年間の戦い、すなわち薬草園の開墾と、薬師堂での数々の商いを支えてくれた者たちを労うため、盛大な『論功行賞』を兼ねた大茶会を催すことに決めていた。
「皆々様、本日は我が本陣へようこそおいでくださいました。過酷な冬の包囲戦を乗り切るため、今夜は存分に英気を養ってくださいね☆」
私が満面の笑みで迎えると、居間の大広間に集まったヨゼフ殿、エララ殿、クロエ教授、そしてクレアや孤児院の子供たちは、一斉に神妙な面持ちで頭を下げた。
「ああ、ガラシャ様……。このような温かなおもてなしをいただけるなんて、恐悦至極にございます」
「聖女様の淹れてくださるお茶をいただけるなんて、大聖堂の枢機卿さまでも滅多にない光栄だわ……」
昨日、防衛隊の詰所でのど飴を配った際、ラテン語の祈りと共に病魔を退けた私の振る舞いは、尾ひれがついて聖都中に「本物の聖女様が現れた」という噂になって広がっていた。
子供たちまでが、私をまるで教会の聖像でも見るかのような、きらきらとした畏敬の目で拝んでいる。
(……おや。皆様、随分と畏まっておいでですね。まあ、我が陣の軍律が完璧に浸透している証拠にございます。)
一人で納得してドヤ顔を浮かべる私の横で、銀の鎧を脱ぎ捨ててこたつの一角を陣取っていたアーサー殿だけが、死んだ魚のような目で遠くを見つめていた。
「おい、目を覚ませお前たち……。その娘は聖女なんかじゃない。一歩間違えれば、人を雪の中に素っ裸で放り出す悪魔だぞ……」
「まぁ、アーサー様。ガラシャちゃんにそんな失礼なことを言うなんて、昨夜の風邪の熱がまだ残っているのね」
クレアが呆れたようにみかんの皮を剥き、アーサー殿の口へ手際よく放り込んだ。
「魅惑の茶」の記憶が綺麗に消えているクレアは、いつも通りの頼もしい親友に戻っている。
「ヨゼフのお爺ちゃん! このお茶マジでヤバくないっすか!? ガラシャ様と私で錬成した神ブレンドっすよ☆ さあさあ、ぐいっといっちゃってください!」
その時、台所から追加の茶器を運んできたジジが、無自覚に完璧なギャル語と戦国語のハイブリッドを地で披露した。
おっかなびっくり「は、はい!」と言っていたはずの純真な彼女の口調は、完全に私の「きゃぴきゃぴ外交」の偽装を本物の呪文だと勘違いして吸収した結果、取り返しのつかない方向へと進化していた。
私は静かにお茶を啜り、そっと目を伏せた。
(……ああ。亡きお静よ、申し訳ありませぬ。そなたに瓜二つのこの純真な娘を、私は一体どんな暗黒の魔導へと育ててしまったのでしょうか……)
師匠としての深い苦悩を胸の奥に仕舞い込みつつも、こたつを囲んで皆が笑い合い、温かな冬の鍋を突ついている光景は、何物にも代えがたい豊かな日常であった。
* * *
宴もたけなわとなり、居間が子供たちの賑やかな笑い声で満たされた頃、私はふと一人で縁側へ出て、雪の降る庭へと足を踏み出した。
見上げる聖都の夜空には、凍てつくような冬の星々が瞬いている。
最も夜が長いこの冬至の闇を見つめていると、私の魂の奥底にある、前世の記憶がふわりと呼び覚まされた。
山崎の合戦に敗れ、散っていった父の不条理な最期。
味土野の冷たい山奥で、ただ耐え忍ぶしかなかった過酷な冬の日々。
そして、大坂の細川屋敷を取り囲む軍勢の鬨の声と、燃え盛る炎の中で散っていった人々の命。
(かつては、ただ祈ることしかできなかった……。運命に翻弄され、飾られる花として、誰かの戦の果てを待つことしかできなかった私ですが……)
私は胸元のロザリオの十字架を、壊れそうなほど強く握りしめた。
けれど、今は違う。
自分の手で土を耕し、自分の技術で薬を作り、この新しい城(家)と、大切な仲間たちを自らの意思で守り、養っている。その確かな歩みが、どうしようもなく愛おしく、誇らしかった。
「……主よ。貴方が与えてくださったこの温き縁に、心からの感謝を。そして、乱世に散ったすべての魂へ、静かなる安らぎを――」
私は目を閉じ、魂の底から、深く、純粋なラテン語の祈祷を捧げた。
「――Pater noster, qui es in caelis, sanctificetur nomen tuum. Adveniat regnum tuum. Fiat voluntas tua, sicut in caelo et in terra...(天にましますわれらが御親よ。御名の尊まれ給わんことを。御国の来たり給わんことを。御旨の天に行わるるごとく、地にも行わるることを。)」
それは、この世界に満ちるマナとは異なる、私の固有の異能――【恩寵】。
感謝と鎮魂の念が深まると同時に、私の体から、溢れんばかりの神聖な光の波動が周囲へと解き放たれていった。
* * *
「よし。これほどの恩寵があれば、子供たちが喜ぶような、白くて可愛らしい雪の城
が作れるやもしれませんね」
私は少し悪戯心が芽生え、庭に降り積もった純白の雪へ向けて、その光の力を優しく注ぎ込んだ。可愛いお城の雪像を作り、宴の余興として皆を驚かせるつもりであった。
しかし。
優しく雪を操るはずの手先が、私の意図とは裏腹に、武家の娘としての、そして軍師たちの戦術を見聞きしてきた本能によって、恐ろしい手際で無意識に動き始めてしまった。
サクサク、ドスン、バリバリバリ。
「……はて?」
我に返った時、私の目の前には、およそ雪遊びとは呼べない次元の『何か』がそびえ立っていた。
それは、庭の敷地を強引に拡張して築かれた、半月形の独立した出丸であった。
周囲には、敵の足止めを狙った三方に渡る深い空堀が完璧な勾配で掘り下げられ、雪で固められた頑強な土塁の上には、矢を放つための銃眼を備えた二層の櫓が神々しくそびえ立っている。
しかも、過剰に込められた恩寵の力のせいで、その要塞全体が、暗闇の中で「ピカーーーッ!!」と、聖都の天守閣をも凌駕するほどの神聖な輝きを放ち、夜空を真昼のように照らし出していた。
「な、なんだこの異常な発光はッ!? 敵襲か!?」
「ガラシャちゃん、また何か爆発させたの!?」
室内から、アーサー殿を先頭に、クレアやヨゼフお爺ちゃん、子供たちが血相を変えて庭へと飛び出してきた。
そして、彼らは光り輝く巨大な雪の建築物を見上げた瞬間、全員が言葉を失って化石のように固まった。
とりわけ、戦のプロフェッショナルである聖騎士長アーサー殿は、その雪の構造の細部を凝視した瞬間、全身を激しい戦慄に震わせた。
「な……なんだ、この完璧な防御構造は……!? 本城の弱点を補うために、あえて前方に突き出されたこの独立した出丸……! これなら、正面から数万の大軍が押し寄せてきても、側面の櫓からの挟撃で一歩も引かずに撃ち払うことができる! 物理的な死角がどこにもない……! おい、誰がこれを、こんな短時間で築いたんだ!?」
「ふふっ。私にございますよ、アーサー殿」
私は光り輝く出丸の頂点に立ち、小袖の袖を優雅に翻して、最高のドヤ顔で言い放った。
「子供たちのために丸くて可愛いお城を作ろうとしたのですが、気がつけば、我が脳内にある『理想の最強要塞』が具現化してしまいました☆ マジで鉄壁の要塞っすよ!」
私はこたつ板から持ってきたみかん(軍配)を掲げ、集まった仲間たちを見下ろした。
「私の節目にふさわしい、見事な築城にございます! 防衛隊の皆様も、孤児院の子供たちも、これからは全員、一生私のこの完璧な出丸でぬくぬくと養ってあげますからね!」
「養ってくれるのは嬉しいけど、これ、春になったら全部溶けちゃうよね……!?」
クレアの至極真っ当なツッコミが響き渡り、ヨゼフ殿は「お嬢ちゃん、もう聖女なのか魔王なのか分からないよ……」と胃を押さえて雪の上に膝をついた。
「ガラシャ様、マジ最強の拠点構築っす! リスペクトが止まらないっす!」
ジジが目を輝かせて拍手を送り、シロも「姫の築城術、実に見事でござる!」と誇らしげに遠吠えを上げた。
呆れ果てながらも、その圧倒的な美しさと、あまりのポンコツな規格外ぶりに、最後には全員がワハハと声を上げて笑い出した。
冷たい雪の夜。
けれど、光り輝く要塞に囲まれた修道院跡地には、世界で一番温かで、賑やかな笑顔があふれていた。
皆の屈託のない笑い声を聞きながら、私はそっと目を伏せ、胸元のロザリオに触れた。
かつて大坂の細川屋敷で、燃え盛る炎を前に最期を覚悟した夜。
私は、己の魂を納得させるように一つの句を詠んだ。
『散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ』
人は散り際こそが美しい。
死に時を悟ってこそ、己の生を全うできるのだと、そう固く信じて疑わなかった。
過酷な戦国の世において、自らの運命を選べぬ女に許された唯一の自由と誇りは、美しく散ることだけだったからだ。
けれど、今はどうだろう。
私は顔を上げ、雪の中に立つ完璧な出丸と、そこで無邪気にはしゃぐ仲間たちの姿を静かに見つめた。
霜焼けを作りながら笑うジジ、呆れながらも温かく見守るヨゼフ殿やクレア、不器用に子供の相手をするアーサー殿、そして誇り高く吼えるシロ。
この温かな陣に、命を散らすための理不尽な炎はない。
味土野の山奥でひたすらに耐え忍んだ、あの凍てつくような絶望の雪とも違う。
あるのはただ、明日を生きるための糧と、互いを慈しむ確かな絆だけである。
ふと、遠い日の記憶が蘇る。
琵琶湖のさざなみが静かに石垣を打つ、坂本城の美しい庭。
幼き日の私と、母・妻木煕子が共に土にまみれ、水色の桔梗の苗を植えたあの温かな陽だまり。
『玉。この土の冷たさも、陽の光も、すべてが命を育む力なのですよ』
母の優しい声が、三十七年の時を越えて、今になってようやく魂の底まで染み渡るように理解できた。
(……花は、散るためだけに咲くのではありませぬね)
自らの根で土を掴み、太陽の光を浴び、嵐に耐えながら力強く咲き誇る。
泥に塗れながらも命を繋ごうとするその営みそのものが、ひどく美しく、尊いのだと、私はこの異世界の地で知ることができた。
「……ええ。私はここで、生きていきます」
誰かのために飾られる、散り際を待つだけの花としてではなく。
己の足で大地を踏みしめ、自分の手で土を耕し、仲間と共に泣き、笑い、明日への命を育む、一人の人間として。
凍てつくような冬空から、雪が静かに、恩寵のように舞い降りてくる。
その純白の向こうに、やがて来る春に咲き誇るであろう、青く凛とした桔梗の花の姿を思い描きながら。
私は袖口で口元を覆い、この新しき人生に、これまでで一番の柔らかな微笑みをこぼした。
私の静かで、時に騒がしく、どうしようもなく愛おしいこの新しい城での日々は、これからも続いていくのだから。
ご愛読いただきありがとうございました。
ガラシャの異世界の生活模様は一旦ここで、見納めとさせて頂きます。
きっと、今頃も聖都で楽しく、時には騒がしく過ごしている事でしょう。
もしかすれば……また、皆様にその様子をご覧になっていただく時が来るかもしれません。




