#48
窓の外に広がる銀世界は、昨夜の狂乱を嘘のように静まり返らせ、清廉な朝の光を反射していた。
しかし、我が修道院跡地の居間には、昨夜の「戦」の傷跡が色濃く残っている。
具体的に申せば、玄関の雪の上には、上裸でダイブしたアーサー殿の「人型」が無数に刻まれており、聖騎士としての矜持を粉々に砕いた彼は、夜明けと共に一言も発さず、風のような速さで聖都の詰所へと撤退(逃走)していった。
「……うう、頭が痛い。喉もなんだか変だし……。ガラシャちゃん、私、昨日の夜、何か変なことしなかったかな……?」
こたつに突っ伏し、昨夜の「魅惑の茶」の影響で顔を真っ赤にしていたクレアが、おぼつかない手つきでこめかみを押さえている。
私は、昨夜の自らの調合ミス(あるいはジジの瓶の取り違え)を深く、深く反省していた。
「……案じられませぬ、クレア。昨夜のことは、いわば『冬将軍』が見せた夢にございます」
私は優雅にお茶を啜り、目を伏せた。
「でも、なんだか凄く……ガラシャちゃんに抱きついたような気がするんだけど……。あと、アーサー様が脱いでたのも、夢じゃないよね?」
「……アーサー殿の雪中行軍については、厳格な守秘義務が課されております。ですが、クレア。貴女の『夜襲』については……いささか語らねばならぬやもしれません」
「……えっ? 夜襲?」
クレアが青ざめた。私は少しだけいたずら心を募らせ、扇で口元を隠した。
「ええ。貴女は昨夜、我が寝所……ではなく、このこたつにおいて、私に激しい『夜這い』を仕掛けてこられたのです。我が幼き柔肌を、その、情熱的な指先で執拗に攻め立て……」
「よ、よばい……!? 私が!? ガラシャちゃんに!?」
「左様。まるで電撃戦にございました。私は身を固くし、主の加護を祈るばかりで……。ああ、私の純潔が、あわや不義密通の波に呑まれるかと……」
私が大袈裟に目を潤ませて袖で顔を隠すと、クレアは「嘘でしょぉぉ!?」と絶叫し、再び机に沈み込んだ。
「嘘だと言って! 私、そんな破廉恥な子じゃないはずなのに!!」
その様子をこたつの端で見ていたジジが、感心したように羊皮紙にペンを走らせた。
「流石ガラシャ様……。昨夜の攻勢を逆手に取って、親友の精神を完全に掌握するなんて。ああいう駆け引きをさらっとこなすあたり、マジで百戦錬磨の指揮官様みたい……」
「姫、なかなか意地悪くなりましたでござるな。昨夜は姫もまんざらでもない顔をしておったように見えましたが」
シロが呆れたように鼻を鳴らしたが、私は聞こえない振りをした。
* * *
さて、いつまでもからかっていては主君の品格に関わる。
私は、昨夜の「劇薬」の影響で荒れた皆の喉と体力を労るため、安全かつ平和な『兵糧』の錬成を提案した。
「クレア、ジジ。昨夜のことはひとまず休戦です。此度は、恩寵の出力を極限まで抑えた、副作用ゼロの『特製・喉飴』を作りましょう」
私は、昨日の反省を活かし、材料を厳選した。
森で採れた野蜜、喉の炎症を抑える「雪解け草」、そして微かな爽快感をもたらす「風のハーブ」。今度は変な「情熱の葉」が混ざらぬよう、私が自ら三度の検分(毒見)を行った。
「いいですか、ジジ。此度の調合の要は『普通』であることです。光らず、脱がせず、誘惑しない。ただ、喉を優しく守る。それこそが、今の我が軍に求められる真の兵站にございます」
「は、はい! がんばります!!」
ジジが魔法で鍋を温め、私は丁寧に野蜜を煮詰めていった。
甘い香りが部屋に満ち、煮詰まった蜜を小さな型に流し込んでいく。
仕上げに、ほんの、本当にほんの少しだけ……。
(……皆の昨夜の羞恥心が、少しでも和らぎますように)
私は心の中で優しく祈りを込めた。
* * *
出来上がったのは、琥珀色に輝く、宝石のような小さな飴であった。
「……できた。これは……普通に、美味しそう」
クレアが恐る恐る一つ、口に運んだ。
「……ん! 甘くて、喉がスーッとする。それに……なんだか、すごくホッとする味。昨日の変なドキドキが、消えていくみたい……」
「マジで癒やしです! これ、街で売ったら風邪の時期にバカ売れ(爆売れ)間違いなしですよ、ガラシャ様!」
ジジも頬張って喜んでいる。
段々とジジの言葉の様子が可笑しくなっている気がする。
私のように「意図的」に変えることなく、その若者言葉が地として身についてしまってきているのだろうか。はてはてどうしたものか。
私はようやく、安堵の息を吐いた。
昨夜の狂乱は、私の未熟さゆえ。
けれど、こうして仲間たちと笑いながら飴を転がしている時間は、何にも代えがたい「静かな暮らし」の一部なのだ。
「ガラシャちゃん……本当にごめんね。昨日のこと、よく覚えてないけど……私、そんなに凄かった?」
クレアが上目遣いで、まだ少し赤い顔をして尋ねてきた。
私は飴を一つ口に入れ、その甘やかさを楽しみながら、もう一度だけいたずらっぽく微笑んだ。
「そうですね。……貴女のその『攻城戦』の手際、きっと聖都の婦人たちも驚くほどにございましたよ。また今夜も、いかがですか?」
「もう嫌ぁぁ!! しない! 絶対にお茶飲まないから!!」
クレアが真っ赤になってジタバタと暴れるのを見ながら、私はコロコロと声を上げて笑った。本当は何事起きずにクレアは気持ちよさげに寝ていただけなのに。
ついついからかいたくなってしまった。
「ふふっ。マジ尊い光景にございますね、シロ」
「……姫君。若者言葉の使い方が、いよいよ洗練されてまいりましたな」
雪に閉ざされた修道院跡地。
昨夜の熱は琥珀色の飴に姿を変え、少しの羞恥と、多大なる笑い声と共に、冬の空気の中に溶けていった。
私たちは、次こそはアーサー殿にこの「安全なのど飴」を届け、彼の砕け散った尊厳を再建せねばならないと、固く誓い合った。




