#45
聖都サン・マリアンヌに、ついに「白き軍勢」が押し寄せてきた。
朝、目覚めて窓を開ければ、庭の薬草園は一面の銀世界。
吐く息は白く、空気は刃のように鋭く肌を刺す。
「……来ましたね。冬将軍による、包囲網の完成にございます」
私は小袖の上に厚手の羽織を重ね、ロザリオを握りしめて呟いた。
戦国において、冬は最も過酷な敵であった。
補給線は雪に閉ざされ、寒さは兵たちの指先を奪い、士気を地の底まで叩き落とす。この修道院跡地における「冬の籠城戦」を勝ち抜くためには、抜本的な軍備拡張が必要であった。
「ガラシャ様ぁ、寒いですぅ! お水が凍っちゃって、すり足訓練がマジ無理ゲーっす!」
ジジが霜焼けで赤くなった鼻を啜りながら、ガタガタと震えて駆け込んできた。
「案ずるな、ジジ。この時のために、私は密かに『新兵器』の開発を進めておりました」
私はヨゼフ殿から譲り受けた古い低い机を居間の中央に据え、その上にクレアの店で余っていた厚手の羊毛布を幾重にも被せた。
そして、机の下の空間には、私が恩寵(祈り)を限界まで込めて熱を持たせた『魔導熱石』を設置したのである。
「ガラシャ様、これは……?」
「日ノ本の叡智を、異世界の理で再現した防衛拠点……名を『KOTATSU』と申します」
私は厳かな面持ちで扇を開いた。
「いいですか、ジジ。この中には『常夏の陣』が敷かれております。しかし、これは諸刃の剣。一度足を踏み入れれば、二度と現世へ戻れなくなるという、戦意喪失を誘う魔の罠でもあるのです。決して心を許してはなりませぬよ」
「は、はいっ! 私、負けません!」
* * *
十分後。
「……ぬくぬく。……ヤバいです。これは、マジで、ヤバいっす……」
私はこたつの中に下半身を完全に埋没させ、羽織を頭まで被って、亀のように首だけを外に出していた。
こたつの中からは、恩寵の熱石が放つ、春の陽だまりのような柔らかな温もりが溢れ出している。足先に触れる布の感触、逃げ場のない温かさ。
さきほどまでの「冬将軍に抗う」という決死の覚悟は、すでに霧散していた。
「ガラシャ様ぁ……私も、もう、歩けません……溶けちゃいますぅ……」
私の向かい側では、ジジが「ふにゃあ」とした締まりのない顔で、机に突っ伏してとろけていた。彼女の「マジリスペクトな修行」への意欲は、この魔の兵器によって完全に無効化されていた。
「クゥ〜ン……」
さらに、シロが巨大な白い毛玉となって、こたつの端から強引に中に潜り込んできた。元・魔狼としての野生の誇りなど、どこへ捨ててきたのか。彼は今や、ただの「大きな湯たんぽ」と化し、私の足元で幸せそうに鼻提灯を膨らませていた。
これこそが『KOTATSU』の真の恐怖。
個人の武勇も、家臣の忠誠も、すべてを等しく「無」へと帰す、恐るべき精神攻撃にございます。
* * *
「おい、ガラシャ! 雪が酷くなってきたから、薪を届けに来たぞ……って、なんだこれ?」
門を叩く音と共に、銀鎧を鳴らしてアーサー殿が入ってきた。彼は極寒の中での見回りを終えたばかりらしく、全身から冷気を放っている。
「……ああ、アーサー殿。……ご苦労様です。……そこにある『魔の沼』へ、どうぞ……」
私はこたつから一歩も動かず、目線だけで彼を誘った。
「沼? 何を言っている。……ん、なんだかこの布の周りだけ温かいな。……ちょっと失礼して」
アーサー殿が、不審げにこたつの端に腰を下ろし、冷え切った足を中へ差し入れた。
その瞬間。彼の鋭い眼光が、一瞬にしてとろりと弛緩した。
「……っ!? ……なんだ、これは。足先から、魂が吸い出されるような感覚が……。いかん、俺は聖騎士として、街の治安を守る義務が……義務、が……」
「……無駄です、アーサー殿。その陣に足を入れれば、貴方はもはや騎士ではなく、ただの『ぬくもりを求める迷い子』にございます」
「……ああ。そうだな。……治安など、女神様が守ってくださるさ。……それより、このお茶を。……お茶をもう一杯……」
数分後、そこには鎧を脱ぎ捨て、私やジジと並んで「ふにゃあ」と溶けている聖騎士長の姿があった。
「おっはよー! ガラシャちゃん! 焼きたてのパン……えっ、何この平和な地獄!?」
籠を抱えたクレアがやってきたが、彼女もまた、こたつから漂う魅惑の香りと、シロのモフモフした誘惑に抗えるはずもなかった。
「……クレア。……パンを、こたつ板の上に。……そして、貴女もここに座るのです。……これは、命令です」
「わ、わかったよ……。えいっ」
カポッ。
クレアもまた、こたつの住人となった。
* * *
作業場の居間には、五人と一匹がこたつを囲み、円陣を組んでいた。
本来ならば、冬の備えを話し合う軍議の場となるはずであったが、今や聞こえてくるのは「むにゃむにゃ」という寝息と、蜜柑を剥く小さな音だけ。
(……さても。冬将軍の攻勢は凄まじいですが、我が『KOTATSUの陣』の防御力は、大阪城をも凌駕いたしますね……)
私は、皮を剥いた蜜柑を一口食べながら、半分夢うつつで呟いた。
「ガラシャ様ぁ……もう、一生ここでいい気がしてきました……マジ天国っす……」
「……ああ。……私も、今日からここを本拠地と定める。……誰か、私の代わりに剣を振るっておいてくれ……」
アーサー殿のうわ言を聞きながら、私は深く、深く、こたつの奥底へと身を沈めた。
前世において、冬とは常に飢えと死の恐怖と隣り合わせであった。
けれど、今は。
気心の知れた仲間たちと、温かな魔導具を囲み、ただの十五歳の少女として、だらだらと溶けることができる。
これが、私の求めていた「静かな暮らし」の究極の形……やもしれませぬ。
(……主よ。私は今、完全に誘惑に敗北しております。……けれど、この温もりもまた、御心によるものと信じたいのです……)
私は勝手な解釈で神への言い訳を済ませると、シロの腹を枕にして、心地よい微睡の中へと沈んでいった。
冬の聖都に吹き荒れる寒風を余所に、修道院跡地の小さな一室だけは、戦国一の姫君をも無力化する「魔の兵器」によって、この世で最も甘美で自堕落な、平和の絶頂に包まれているのであった。




