#44
修道院跡地の生垣に霜が降り、吐く息が白く染まり始めたある日の朝。
私は作業場の棚を検分し、一つ、深く溜息を吐いた。
「……致し方ありませぬね。冬の籠城戦(冬ごもり)を前に、肝心の『月光草の乾燥粉末』と『蜂蜜』が底を突きかけております」
薬師堂の経営が軌道に乗り、客が増えたのは喜ばしいことだが、その分、材料の消費も凄まじい。
本来ならば私が行くべきところだが、あいにく本日は大聖堂へ届ける特効薬の調合を終わらせねばならなかった。
私は、朝の素振りを終えて庭で休憩していたジジを呼び寄せた。
「ジジ。そなたに、極めて重要な任務を命じます」
「はいっ! ガラシャ様、何でしょうか!?」
ジジが背筋を伸ばし、期待と不安の入り混じった瞳を向けてくる。
「これより市場へ向かい、不足した物資を調達してくるのです。……ジジ、これはそなたにとっての『初陣』にございますよ」
「ういじん……!? つまり、私の、初めての戦い……っ!」
ジジの顔が緊張でこわばった。私は彼女の肩に手を置き、静かな、けれど力強い声で続けた。
「商いとは戦。市場は敵味方が入り乱れる野戦場です。そなたにこの『調達目録(買い物リスト)』と、軍資金……いえ、お財布を託します。……そして、もし万が一、敵に囲まれ退路を断たれるような事態に陥ったら、これを使いなさい」
私は懐から、布で包んだ小さな丸い塊を三つ、ジジの手のひらに乗せた。
「それは……?」
「自家製の煙玉にございます。地面に叩きつければ煙が立ち、その隙に撤退(帰還)することが可能です」
「お買い物に煙玉が必要なんですか……!? 聖都の市場って、そんなにバイオレンスな場所だったんですか……!?」
ジジは真っ青な顔をしながらも、「頑張ります!」と拳を握り、悲壮な決意を胸に門を出ていった。
* * *
「……シロ。出陣です」
「ハッ! 姫君、隠密行動(尾行)でござるな」
ジジの姿が見えなくなった数秒後、私はお面を装着し、シロと共に裏門から飛び出した。
大切な初めての弟子を、一人で戦場へ放り出す主君がどこにおりましょうか。これは過保護ではなく、あくまで『戦況の監視』と『後方支援』にございます。
私は屋根伝いに、シロは路地の影を縫うようにして、ジジの尾行を開始した。
市場に辿り着いたジジは、あまりの熱気と人混みに「ひゃぅっ」と気圧されていたが、懐の目録を握りしめ、意を決して薬草商人の屋台へと足を進めた。
(さあ、ここからが正念場です。いかなる交渉(調略)を見せるか……)
私は屋台のすぐ近くにある建物の二階、洗濯物の影に身を潜め、息を殺して見守った。
「あの……おじさん。この月光草、五束ください!」
ジジが勇気を振り絞って声をかける。
「おう、いらっしゃい。月光草だな。最近は冬前で品薄なんだ。五束で銀貨三枚だね」
(……高い。相場よりも二割は乗せておりますね。さあ、ジジ、反撃するのです)
ジジは一度、深く深呼吸をした。そして、私の教えを必死に思い出しているのか、ブツブツと独り言を漏らした後――突如として、その表情をキリリと引き締めた。
「おじさん。……この月光草、マジで尊い(品質が良い)っすね!」
商人が「は、はぁ?」と面を食らったような声を上げる。
「色艶も最高で、陣中(薬師堂)に持ち帰ればマジ神コスメになること間違いなしです! ……でもぉ、今期の我が軍の兵站予算がマジで厳しいんすよぉ☆」
私は屋根の上で、思わず「……あ」と声を漏らしそうになった。
(いけません。あの子、私がお客様相手に使っていた『きゃぴきゃぴ外交(若者言葉)』と、日々の訓練で叩き込んでいる『戦国用語』を、脳内でごちゃ混ぜに練り上げてしまっております……!)
「お嬢ちゃん、何を言ってるんだ……?」
「おじさん! そこをなんとか、お安く陣を敷いてもらえませんか!? このお値段では我が軍の士気が下がり、冬の籠城戦を乗り切れません! 予算の範囲内で調略(値切り)を受けてくださったら、私、来週もおじさんのところでマジリスペクトな買い付けを約束します☆」
ジジは真顔でピースサインを作りつつ、語気は武士の如く鋭い。
そのあまりに異様な……けれど必死な迫力に、商人は気圧されたように頬を掻いた。
「よ、よく分からんが、その『まじりすぺくと』な約束をしてくれるんなら……わかったよ。銀貨二枚半でいい。その代わり、来週も必ず来いよ?」
「……! 調略、成功です! おじさん、マジ感謝っす! いざ、撤退!」
ジジは素早く代金を支払い、商品を抱えると、勝利の凱旋と言わんばかりの足取りでその場を去っていった。
(……不覚。まさか、あのような『混合言語』で調略を成功させるとは。……誇らしいですね)
私は屋根の上で、己の教育の成果に(若干の困惑を覚えつつも)深く感じ入ったのであった。
* * *
その後も、ジジの『初陣』は続いた。
蜂蜜の屋台では「この蜜、マジで黄金の兵糧っすね! 隠し味にすれば敵の胃袋を完全に掌握できますよ☆」と商人を褒め殺しにし。
冬用の炭を売る店では「この炭の陣立て、マジヤバくないっすか!? 殿(ガラシャ様)の暖房戦略に欠かせない逸品です!」と熱弁を振るい。
結果として、彼女は目録にあるすべての物資を、予算内に(しかも商人たちと妙な友情を築きながら)調達してのけたのである。
帰り道、ジジが少し暗い裏路地を通った際、ガラの悪い酔っ払いたちが彼女に絡もうとする気配があった。
私はスッと懐のドングリを構えたが、それよりも早く、ジジが「出たわね伏兵!」と叫んで、私が渡した煙玉の一つを地面に叩きつけた。
ボフゥンッ!!
「ゲホッ、なんだこの煙は!?」
「今です! 転進ーーー!!」
ジジは煙幕の中を猛スピードで駆け抜け、呆然とする酔っ払いたちを置いて、一直線に修道院跡地へと走り去っていった。
* * *
「ガラシャ様! ただいま戻りました! 兵站任務、無事に完了です!」
門に辿り着いたジジは、煤だらけになりながらも、その顔はこれまでにない達成感に輝いていた。
私は「シュタッ」と(ジジが見ていない隙に)屋根から降りて作業場に戻り、何事もなかったかのように彼女を迎えた。
「お帰りなさい、ジジ。……見事な初陣にございましたね。その煤は、戦(煙玉)の誉れにございますよ」
「はいっ! ガラシャ様にいただいた煙玉、マジで神アイテムでした! 商人さんたちとも、良い同盟(お友達)になれました!」
ジジが興奮気味に語る戦果を聞きながら、私は優雅に紅茶を淹れた。
「さあ、まずは勝利の祝杯にしましょう。そなたの調略術……いささか独特ではありましたが、相手の懐に飛び込むという一点において、見事な采配でした」
「えへへ、ガラシャ様のマジリスペクトな教えのおかげです!」
私は微笑みながら、少しだけ遠い目をした。
私の教えが、この異世界でどのような進化(迷走)を遂げるのか、いささか不安は残る。
けれど、泥にまみれ、一生懸命に言葉を紡いで道を切り拓く彼女の姿は、かつての戦国の世に生きた人々の逞しさそのものであった。
「シロ、次は私の教育方針を少しばかり再編せねばなりませぬね」
「ハッ。しかし、あのジジ殿の勢い、拙者は嫌いではござらぬぞ」
冬の気配が濃くなる夕暮れ時。
初陣を終えた小さな家臣の笑い声が、修道院跡地の温かな灯りの中に溶けていく。
私は、誇らしい弟子と共に、次なる強敵――『冬将軍の到来』へ向けて、さらなる陣立てを練り始めるのであった。




