#43
修道院跡地の庭の木々が、すっかり秋の葉を落とし、冬の冷たい風が頬を撫でる朝。
我が陣――《《改修された》》「グラティア薬師堂」の門前に、新しい手書きの看板が掲げられた。
「ガラシャ様! お店の前の掃き掃除、終わりました!」
大きめのエプロンを身につけ、ほうきを持ったジジが元気よく駆け寄ってくる。
その途中で石につまずき、「ひゃうっ」と派手に転びそうになったが、間一髪でシロが背中で受け止めた。
「相変わらず、足元が手薄ですね、ジジ」
私は優雅に扇を開き、口元を隠してクスクスと笑った。
「しかし、良き気合いです。今日からそなたにも、この薬師堂の店頭に立ってもらいます。昨日そなたが自らの手で錬成したあの薬を、実際に民に届ける『実地訓練』にございますよ」
「はいっ! 私、精一杯『いらっしゃいませ』を頑張ります!」
意気込むジジに対し、私はスッと目を細め、静かな凄みを持たせた声で告げた。
「心構えが甘いです、ジジ。商いとは、ただ品と硬貨を交換するだけの遊戯にあらず。店を訪れる客からいかに有益な情報を引き出し、相手の心を掌握するか……すなわち、高度な『情報戦』であり『調略』の場なのです」
「ちょ、ちょうりゃく……?」
「ええ。気を引き締めなさい。……来ましたよ、本日の第一陣(お客様)です」
* * *
カラン、と素朴な鐘の音が鳴り、恰幅の良い男性の冒険者が足を引きずりながら入ってきた。
「邪魔するぜ……。森の討伐で足を挫いちまってな、塗り薬はあるかい?」
「い、いらっしゃいませっ!」
ジジが緊張で声を上ずらせて頭を下げる。
私はその冒険者の歩き方、土のついた鎧の擦れ具合を瞬時に検分し、静かに歩み寄った。
「ようこそ我が陣へ。……右の足首ですね。足の運びと鎧の泥の跳ね方から推察するに、森の斜面で地を這う魔物の奇襲を受けましたね? 斥候の索敵が甘く、前衛の陣形が崩れた証拠にございます」
「えっ!? な、なんで分かったんだ嬢ちゃん!? まさにゴブリンの穴に足を踏み外したんだが……」
冒険者が目を丸くして後ずさる。
「兵の練度不足は命取りになりますよ。……ジジ、例の薬を」
「は、はいっ!」
ジジが慌てて、昨日二人で作ったエメラルドグリーンの軟膏が入った小瓶を差し出す。
「これは昨日、我が有能なる家臣が、温度管理の魔法を駆使して練り上げた特製の軟膏です。恩寵の奇跡こそありませぬが、薬草の理を極限まで引き出しておりますゆえ、数日で痛みは完全に引きましょう」
冒険者はその場で軟膏を足首に塗り、「おおっ、スッと痛みが引いていく……! こりゃいい薬だ、ありがとうよ!」と銀貨を置いてホクホク顔で帰っていった。
「すごい……! ガラシャ様、歩き方を見ただけで怪我の理由まで当てるなんて!」
「敵情視察の基本です。……しかし、真の戦いはこれからにございますよ」
私が不敵な笑みを浮かべた直後、店の外から「あ、開いてる!」「今日こそ買えるかしら!」という、甲高い女性たちの声が押し寄せてきた。
* * *
どやどやと店に入ってきたのは、街の若い娘たちや、非番の女騎士たちの集団であった。
「すいません! 大聖堂のエララさんから聞いた『光る泥パック』と『化粧水』、まだありますか!?」
先日、私が街で無料配布(調略)を行った試供品の効果が、あっという間に口コミで広がり、彼女たちは美肌を求めて我が陣へと押し寄せてきたのである。
「えっ、あ、ええと、お薬ならこちらに……!」
ジジが戸惑いながら案内しようとするが、私はそれをスッと手で制し、前に出た。
(さあ、ここからは民心掌握の刻合い。対象の年代と欲求に合わせ、言葉の鎧を着替えるのです)
私は深く息を吸い込み、クレアから学んだ若者言葉のスイッチを全開にした。
「おっはよーございまーす☆ 皆様、本日はご来店マジ感謝っす!」
「ガ、ガラシャ様……!?」
私が両手で可愛らしくピースサインを作ると、後ろでジジが「ひゃうっ」と短い悲鳴を上げた。
「エララさんから聞いてくれたんすね! 超絶嬉しいです! こちらの化粧水と泥パック、マジで神コスメにございますから! 特にそこのお姉さん、最近徹夜の任務続きじゃないですか? お肌のバリアが崩れかけてますよ!」
「えっ、わかる!? 最近夜の見回りが多くて、お肌がカサカサで……」
女騎士が食い気味に身を乗り出してくる。
「ですよねー! 激務、マジでお疲れ様です! そんなお姉さんには、この『ないとくりーむ』がお勧めっす! 寝る前に塗るだけで、翌朝のお肌がぷるんぷるんの『もっちもち』に修繕されますよ! 騙されたと思って、一度陣を敷いてみてください☆」
「か、買うわ! 三つちょうだい!」
「私も! 泥パックの方、二つ!」
「了解っす! 毎度ありー☆ 綺麗な花になって、世の殿方をガンガン魅了しちゃってくださいね!」
私は満面の笑みと完璧なテンポで、並べられていた美容品を次々と売り捌いていった。
その後ろで、ジジは震える手で羽根ペンを握りしめ、必死に羊皮紙にメモを取っていた。
「まじで、かみこすめに、ございます……お肌のじょうへきが、もっちもち……っ!」
「ジジ? 何をしているのですか?」
「はっ! ガラシャ様! 今の恐るべき言霊(魔術詠唱)を書き留めておりました! あの呪文を唱えると、女の人たちが魔法にかかったようにお金を……!」
「呪文ではありませぬ。これは『接客』という名の共感と調略です」
私は扇で口元を隠し、内心の気恥ずかしさを必死に誤魔化しながら、コホンと咳払いをした。
「言葉とは武器。相手の心を開くための、最も鋭い剣なのです。そなたも少しずつ、この街の言葉遣いを……いえ、そなたは今のままで十分ですね」
天然で素直なジジがギャル語を使い始めたら、色々と大惨事になりそうなので、私は教育方針をこっそり修正した。
* * *
夕暮れ時。
棚に並べていた薬と美容品は、見事に完売(陣払い)となった。
「ふう……。本日の戦も、我が軍の大勝利に終わりましたね」
私は売上金が入った革袋の重みを確かめ、満足げに頷いた。
「ガラシャ様、すごいです! 私の作ったお薬、本当に色んな人が喜んで買ってくれて……なんだか、胸の奥がぽかぽかします」
エプロンを外したジジが、嬉しそうに目を細めて笑う。
その真っ直ぐで嘘のない笑顔は、やはり前世で私を支え続けてくれたあの侍女の面影そのものであった。
「……ええ。そなたの魔法と努力が、確実に誰かの命を繋ぎ、痛みを和らげたのです。胸を張りなさい、ジジ」
私が優しく彼女の頭を撫でてやると、ジジは照れくさそうに「えへへ」と笑い、私の小袖の袖口をきゅっと軽く握った。
(……ああ。マジ尊いっすね)
私は心の中でこっそりとスラングを呟き、ジジにしかと伝わるように、柔らかな微笑みを向けた。
「さあ、本日の論功行賞にいたしましょう。私が美味しい紅茶を淹れますから、奥の部屋へいらっしゃい」
「わぁっ、ガラシャ様のお紅茶、大好きです!」
「……やれやれ。あの物騒なお姫様が、すっかり立派な『お師匠様』の顔になりおって」
遠くから様子を見に来ていたヨゼフ殿が、ホッとしたような、呆れたような溜息を吐きながら大聖堂の方へと帰っていくのが見えた。
冬の足音が近づく修道院跡地。
しかし、グラティア薬師堂の中は、新たな家臣との温かな絆と、湯気を立てる紅茶の香りに包まれ、これまでにない穏やかで賑やかな陽だまりの時を刻んでいた。




