#42
「……ガラシャ様 庭のすり足訓練と、鍬の素振り百回、終わりました!」
息を切らし、泥だらけになったジジが作業場へと飛び込んできた。
その額には玉の汗が浮かび、柔らかな栗色の髪が少し乱れている。
「大儀でした、ジジ。足腰の鍛錬は兵の基本。その疲れ切った体にこそ、次に教える『理』が深く染み込むというものです」
私は手ぬぐいを渡し、優雅に微笑んだ。
「いよいよ、調合への突入ですね! 私、ガラシャ様みたいに、お祈りでお薬をピカーッと光らせてみたいです!」
目を輝かせるジジに対し、私はゆっくりと首を横に振った。
「いいえ、ジジ。そなたには私の『祈り(恩寵)』は教えませぬ。……というか、教えられません」
「えっ?」
「私の力は、神仏より賜った固有のもの。戦に例えるなら、一騎当千の豪傑のようなものです。しかし、個人の武勇に依存した陣容は極めて脆い。真に天下を救うのは、誰が作っても安定した効果を発揮する『確固たる兵站(補給線)』……すなわち、理にかなった製薬の技術なのです」
「へ、へいたん……?」
「要するに、恩寵という『チート』に頼らずとも効く、ガチの薬作りを伝授するということです」
「ちーと??? あの。何を言ってるかさっぱりだけど、ようするに私には使えないってことですね?」
「あ……!! そ、そう。そういうことです」
私はヨゼフ殿やクロエ教授から学んだ、この世界の薬草学の書物と、前世から記憶している漢方の知識をまとめた手記を机に広げた。
「さあ、まずはこの『月光草の葉』と『清流の根』を乳鉢ですり潰しなさい。繊維を断ち切り、表面積を増やすことで、有効成分の抽出効率を極限まで高めるのです」
「は、はいっ!」
ゴリゴリ、トントン。
ジジは不器用ながらも、一生懸命に乳棒を動かした。
前世で私の世話を焼いてくれた時も、こうしてよく私の横で薬研を回してくれていたものだ。
その重なる面影に、私は思わず目を細めつつ、指導に熱を入れた。
* * *
「よし。粉末状になった薬草を、こちらの銅鍋に移しなさい。ここからが最重要の陣立て(工程)にございます」
私は井戸水を張った鍋を指差した。
「清流の根の有効成分は、熱に極めて弱い。沸騰した湯を注げば、成分は瞬時に死滅し、ただの苦い泥水と化します。抽出に最適な温度は『人肌よりわずかに温かい程度』を保ち続けること」
「えっ……でも、かまどの火で、ずっとその温度を保つなんて……少しでも目を離したら、すぐ熱くなっちゃいますよ?」
ジジが不安そうに鍋とかまどを見比べる。
火の加減だけで長時間の低温抽出を維持するのは、熟練の薬師でも至難の業だ。
そこで私は、扇でジジの胸元をスッと指し示した。
「そこで、そなたの『力』の出番にございます。ジジ、そなたは少しばかり、この世界の『生活魔法』が使えると言っていましたね?」
「あ、はい。ほんの少し、お水を温めたり、風を起こしたりするくらいの、小さな魔法ですけど……」
「それで十分です」
私は力強く頷いた。
「火の強さに頼るのではなく、そなたの魔法で鍋の中の水温を直接感知し、常に人肌の温度を保つよう魔力で制御しなさい。そして微かな水流の魔法で、鍋の底が焦げ付かぬよう、絶え間なく撹拌するのです」
「お、温度を保ちながら、お水を回す……!? そ、そんな器用なこと……」
「できます。そなたは私の見込んだ家臣(弟子)なのですから」
私の強い言葉に、ジジはゴクリと息を呑み、鍋に両手をかざした。
「……や、やってみます!」
ジジの手に微かな魔力の光が灯る。
鍋の中の水が、ふわりと温かさを帯び、自発的にゆっくりと渦を巻き始めた。薬草の成分が、じわじわと水に溶け出し、澄んだ緑色へと変わっていく。
「素晴らしい陣形です! そのまま温度を維持しなさい!」
「は、はいっ! ああっ、でも、少し魔力が強すぎ……っ!」
ジジが焦った瞬間、鍋の中の温度が急上昇し、ボコボコと泡を立てて吹きこぼれそうになった。
「いけません! これは正に敵の火計(加熱)です! 本陣(成分)が壊滅しますよ、魔力を抑えて陣を死守しなさい!」
「ひえええっ! 急によく分からない例え……! 鎮まれ、私のお水ーっ!」
ジジが涙目で魔力を調整すると、鍋の湯はシュウゥゥと音を立てて、再び穏やかな渦へと戻っていった。
「……ふう。危ないところでしたね。しかし、見事な防衛戦でした」
「ガ、ガラシャ様……お薬作りって、こんなに激しいんですか……?」
ジジが肩で息をしながら、へなへなと座り込む。
その様子を縁側から見ていたヨゼフ殿が、「君の教え方がいちいち物騒なだけだよ……」と深い溜息を吐いていた。
* * *
それから数十分後。
さらし布で丁寧に不純物(灰汁)を濾し取った液体は、恩寵の光などなくとも、透き通るような美しいエメラルドグリーンに輝いていた。
「……完成にございます」
私が小瓶に薬を移し替えると、ジジは目を丸くしてそれを見つめた。
「すごい……! ガラシャ様のお祈りがなくても、こんなに綺麗なお薬ができたんですね!」
「ええ。これぞ、理と知識、そしてそなたの魔法が融合した『ガチの特効薬』にございます」
私はその小瓶を、ジジの手にそっと握らせた。
「この薬は、光りもしなければ、奇跡のように一瞬で傷を塞ぐこともありませぬ。しかし、確実に人の身体に寄り添い、熱を下げ、命を繋ぐ力を持っています。……そなたの魔法の制御も、見事でした」
「ガラシャ様……!」
ジジの大きな瞳に、じわりと涙が浮かぶ。
前世において、私のために奔走してくれた忠実な侍女。
その魂の面影を持つ少女が、今度は私の『弟子』として、共に命を救うための技術を身につけてくれた。
その事実が、たまらなく愛おしく、誇らしかった。
私はジジの栗色の髪を優しく撫で、満面の笑みで告げた。
「ジジ、そなたの働き、マジリスペクトにございます」
「……まじ、りすぺくと?」
「この世界の言葉で『最上級の賛美と感謝』を意味する言葉です。クレアに教わりました」
私がドヤ顔で言い放つと、ヨゼフ殿が「また変な言葉を覚えて……」と額を押さえたが、ジジはパァッと顔を輝かせた。
「はいっ! 私、これからもガラシャ様のために、マジリスペクトで頑張ります!」
かくして、我が陣容に加わった初めての家臣・ジジは、恩寵に頼らない確かな製薬の第一歩を踏み出した。
この小さな薬師堂から生み出される薬は、私の奇跡だけでなく、弟子たちの確かな技術と想いが込められ、より多くの人々を救うための『最強の兵站』へと進化していくのであった。




