#40
聖都サン・マリアンヌに、実りの秋の終わりを告げる冷ややかな風が吹き抜ける頃。
我が『小さな薬師』の陣所に、かつてない危急の報せが届いた。
「お嬢ちゃん、大変だ! 大聖堂から『査問官』が派遣されることになった。最近の君の薬の噂や、街で囁かれている幽霊騒動……それらを直接調査しに来るらしい」
ヨゼフ殿が、青い顔をして修道院跡地に駆け込んできた。
(……査問官。すなわち、天下人や幕府から派遣される『検使』にございますね)
私は生前、父や夫が上使を迎える際、いかに細心の注意を払って「謀反の疑いなし」と証明していたか、その緊迫した空気を見てきた。
一歩間違えればお家取り潰し。
この異世界における我が陣(修道院跡地と薬草園)の存亡がかかっている。
「……承知いたしました。相手がこの地の権威であれば、正面から抗うは下策。ここは一つ、完璧なもてなしと、徹底した『偽装工作』で煙に巻きましょう」
私は静かに立ち上がり、胸元のロザリオを握りしめた。
「シロ。これより査問官を迎え撃ちます。そなたは『神聖な白犬』を装い、決して牙を剥いてはなりませぬよ」
「ハッ! 姫君の御命とあらば、ただのモフモフした愛玩犬になりきって見せましょうぞ!」
* * *
数刻後。
重厚な馬車の音と共に、黒い法衣を纏った男が姿を現した。
大聖堂の査問官、バルトロメオ殿。
彫りの深い顔立ちに、一切の妥協を許さぬような鋭い眼光。
まさに「能吏」といった風貌である。
「貴女が、巷で噂の『小さな薬師』か。不審な発光現象や、正体不明の魔導泥……大聖堂の教義に反する禁忌の術を用いていないか、厳格に調査させてもらう」
バルトロメオ殿の冷徹な声が響く。
ヨゼフ殿が横でガタガタと震えているのが分かった。
(さても。ここで武家の妻の如く凛とした態度を見せれば、かえって怪しまれましょう。この世界の人々にとって、私はただの幼き町娘……)
私は深呼吸を一つ。
そして、かつてクレアから教わった「この世界の若者の所作」を脳内の引き出しから全開放した。
「おっはよーございまーす☆ バルトロメオ様ぁ! 遠くからマジお疲れ様ですぅっ!」
私が両手でピースサインを作り、首を可愛らしく傾けて挨拶を放つと、その場の空気が一瞬凍りついた。バルトロメオ殿が、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まっている。
「……な、なんだ、その奇妙な言葉と構えは」
「えーっ、これっすか? 今、街の女の子たちの間で『マジ最先端』な挨拶なんですよぉ☆ バルトロメオ様も、もしかしてご存じなかったですかぁ? ヤバいっすね!」
私は内面の「母として・大名姫としての自分」が「……腹を切りたい」と絶叫しているのを必死に押し殺し、顔面には満面の、そして空っぽな笑みを張り付かせた。
「お嬢ちゃん……!? 何をしているんだい、君は!?」
ヨゼフ殿が悲鳴のような声を漏らしたが、私は無視してバルトロメオ殿の手をぐいっと引いた。
「まあまあ、立ち話もなんなんで、あっちでお茶にしましょうよ! 査問とか超だるいっすけど、私が淹れるお茶、マジ尊い(神聖)ですからぁ☆」
* * *
私は彼を庭の東屋へと案内し、千利休殿から学んだ極意を全て「きゃぴきゃぴ」という分厚いオブラートに包んで提供した。
(茶の湯の神髄は『和敬清寂』。主客一体となり、相手の警戒を解くことにあります)
私は優雅な所作をあえて少し崩し、お茶を淹れながら喋り倒した。
「このお茶、森で摘んだ薬草なんですけどぉ、飲むとマジで肌ツヤが『バグる』んですよ! バルトロメオ様、お肌がちょっと乾燥してるみたいだし、これ飲んでリラックスしてくださーい☆」
バルトロメオ殿は毒気を抜かれたように、差し出された琥珀色の茶を口にした。
「……む。これは……。なんと深く、静かな味わいだ。体中の澱が消えていくような……」
「ですよねー! 私、ただの趣味で薬作ってるだけなんでぇ、難しい魔法とか全然わかんないんすよ。泥パックもぉ、お肌が『ぷるぷる』になればハッピーじゃん! 的なノリっす☆」
「泥パック……。もしや……あの『緑の妖怪』と噂されているものか?」
「妖怪とかマジ失礼っすよ! あれは『すきんけあ』っていう乙女の戦術なんです☆ 良かったらバルトロメオ様も試してみます? 今ならサンプル、無料で『ぷれぜんと』しちゃいますよぉ!」
私は袖から、美しくラッピングされた(しかし中身はあの不吉に光る)泥パックの壺を取り出した。
「これを顔に塗って十五分待てば、バルトロメオ様も聖人並みの『発光美肌』になれちゃいます。マジ神コスメです!」
バルトロメオ殿は、私のあまりの勢いと、口にするお茶のあまりの素晴らしさ、そして足元で「クゥ〜ン(私、ただの可愛い犬です)」と媚びを売るシロの姿に、次第に眉間の皺を緩めていった。
「……ふむ。どうやら、私の考えすぎだったようだな。巷の噂は、この少々……いや、かなり変わった娘の天才的な調合技術と、若者特有の突飛な行動が重なった結果の産物か」
「そうそう! それな! ですよぉー☆」
私は心の中で勝鬨を上げ、さらに追い打ちのピースを繰り出した。
* * *
夕暮れ時。
バルトロメオ殿は「実に有意義な調査であった」と満足げに(そして泥パックの壺を大切そうに抱えて)帰路についた。
馬車が見えなくなるまで手を振って見送った後、私は「ふぅ……」と深すぎる溜息を吐き、その場に力なく座り込んだ。
「……姫君、お疲れ様でござった。あのような恥辱に耐え、見事な外交戦を演じられるとは……拙者、感動いたしましたぞ」
シロが同情の混じった声で鼻先を寄せてくる。
「……死ぬかと思いました。もう二度と、あのような辱めは受けたくありませぬ」
私は顔を覆い、前世の父や夫に「申し訳ございませぬ……」と心の中で謝罪した。
「お、お嬢ちゃん……。君、あんな喋り方ができたんだね。私は……私は君が、もっと別の何かの病に侵されたのかと思って、査問官より先に女神様に祈りを捧げるところだったよ」
ヨゼフ殿が、魂が抜けたような顔で縁側にへたり込んでいる。
「外交とは、時に己の誇りすらも天秤にかけるもの。……ヤバいっす、マジで疲れました」
私は懐からロザリオを取り出して静かに祈りを捧げた。
聖都の権威からの追求は免れた。しかし、代償として失ったものは、あまりにも大きかった気がしてならない。
「しかし、これからもっと忙しくなりそうですね。さらなる調略(美容品開発)と、この世界の言語(若者言葉)の勉学に努めねば……」
秋の夜空を見上げながら、私は次なる「戦」に向けて、静かに、そして少しだけ遠い目をして決意を新たにするのであった。




