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39/50

#39

 実りの秋を迎え、聖都サン・マリアンヌは一年で最も活気づく『秋の収穫祭』の日を迎えていた。


 大通りには色とりどりの旗が掲げられ、屋台の香ばしい肉の匂いや、吟遊詩人の奏でる陽気な音楽が街中を満たしている。


 本日は、親友のクレアが、あの見習い騎士の青年と初めての茶会デートに出かける日であった。


「ガラシャちゃん! 私、おかしくないかな? 変じゃない?」


 修道院跡地にやってきたクレアは、少し背伸びをした淡い桃色のワンピース姿で、そわそわとスカートの裾を揺らした。


「ええ、とても愛らしく、見事な陣容にございます。彼も間違いなく、一目でそなたのとりことなるでしょう」


 私が微笑んで太鼓判を押すと、クレアはぱぁっと顔を輝かせた。


「ありがとう! じゃあ、行ってくるね!」


 弾むような足取りで街の中心へと駆けていく彼女の背中を、私は優しく見送った。

 ――そして、彼女の姿が角を曲がって見えなくなった瞬間。


 私は扇をパチンと閉じ、スッと真顔になった。


「シロ。これより我らも出陣いたします。……『影』として」

「ハッ! 承知仕りましてござる!」


 シロが低く唸り、尻尾をピンと立てた。


 平和な祭りの日とはいえ、人が密集する群衆の中とは、すなわち有象無象が入り乱れる『野戦場』に他ならない。

 スリ、酔っ払い、あるいはいかがわしい輩。

 そのような危険地帯に、うら若き乙女を無防備に放り出すわけにはいかないのだ。


「クレアの初陣(初デート)、いかなる伏兵からも私が死守してみせます」


 私は自らの素性を隠すため、先日の市場で買い求めておいた『ケットシー(猫の魔物)のお面』を顔に装着し、たすき掛けで小袖の袖を縛り上げた。


 目指すは屋根の上。いざ、隠密行動(尾行)の開始にございます。


 * * *


 祭りの熱気に包まれた大広場。


 クレアと青年は、りんご飴のような甘味を片手に、とても良い雰囲気で屋台を見て回っていた。彼が何かを言って笑わせ、クレアが照れくさそうに笑う。


(……ええ、めっちゃ良い感じにございますね。マジで尊いです)


 私は彼らから十歩ほど離れた建物の屋根の上に腹這いになり、息を殺して監視を続けていた。


 かつて細川家にも、情報収集や暗殺を担う『忍び』の者たちが出入りしていた。

 彼らの足運びや気配の消し方を、私は奥御殿から密かに観察していたのである。

 見様見真似とはいえ、私の隠伏スキルはすでに常人の域を超えていた。


「……おや。怪しい動きをする兵(歩兵)が約一名」


 眼下の群衆の中、クレアの持つ小さなポシェットに、薄汚れた男がすり寄っていくのが見えた。


(スリですね。させませぬよ)


 私は懐から拾っておいた硬いドングリを取り出すと、親指と中指の間に挟み、恩寵による身体強化をほんの僅かに指先へ込めた。


 ピシッ!

 弾き出されたドングリは、見えないスナイプとなってスリの額のど真ん中にクリーンヒットした。


「痛ッ!?」


 男は不自然にのけぞり、そのまま屋台のゴミ箱へ突っ込んで気絶した。

 クレアたちは全く気づいていない。


「ふふっ、見事な迎撃にございました。次、参りましょう」


 私は音もなく瓦を蹴り、次の屋根へと軽やかに跳躍した。


 その頃、眼下の大通りでは。


「……なぁ、エララ君。今、あそこの屋根の上を、猫のお面を被った小袖の少女が飛んでいかなかったかい?」


 焼き鳥の串を手にしたヨゼフ殿が、呆然と空を見上げていた。


「……見ました。しかも、あの後ろから、巨大な白い犬も器用に屋根を走っていきましたね……」


 綿飴を持ったエララ殿も、遠い目をしている。


「何してんだあの子は……。またいくさごっこでもしているのかね」


「ガラシャさんのことですから、きっと深いお考えがあってのことですよ。……見なかったことにしましょう」


 二人の大人は、深く溜息を吐いて祭りの喧騒へと戻っていった。


 * * *


 夕暮れ時。

 祭りの提灯に火が灯り始め、街はさらに幻想的な雰囲気に包まれていた。


 クレアと青年は、人混みを離れ、少し静かな街路樹の並木道へと歩みを進めていた。二人の距離は、朝よりもずっと近づいている。


(おお……これは、いよいよ本陣突入(告白)の刻合いでしょうか……!)


 私は興奮を抑えきれず、並木道の最も太い樫の木の、高い枝の上へと身を潜めた。

 お面を被り、木と同化するように微動だにせず、葉の隙間から下を見下ろす。

 シロは木の根元の茂みで待機中だ。


「クレアさん、今日は本当に楽しかった。……あの、これ」


 青年が、顔を真っ赤にしながら、小さな花の髪飾りをクレアに差し出している。


「えっ……ありがとう! すっごく可愛い……!」


(素晴らしい! 見事な贈り物の献上にございます! 陣立ては完璧……!)


 私が木の上で無音のガッツポーズを決めていた、その時であった。


「……そこの路地も異常なし。よし、次は広場の見回りだ」


 ガチャ、ガチャと、鎧の鳴る音が並木道に響いた。

 祭りの特別警備にあたっている、聖騎士・アーサー殿である。

 先日、妻のリリアン様の泥パック姿を見て気絶したばかりで、その顔にはまだ微かな疲労トラウマの影が残っていた。


(……チッ。警備隊の巡回ですか。いささかタイミングが悪いですね)


 私は舌打ちをし、さらに気配を殺して枝の奥へと縮こまった。


 アーサー殿が木の下を通り過ぎようとした、その瞬間。

 ふわりと秋の風が吹き、私を隠していた枝葉が大きく揺れた。


「ん? 木の上に何か……」


 アーサー殿が、ふと見上げた。


 薄暗い夕闇の中。

 木の上からこちらをじっと見下ろす、『無表情な猫の面を被った、微動だにしない少女』と、完全に目が合った。


「…………」

「…………」


 数秒の、恐ろしいほどの沈黙。

 そして。


「で、出たァァァァァァッ!! 今度はお面を被った妖怪だァァァッ!!」


 アーサー殿の絶叫が、ロマンチックな並木道に木霊した。


「ヒィィッ! 最近の聖都はどうなっているんだ! 緑の妖怪の次は猫の魔物かァァッ!?」


 剣を抜いて腰を抜かすアーサー殿の声に、良い雰囲気だったクレアたちが「えっ、何!? 魔物!?」と驚いて振り返ってしまう。


(……不覚! ここまで完璧な隠密行動だったというのに!)


 私は舌打ちをし、懐から『ただの小麦粉と灰を混ぜた袋』を取り出すと、アーサー殿の足元へ向かって力強く投げつけた。


 ボフゥンッ!!


「うわあっ! 目が、前がっ……!」


 見事な煙幕(目眩まし)が広がる中、私は「シロ、陣払いです!」と音もなく木から跳躍し、夕闇の屋根伝いに修道院跡地へと撤退した。


「ま、待てェェ! 逃がすかっ……ゴホッ、ケホッ!」

 

 アーサー殿の悲痛な咳き込み声だけが、遠く夜風に消えていった。


 * * *


 翌朝。

 いつものように、修道院跡地へパンを届けに来たクレアの顔は、これ以上ないほどに晴れやかであった。


「ガラシャちゃん! 昨日はすっごく楽しかったよ! 変な人も全然いなくて、彼もすごく優しくて……。これ、彼がくれたの!」


 嬉しそうに髪飾りを見せるクレアに、私は筋肉痛で悲鳴を上げる身体を誤魔化しながら、優雅に微笑んでみせた。


「それは見事な戦果……いえ、良き思い出にございましたね。そなたの笑顔が見られて、私も鼻が高いです」


「うん! あ、でもね。夕方くらいにアーサー様が『木の上に猫のお化けが出た!』って大騒ぎしてて……最近、聖都はお化け騒動が多くてちょっと怖いよね」


「……おや。それは誠に、恐ろしきことにございますね。夜道にはくれぐれも気をつけねば」


 私は扇で口元を隠し、しれっと目を逸らしてお茶を啜った。


 親友の純粋な初恋は、私の完璧な後方支援によって無事に守り抜かれた。


(……しかし、アーサー殿に見つかるとは、私の隠伏スキルもまだまだ修行が足りませぬね)


 私は一人、心の中で密かに反省会を開きつつ、これからもこの街の平和(と親友の恋)を陰から見守る『過保護な影法師』として、さらなる技術の向上を誓うのであった。

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