#38
有意義な市場調査から帰還した私は、休む間もなく修道院跡地の作業場に籠もり、新たな軍備の錬成に着手した。
机の上には、森で採取してきた野蜜、清流の底で育つ粘り気の強い根、そして鎮静作用のある月光草の葉などが所狭しと並べられている。
乳鉢で薬草を丁寧にすり潰し、湧き水と合わせながら、ほんのわずかに恩寵(祈り)を込めて練り上げていく。
「わあ、ガラシャちゃん。お部屋中がすっごくいい匂い!」
パンの配達ついでに手伝いに来てくれたクレアが、乳鉢を覗き込んで目を輝かせた。
「ええ。顔面の修繕に留まらず、これはすべての女性を輝かせるための究極の兵器にございます」
私は完成した三種類の小瓶を並べ、優雅に扇を開いた。
「透明な水は、乾燥を防ぐための『化粧水』。白い軟膏は、紫外線ダメージを癒やす夜の修繕工事たる『ないとくりーむ』。そして……」
私は、妖しく暗緑色に発光するスライム状の液体が入った壺を、これ見よがしに撫でた。
「我が陣の最高傑作。お肌をぷるんぷるんのもっちもちに仕上げる『特製薬草泥パック』にございます。これさえあれば、世の女性たちは皆、美しき花となり、殿方を魅了し……ひいては天下を平定する力を得るのです!」
「て、天下平定……? お化粧の話だよね?」
クレアが引き攣った笑いを浮かべたが、私の心はすでに大いなる野望に満ち溢れていた。
前世では、夫である忠興様の激しすぎる愛と束縛ゆえに、自ら美しく着飾る自由すら許されなかった。
だからこそ、今こうして己の意思で美を追求しすべての女性の『美しくありたい』という願いを叶えられることが、どうしようもなく嬉しいのである。
「さあ、クレア。まずはこの陣の恩恵を、街の女性たちに広く知らしめねばなりませぬ。これより、調略(無料配布)に出陣いたします!」
私は小さな試供品の小瓶を大量に籠に詰め込み、意気揚々と街へ打って出た。
* * *
まずは大聖堂の施療院へ向かい、洗濯物を干しているシスター・エララ殿に突撃した。
「エララさん! 昨日は貴重な情報提供、ありがとうございました! これ、試作品の『さんぷる』です!」
私は笑顔で、化粧水と保湿クリームの小瓶を手渡した。
「えっ? ガラシャさん、これを私に……? でも、お金は……」
「いりませぬ! まずは我が陣の恩恵を知っていただくための、いわば先行投資にございます。お香の煙の乾燥にも、マジで神コスメにございますから、お風呂上がりにたっぷり使ってみてくださいね!」
「ま、マジで……? ありがとう、使ってみるね!」
戸惑いながらも頬を染めて喜ぶエララ殿から、私は確かな手応えを感じ取った。
次に向かったのは、商務院のクロエ教授のもとである。
「教授! 紫外線ダメージとエイジングケアには、この『ないとくりーむ』が必須です! 超絶いい匂いのヤツを持参いたしましたゆえ、今夜必ず塗って寝てくださいね!」
「お、おお……。すまないね、そこまで気を使わせてしまって……」
さらに私は、広場やギルドの酒場にたむろしている女騎士や魔法使いの女性たちにも、次々と試供品を配り歩いた。
「えっ、これタダでいいの!?」
「ええ、もちろんです! お肌の鎧擦れにはこのクリームがマジで効きますゆえ! もっちもちになりますよ!」
「やだ、いい匂い! 嬢ちゃん、これ商品になったら絶対買うよ!」
私はすっかり馴染んだ若者言葉を完璧に駆使し、まるで現代の美容インフルエンサーのような手際で、見事に街の女性たちの心を掌握していった。
大名顔負けの『無料配布による調略』は、かくして大成功を収めたのである。
女性の心を掌握する策ならば「今孔明」殿にも負けはせぬ。
* * *
籠の中の試供品がすっかり空になった頃、広場の噴水前で私は見回り中のアーサー殿と遭遇した。
「おお、アーサー殿。ちょうど良きところに」
私が声をかけると、彼は少し驚いたように足を止めた。
「ガラシャ殿。今日はまた、機嫌が良さそうだな」
「ええ。実は、先日お話しした奥方様への『献上品』が仕上がりまして」
私は袖の奥から、美しく磨き上げられた桐の木箱を取り出した。
箱には、クレアに分けてもらった金色のリボン(水引の代わり)が、見事な飾り結びで掛けられている。
他国(他家)への贈り物というものは、中身の質はもちろんのこと外装の格式も極めて重要である。武家の娘として、そのあたりの抜かりは一切ない。
「こ、こんな立派なものを……!? い、いいのか?」
アーサー殿は目を丸くし、恐縮したように木箱を受け取った。
「ガラシャ殿、貴女には一生頭が上がらない……! 最近は本当に妻に苦労をかけてばかりで、何かしなければと思っていたのだ。心から感謝する」
アーサー殿の瞳には、妻への純粋な愛情と、私への深い感謝の念が溢れていた。
その真っ直ぐな様子に、私は袖で口元を隠し、ふふっと優雅に微笑んだ。
「どういたしまして。箱の中には、化粧水やクリームの他に、絶対的な効果を誇る『特別な品』も忍ばせておりますゆえ。……奥方様にも、必ずや喜んでいただけることでしょう」
私は頬を赤らめ善意百パーセントの笑みを浮かべ、満面の笑みで帰路につくアーサー殿の後ろ姿を満足げに見送ったのであった。
* * *
――後日、防衛隊の騎士たちから漏れ聞いた話によれば、その夜のアーサー殿の屋敷ではちょっとした騒動が起きたらしい。
夕刻、屋敷に帰還したアーサー殿は、愛する妻・リリアン様にその立派な木箱をプレゼントしたという。
「わあ……! なんて良い香りなの! あなた、本当にありがとう!」
美しい化粧品の数々に、リリアン様は花が綻ぶような笑顔を見せ、アーサー殿も
「ガラシャ殿に感謝だな」と、温かく平和な気持ちでシャワーを浴びに向かった。
そして、風呂上がり。
一日の疲れを癒やし、すっかり安心しきったアーサー殿は、「リリアン、そろそろ寝ようか」と、寝室の扉を開けた。
だが、そこに愛する妻の姿はなかった。
薄暗いランプの光に照らされた寝室の中央に立っていたのは――
顔面全体を『ぬらぬらと暗緑色に発光するスライム状の泥』で覆い尽くし、目と口だけがぽっかりと黒く空いた、得体の知れない妖怪であった。
「ヴ、ヴァ……(ありがとうあなた、泥が固まってうまく喋れないの……)」
暗緑色に発光する顔の妖怪が、両手を広げてじりじりと近づいてくる。
その瞬間。
先日、修道院跡地の庭で遭遇した『緑色の顔の魔物』の恐怖の記憶が、アーサー殿の脳内でフラッシュバックした。
「で、出たァァァァァァァッ!!? ま、魔物だァァッ!!」
アーサー殿の悲鳴が、平和な夜の聖都に虚しく響き渡る。
彼は恐怖のあまり白目を剥き、そのままベッドの上に卒倒して気絶してしまったという。
* * *
「……はて」
翌朝、クレアからその噂話を耳にした私は、修道院跡地の縁側でお茶を啜りながら、きょとんと小首を傾げた。
「アーサー殿は、なぜご自宅で気絶などされたのでしょうね? 激務でお疲れだったのでしょうか」
「ガラシャちゃん、絶対あの『光る泥パック』のせいだよ……」
クレアが呆れたようにため息を吐くが、私は気にせずコロコロと笑った。
「ふふっ。しかし、泥パックの威力は凄まじいですからね。奥方様のお肌は、さぞかしもっちもちに仕上がっていることでしょう。気絶から目覚めたアーサー殿も、妻の圧倒的な美しさに再び言葉を失うはずです」
これもまた、夫婦の絆を深めるための良き試練(陣立て)というもの。
私は、自らが錬成した『究極の美容兵器』がもたらした確かな戦果に満足し、高く澄んだ秋の空を見上げて、静かに微笑むのであった。




