#37
「本日は薬屋を『臨時休業』といたします。これより街へ、新たな軍備開発のための敵情視察に参ります!」
透き通るような秋晴れの朝。私は修道院跡地の門に手書きの木札をぶら下げ、力強く宣言した。
本日の私は、いつもの白地の小袖ではない。
先日クレアが「絶対似合うから!」と見立ててくれた、秋らしいボルドー色のブラウスと、歩きやすいふんわりとしたスカート姿である。
足元には歩きやすい革の編み上げ靴。
どこからどう見ても、この異世界の街に馴染んだ『普通の可愛い十五歳の少女』の姿であった。
「ヒィン、姫君。そのお召し物、いと愛らしくお似合いでござるな」
「ありがとう、シロ。そなたのモフモフとした毛並みも、本日は見事な艶にございますよ。さあ、出陣です」
私は籠を腕に掛け、頼もしい白犬を従えて、賑わう聖都の街へと足を踏み出した。
泥パックで確かな美肌効果を実感した私は、これを全ての女性を救う『美容品』として本格的に開発・販売しようと目論んでいた。
しかし、戦においても政においても、己の推測だけで陣を敷くのは下策中の下策。
まずは民草(女性たち)が何に悩み、何を求めているのか、己の足で敵情視察――すなわち『市場調査』を行わねばならない。
* * *
まず私が向かったのは、大聖堂の裏手にある施療院であった。
「あ、ガラシャさん。今日は珍しいお召し物ですね」
忙しそうに洗濯物を干していたシスター・エララ殿が、目を丸くして私を迎えてくれた。
「こんにちは、エララさん。今日は少し、お伺いしたいことがありまして……」
私はスッと異世界語(若者モード)のスイッチを入れ、彼女の傍へ歩み寄った。
「エララさんって、毎日お香の煙を浴びてるじゃないですか。あれって、お肌がマジで乾燥しませんか?」
「えっ? ま、マジで……? ああ、ええと、そうなんです。神聖な儀式は気が張るし、煙で喉や肌がカサカサになっちゃうことが多くて……」
「わー、めっちゃ分かります! それって超大変ですよね!」
私は完全に『街の女子』のノリで相槌を打ちながら、スッと手を伸ばし、エララ殿の白い頬に自らの指先をすりすりと這わせた。
「ひゃんっ!?」
「……ふむ。しかし、この隠された滑らかさ……保湿さえ行き届けば、基礎の陣立て(ポテンシャル)は完璧にございますね。エララさんは、絶対に美しく化けますよ」
「じ、陣立て……? ガラシャさん、なんか近いです……!」
顔を真っ赤にして後ずさるエララ殿から、私は『乾燥に対する強力な保湿』という重要なデータを引き出すことに成功した。
「ガラシャさん……なんか変わりましたか??」
次に向かったのは、商務院の書物庫である。
「クロエ教授! フィールドワークでお疲れのところ失礼します!」
「おや、ガラシャ君。今日は随分と可愛らしい格好だね」
私は大量の羊皮紙に埋もれているクロエ教授の隣に座り込み、再び女子トークを展開した。
「教授、外での薬草採取って、紫外線ダメージがヤバくないですか? お肌のケアとか、どうされてるんですか?」
「ケア? ああ……私は研究ばかりで、そういう女性らしいことはすっかり疎くなってしまってね。泥や日差しなんて気にしたこともないよ」
「それはいけません! 教授のその知的な美貌(城壁)が経年劣化で崩れてしまいます!」
私はまたしてもクロエ教授の手を取り、その手の甲をすりすりと撫で回した。
「紫外線は肌の最大の敵。防御の陣を敷くための『日焼け止め』と、夜の修繕工事が必須ですね。お任せください、私が超絶いい匂いのヤツを作りますから!」
「お、おう……。なんだか今日の君は、やけに勢いがあるね……」
目を白黒させる教授から『紫外線対策とエイジングケア』というデータを獲得した私は、さらに広場にいる女騎士や魔法使いの女性たちからも、「鎧の擦れによる荒れ」や「徹夜での目の下の隈」といった切実な悩みを次々と聴取していった。
* * *
「ふう。見事な諜報活動にございました。これで新たな陣の図面が引けますね」
私はホクホク顔で、広場の隅のベンチに腰を下ろした。
「そこの荷馬車、少し右へ寄せてくれ! 民の通行の妨げになる!」
ふと顔を上げると、広場の中央で、銀の鎧を着込んだアーサー殿が部下の騎士たちに的確な指示を飛ばしているところであった。
そうだ、彼は聖騎士長という立派な肩書を持つお方だ。
普段、私の前ではポンコツなツッコミ役に回ることが多い彼だが、いざ仕事(警備)となれば、その表情は真剣そのものである。
鋭い眼光。民の安全を守るために四方に気を配る、隙のない身のこなし。
秋の陽光に照らされる彼の凛々しい横顔を見た瞬間――私の中の戦国の記憶が、ふわりと蘇った。
(……やはり、似ておいでですね)
若き日の父、明智光秀。
私がまだ幼かった頃、室町幕府の再興と、主君・織田信長公のために、父は寝る間も惜しんで東奔西走していた。
泥に塗れ、血に染まりながらも、己の信じる『義』と『平穏な世』のために戦い続けていた父の真っ直ぐな背中。
アーサー殿のその真面目で不器用なほどの誠実さは、私の魂の奥底にある父の記憶と、どうしようもなく重なって見えたのだ。
「アーサー殿」
私が声をかけると、彼はハッと振り返り、少し驚いたように目を丸くした。
「ガラシャ殿……? いや、今日は随分と……その、可愛らしいというか、街の娘らしい格好だな」
「ええ、本日は敵情視察ゆえ、周囲に溶け込む偽装をしてまいりました」
私はベンチから立ち上がり、彼に歩み寄った。そして、先ほどまでのキャピキャピモードから一転、完璧な『戦乱モード』の真顔へと切り替えた。
「ところでアーサー殿。お耳に入れたい儀がございます。貴方には、奥方はいらっしゃいますか?」
「は、はぁ!? お、奥方!?」
突然の尋問に、アーサー殿は素っ頓狂な声を上げて顔を真っ赤にした。
「い、いや、実は……今年の春に、同じ故郷の娘と結婚したばかりだが……なぜ急にそのようなことを?」
「新婚の奥方がおいででしたか! 素晴らしい」
私はポンと手を打った。
「して、その奥方様は、いかなる悩みをお持ちですか? 季節の変わり目、乾燥や肌荒れなどはございませぬか?」
「俺が妻の肌の悩みなど、知るわけないだろう!?」
アーサー殿が狼狽えて後ずさる。
「それに……最近は魔物の増加や街の警備で忙しく、家に帰っても寝顔を見るくらいで、ゆっくりと話す時間すら取れていないのだ……。苦労をかけていると、俺も心苦しく思っている」
その言葉を聞き、私はふと、目を伏せた。
(多忙な夫を、家で一人健気に待つ妻……)
父・光秀を支え続けた、母・妻木煕子の優しい笑顔が脳裏をよぎる。
貧しい浪人時代から父に寄り添い、自らの黒髪を売ってまで父の面目を保とうとした母。戦に明け暮れる父を、ただ静かに微笑みながら待ち続けていた母。
アーサー殿の奥方がどのような方かは存じ上げないが、国を守るために命を懸ける夫を持つ妻の不安と寂しさは、いかばかりであろうか。
「……アーサー殿。武士が外で命を懸けて戦えるのは、後方(家)を預かる妻の強き支えがあってこそ。決して、その労いをおろそかにしてはなりませぬよ」
母、そして武家の妻としての静かな凄みと重みを持った声で告げると、アーサー殿はハッと息を呑み、居住まいを正した。
「……うむ。痛いほど、身に沁みている」
「よろしい。ならば、私がアーサー殿の奥方のために、とびきりの『美容液』をお作りいたしましょう」
私は扇を開き、口元を隠して優雅に微笑んだ。
「良い香りに包まれ、肌が美しく潤えば、女性の心はそれだけでふわりと明るくなるもの。次のお休みにでも、日頃の感謝の言葉と共に、奥方様へお渡しなさい」
「ガラシャ殿……」
アーサー殿の瞳に、深い感謝の光が宿る。
「ありがとう。君は時折恐ろしいことを言うが……本当に、誰よりも深い慈愛を持ったお方だ」
「ふふっ。私はしがない、小さな薬師にすぎませぬよ」
私は籠を抱え直し、「それでは、これにて陣払い(帰還)といたします!」とシロと共に踵を返した。
街の女性たちの切実な悩みと新婚の奥方のための特別な贈り物。
持ち帰った有意義な情報を胸に、私は足取りも軽く修道院跡地への帰路につく。
すべての女性の肌(城壁)と心を守るための、究極のコスメ作り。
私の内なる『女子力』と『戦国姫マインド』は、かつてないほどの熱い闘志を燃やして交わり始めていた。




