#34
秋の柔らかな日差しが、綺麗に整備された裏庭の薬草園を黄金色に染め上げている。
本日は孤児院の子供たちが畑の草むしりや水やりの手伝いに来てくれていた。
「皆様、本日は大儀でございました。見事な陣立て(働き)です」
私が手についた泥を払いながら労うと、子供たちは元気な声を上げて笑った。引率のヨゼフ殿も、縁側で茶を啜りながら目を細めている。
「ガラシャお姉ちゃん! おやつの時間までまだあるから、一緒に『かくれんぼ』しよう!」
一番年下の、くるんとした癖毛の小さな女の子が、私の小袖の裾を引っ張った。
「こらこら。ガラシャちゃんは薬作りで忙しいんだ。困らせてはいけないよ」
ヨゼフ殿が優しくたしなめるが、私は静かに首を横に振った。
「いえ、構いませぬ。索敵と隠伏は、いざという時に命を守る重要な術。これも小さき兵たちの良き軍事訓練になりましょう」
「だからどうして、ただの子供の遊びを戦に繋げるんだい……」
ヨゼフ殿の疲れたようなぼやきを背に受けながら、私はたすき掛けの紐をキュッと締め直した。
* * *
まずは私が『鬼』、すなわち索敵を担うこととなった。
「いかなる伏兵も逃しませぬよ」
私が庭の隅の大木に向かって目を伏せ、百まで数え上げる。
背後で、子供たちがキャッキャと声を殺しながら四方八方へと散っていく気配がした。
「……九十九、百。いざ、参る」
振り返った裏庭は、見事な静寂に包まれていた。
シロが縁側でお座りをし、尻尾を揺らしながら高みの見物を決め込んでいる。
私はすっと目を細め、庭全体の気配を肌で感じ取った。
(……浅いですね)
私は音もなく歩みを進める。
「草の葉が不自然に折れ、土には小さな足跡が続いております。……そして、風上から微かに漂う汗の匂い。あちらの薬草棚の裏ですね」
「わぁっ! 見つかっちゃった!」
「さらに、こちらの樽の陰からは、荒い息遣いが漏れ聞こえております。……底が浅いゆえ、頭の先が見えておりますよ」
「ええーっ!」
次々と子供たちを捕捉していく。
五感を研ぎ澄ませば、幼い子供の隠れる場所など手にとるように分かるのだ。
わずか数分で全員を見つけ出すと、子供たちは頬を膨らませてブーイングを放った。
「ガラシャお姉ちゃん、早すぎるよ!」
「ずるい! 魔法使ったんでしょ!」
「いいえ、魔法(恩寵)など使っておりませぬ。ただ自然の理と痕跡を辿ったまで。シロ、そなたの目にはどう映りましたか?」
「ハッ、姫君の恐るべき直感と眼力、このシロめも舌を巻くばかりでござる」
得意げに胸を張る私を見て、ヨゼフ殿が「容赦がないねぇ……」と苦笑いしていた。
* * *
「では、次は私が隠れましょう。真の『気配遮断』というものをお見せいたします」
今度は子供たちとシロが鬼となり、私が身を潜める番となった。
(さても。手本を示すからには、決して見つかるわけにはいきませぬね)
私は庭の奥、大きな樫の木と茂みが交差する死角へと滑り込んだ。
呼吸を極限まで浅くし、心音を静め周囲の木々や土と己の存在を同化させる。
武家の女として、有事の際に敵兵の目から逃れるための術。
華美な小袖を纏っていても、影に溶け込む術を知っていれば容易に見つかることはない。
「もういいかーい!」
子供たちの声が響き、索敵が始まった。
私の隠れている茂みのすぐそばを、小さな足音が幾度も通り過ぎていく。
「お姉ちゃん、どこー?」
「シロ、匂い分からないの?」
「クゥン……(おかしいでござる。姫君の白檀の香りが、完全に途絶えてしまったでござるよ)」
シロの優れた嗅覚すらも、風下を利用した私の完璧な位置取りと気配遮断の前に欺かれているようだった。
十分、二十分と時が流れる。
(ふむ。そろそろ討って出てもよろしい頃合いでしょうか)
私が様子を見計らっていた、その時である。
「うぇぇぇん……! お姉ちゃんがいなくなっちゃったよぉ!」
不意に、庭の中央で悲鳴のような泣き声が上がった。
一番年下の、あの癖毛の女の子であった。
「神隠しだ! お姉ちゃん、魔物に食べられちゃったのかもしれない!」
その言葉に伝染するように、他の子供たちも不安そうな声を上げヨゼフ殿の周りに集まり始めてしまった。
(おや……いけません、いささか本気を出しすぎましたか)
私は微かな焦りを覚え、音もなく茂みから抜け出した。
* * *
「案ずるな、ここにおりますよ」
私がひょっこりと姿を現すと、庭の空気が一瞬止まった。
「お姉ちゃん……!」
一番年下の女の子が、弾かれたように駆け寄ってきて私の小袖の裾にぎゅっと抱きついた。
「うわぁぁん! よかったぁ、消えちゃったかと思ったぁ!」
小さな両腕が私の腰に強く回り、泥だらけの顔を私の帯に擦り付けて泣きじゃくる。
「こらこら、ガラシャちゃん。遊びの範疇を超えて気配を消すから、子供たちが本気で心配したじゃないか。大人気ないよ」
ヨゼフ殿が呆れ顔で歩み寄り、シロも「姫君、拙者も本気で見失って冷や汗をかきましたぞ」と耳を伏せていた。
私は、腰にしがみついて離れない小さな温もりを見下ろした。
(遊びで、これほどまでに無邪気に泣き、笑う……)
戦国の世にあっては、大名家の子女は常に暗殺や誘拐の危険に晒されていた。
己の子供たちが、泥だらけになって野山を駆け回り、ただの『かくれんぼ』で心底泣きじゃくるような、そんな無防備で平和な景色を、私は一度も見たことがなかった。
胸の奥に、かつて置き去りにしてきたはずの柔らかな感情が、じわりと温かな灯りのように広がるのを感じた。
「……申し訳ありません。少し、手加減を間違えてしまったようです」
私はそっと膝をついた。
微かに頬に熱を帯びるのを感じながら泣きじゃくる女の子の背中を、ぽんぽんと優しく撫でる。
「ほら、私はここにおります。どこへも消えたりはいたしませぬよ」
私が柔らかく語りかけると、女の子はしゃくりあげながらも私の首元に腕を回して強く抱きしめ返してきた。
その真っ直ぐで無垢な力強さに、私はほんの少し気恥ずかしさを覚えつつも、静かなる喜びに目を細めた。
「さあ、見事な軍事訓練でした。兵糧の時間にいたしましょう。今日はクレアが、蜂蜜のパンを焼いてきてくれましたよ」
「ほんと!? 食べる!」
涙を拭った子供たちが、再び歓声を上げて縁側へと走っていく。
私はゆっくりと立ち上がり、泥のついた小袖の裾を軽く払った。
秋の夕暮れが、修道院跡地を優しく包み込もうとしている。
戦乱の記憶が残る私の魂も、この小さく無邪気な領民たちと共に過ごす時間の中で、少しずつ穏やかな色へと染まり直していくのを感じていた。




