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33/50

#33

 大聖堂での避難生活を終え、修道院跡地に戻って数日。

 討伐隊の活躍により森の魔物も鳴りを潜め、聖都サン・マリアンヌには再び穏やかな日常が戻っていた。


 秋晴れの昼下がり。

 私が庭で薬草の陰干しをしていると、いつものようにクレアが訪ねてきた。


 しかし、今日の彼女はどうにも様子がおかしい。


 挨拶もそこそこに縁側に座り込んだかと思うと、持っていた小さな籠を弄りながら、そわそわと視線を泳がせているのだ。


 その白い頬は、微かに朱に染まっている。


「おや、クレア。いかがなさいました? お顔が赤いようですが、また熱でもぶり返しましたか」


 私が心配して額に手を伸ばそうとすると、クレアは「う、ううん! 病気じゃないの!」と慌てて首を横に振った。


 そして、懐から一枚の折りたたまれた羊皮紙を大切そうに取り出し、モジモジとしながら口を開いた。


「実はね……街の警備隊にいる若い見習い騎士の人から、これをもらったの。次の休日に、一緒にお祭りに行かないか、って……」


「……まあ!」


 私は袖で口元を覆い、ぱぁっと顔を輝かせた。


「いと喜ばしき報せですね。そなたに、縁談の申し入れがあったということですか」


「えっ? 縁談!? そんな違うよ! でも、……まあ、お誘いっていうか……。ガラシャちゃん、いつも落ち着いてるから、こういう男女の機微にも詳しいかなって思って。私、どう返事をしたらいいか分からなくて……相談に乗ってくれる?」


 上目遣いで頼ってくるクレアの初々しい姿に、私の中の『母』としての魂がふわりと温かな風に包まれた。


「ええ、もちろん。男女の機微ならば、このガラシャにお任せください」


 私は自信に満ちた笑みを浮かべた。

 十五で政略結婚をし、何人もの子を産み育て、苛烈な戦国武将の妻として奥御殿を切り盛りしてきたのだ。

 まだ見ぬ恋に震える少女の背中を押すことなど、造作もないことである。


 私は薬草の作業を中断し、極上のお茶を淹れて『恋愛相談室』を開室した。


 * * *


「……それで、彼はとても優しくて、パンを買いに来る時もいつも笑いかけてくれるんだけど……私のこと、本当にどう思ってるのかなって」


 熱いお茶を両手で包み込みながら、クレアが甘いため息を吐く。

 私は深く頷き、茶器を置いて真剣な面持ちで彼女に向き直った。


「焦ってはなりませぬよ、クレア。まずは相手の背景を正しく把握せねば。して、その見習い騎士殿の実家の領地の広さ(収入)はどれほどでしょうか? 動かせる私兵(護衛)の数は?」


「え? りょうち? しへい?」


「ええ。婚姻とは家と家との結びつきにございます。いざ凶作や有事となった際、ただちにクレアのパン屋へ小麦や物資を援助してくれるような、強固な地盤があるのかどうか。それを見極めぬことには、うかつに茶会デートのお誘いには乗れませぬ」


 異世界の言葉に直して尋ねたつもりだったが、クレアはポカンと口を開けた後、慌てて身を乗り出した。


「ち、違うのガラシャちゃん! 家とか物資じゃなくて! 彼が私を本当に好きでいてくれているか、そういう『愛の深さ』が知りたいの!」


「なるほど、愛の深さですね」


 私は扇を静かに開き、口元に当てて微笑んだ。

 そして、遠い前世の記憶――夫・細川忠興様の異常なまでの愛情表現――を思い出しつつ、それを「異国の教養」として語り始めた。


「私の知る、とある遠き国では、愛の深さを測る明確な基準がございました。クレア。今度彼とお会いした時、わざと彼の目の前で、他の若い男と親しげに言葉を交わしてみてください」


「他の人と?」


「ええ。もし彼が、あなたの姿を見ただけで嫉妬に狂い、即座に剣を抜いてその男の首を刎ねるほどの気迫を見せれば……それは間違いなく、真実の愛かと存じます」


「…………えっ?」


 クレアの顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。


「それに、真にあなたを愛しているのなら、堅牢な屋敷の奥深くにお囲いになり、外の風にすら当てず、一歩も外に出さぬよう見張りを置くはず。……愛とは、すなわち命懸けの執着と独占欲に他なりませぬゆえ」


 私が真顔で恐るべき恋愛観を語った、その時であった。


「待て待て待てェェッ!!」


 開け放たれた修道院跡地の門から、《《たまたま》》街の見回りをしていたアーサー殿が血相を変えて飛び込んできた。


「ガラシャ! 君は純真な少女に何を吹き込んでいるんだ!? その男はただの猟奇的な犯罪者だ! すぐに防衛隊の牢にぶち込む案件だろうが!」


「おや、アーサー殿。立ち聞きとは感心しませぬよ」


 私は扇を閉じ、不思議そうに首を傾げた。


「はて。高貴な身分の者の愛情とは、総じてそのようなものではございませぬか?  ……まあ、確かに少々度は過ぎておりますが」


(少しでも庭師と目線を交わせば手討ちにし、私の美しさを他者に見せたくないという理由で、茶会に出ることすら禁じられる日々。……あれのせいで、私はどれほど退屈な日々を過ごしたことか)


 私はふと目を伏せ、遠い日の不満を一般論に隠してポロリとこぼした。


「……そのような異常な愛を受け続けた貴婦人は、武家の妻の誉れと頭では理解しつつも、さぞ窮屈で、腹立たしい日々を過ごしたことでしょうね」


「ガラシャちゃん……その遠い国の貴婦人さん、絶対逃げたほうがいいよ……」


 クレアが震える声で呟き、アーサー殿は額を押さえて深い疲労の息を吐いていた。

 どうやら、戦国大名の『愛』は、この平和な異世界の常識とは大きくかけ離れているらしい。


 * * *


「こ、コホン。ともかく……」


 私は気を取り直し、クレアの手元にある手紙を指差した。


「では、彼からのお誘いの手紙の返事を書きましょう。いかなる暗号を用いますか?」


「えっ? 普通に『嬉しいです、一緒に行きましょう』って書くつもりだけど……」


「いけません、うかつすぎます。万が一、その手紙が敵の密偵に奪われたらどうするのですか。見せかけの季節の挨拶の中に、裏の意味を持たせた暗号を織り交ぜ……」


「もういい! ガラシャちゃんには手紙の書き方は相談しない!」


 クレアは真っ赤になった顔で手紙を引っ込め、ぷいっとそっぽを向いてしまった。


「ガラシャ。君のその……まるで乱世? を前提とした思考は、どうか書物の底にでも封印しておいてくれ。君の恋愛観は、あまりにも物騒で血生臭すぎる」


 アーサー殿にまで窘され、私はシュンと肩を落とした。


「……よかれと思ったのですが。男女の機微とは、戦の駆け引き以上に難しいものなのですね」


 私が落ち込んでいると、クレアが少し申し訳なさそうに私の袖を引いた。


「ご、ごめんね、怒ったわけじゃないの。ただ……私はもっと、普通でいいんだ。領地がどうとかじゃなくて、彼が笑ってくれて、ただ一緒に祭りの夜店を歩いて、美味しいものを食べて……そういうのが、いいの」


 クレアの言葉は、とても小さく、けれど透き通るように純粋であった。


 家と家とを繋ぐための政略(道具)でもなく。

 相手の寝首を掻かぬよう警戒する腹の探り合いでもなく。

 血生臭い嫉妬や、自由を奪う執着でもない。


 ただ、互いの心だけを見つめ合い、並んで歩きたいと願う、純粋な恋。


「……ただ、共に歩くためだけの誘い」


 私はその言葉を反芻し、ふと、自身の胸の奥に新鮮な風が吹き込むのを感じた。


 前世において、私の婚姻は織田信長公の命によるものであった。

 夫である忠興様との間には、確かに深い情愛があった。

 共に過ごした歳月を悔いたことはない。

 けれど、最初から「惹かれ合った」わけではない。

 運命と家という重い鎖に縛られた上での、激しく、時に息苦しい絆であった。


「……いと平和で、美しいですね」

 

 私は、クレアの赤らんだ頬を見て、自分でも気づかぬうちに少しだけ頬を染めていた。


 政略もない、純粋な恋愛。

 誰の指図も受けず、ただ己の意志で誰かを想い、手を取り合うという経験。


(……私も、一度くらいは、そのような恋を経験してみたかったやもしれませぬね)


 私は袖の奥で小さく息をつき、柔らかな微笑みを浮かべてクレアの両手を握った。


「私の物騒な手解きは、忘れてください。そなたのその純粋な思いを、ただ真っ直ぐに文字に認めるのが一番の良策でしょう」


「うん……! ありがとう、ガラシャちゃん!」


 満面の笑みを浮かべたクレアは、手紙を胸に抱きしめながら足取りも軽く帰っていった。


「やれやれ……。君が変なアドバイスで若者の恋をぶち壊さなくて安堵したよ」


 アーサー殿も、苦笑いを浮かべながら見回りに戻っていく。


 私は一人残された縁側で秋の高く澄んだ空を見上げた。


 人を想うという、最も古く、最も新しい感情。

 異世界の穏やかな風に吹かれながら、私は友のピュアな初恋の成就を、心から、そして少しばかりの羨ましさを込めて祈るのであった。

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