#28
貴族のお茶会から帰還した翌朝。
私は机の上に積まれた羊皮紙の束を前に、深い溜息を漏らしていた。
「……さても。嬉しい悲鳴とは、まさにこのことですね」
羊皮紙に記されているのは、マダム・ベアトリス様の紹介によって殺到した、貴族の奥様方や商会からの『軟膏』の莫大な注文書である。
「ヒィン……姫君、これは大変な数でござるな」
足元で覗き込んできたシロも、鼻先をヒクヒクさせて尻尾を下げた。
現在の我が陣の庭で栽培している月光草の収穫量では到底この注文を賄いきれない。森へ採取に赴くにしても、平時の商いと並行しては限界がある。
(兵糧の尽きた軍は、三日と持たずに崩壊する……)
かつて戦国の世で、父・明智光秀や夫・細川忠興様が、戦のたびに兵糧や武具の調達にいかに苦心していたか。
私は奥御殿で、その深刻な軍議の様子を幾度となく耳にしてきた。
いかに優れた陣を敷こうとも、物資の補給(兵站)が断たれれば全滅を免れぬ。
今の私にとっての兵站とは、すなわち薬草の安定した生産である。
「ならば、打つ手は一つ。富国強兵の要たる『新田開発』を行うまでです」
私は窓の外を見やった。
修道院跡地の裏には、私が手をつけていない広大な荒れ地が広がっている。
あそこをすべて開墾し、巨大な薬草園とすれば良いのだ。
とはいえ、私とシロだけであの広大な土地を切り拓くには、いささか日数がかかりすぎる。
(どこかで、手の空いている人足を雇い入れねばなりませぬね……)
そう思案していたところへ、ちょうど門の方から賑やかな声が聞こえてきた。
「お嬢ちゃん、おはよう。……って、なんだいその物々しい考え顔は」
「おや、ヨゼフ殿」
ヨゼフ殿の後ろには、粗末だが清潔な服を着た、七歳から十歳くらいの子供たちが五、六人、元気いっぱいに顔を覗かせていた。
「大聖堂の孤児院の子らでね。今日は少し手が空いているから、お嬢ちゃんのところで何かお小遣い稼ぎの手伝いをさせてもらえないかと思って連れてきたんだ。雑草むしりでも、お使いでもいいんだが」
ヨゼフ殿の申し出は、まさに渡りに船であった。
「……ありがたき天の配剤。ええ、もちろん歓迎いたします」
私は目を輝かせ、子供たちに向かって深く頷いた。
「我が陣の『新田開発』を手伝っていただけますか? そなたたちを我が領民……いえ、小さき足軽として手厚く遇しましょう」
「お嬢ちゃん、だからなんでそんなスラムの親分みたいな言葉選びになるんだい……」
ヨゼフ殿が頭を抱えたが、私は構わず小袖の袖をたすき掛けでキュッと縛り物置から数本の鍬を持ち出した。
* * *
「これより我が陣の総力を挙げ、裏庭の新田開発を行う!」
澄み渡る秋晴れの空の下。
私は鍬を天高く掲げ、足軽大将の如き気迫で子供たちに号令をかけた。
「雑草を抜き、石を除け、土をふかふかに耕すのです! 働きに応じ、皆に『知行』――おやつと銅貨を約束しよう!」
「ちぎょー!?」
「よくわかんないけど、おやつと銅貨もらえるって!!」
「オーーーッ!!」
子供たちは私の放った『知行』の意味こそ分からなかったようだが、確かな報酬の約束に熱狂し、元気よく荒れ地へと散っていった。
シロも「拙者にお任せあれ!」と、重機のように太い前足で凄まじい勢いで固い土を掘り返していく。
「さあ、私も負けてはいられませぬね」
私は気合を入れ直し、シロが掘り返した土を鍬で均し、薬草を植えるための畝を作っていった。
ザクッ、ザクッ。土を切り裂き、綺麗に盛り上げる。
「……なぁ、お嬢ちゃん。前から思ってたんだが」
縁側でお茶を飲んでいたヨゼフ殿が、私の動きを見て引き攣った笑いを浮かべた。
「その華奢な姫君みたいな姿で、なんでそんな熟練の農夫みたいなスピードで畝を作れるんだい? 鍬の角度が完璧すぎるだろう……」
「見様見真似にございます。(奥御殿の窓から、領民たちの農作業を眺めるのが好きでしたゆえ)」
私は額の汗を拭いながら、事もなげに答えた。
子供たちはキャッキャと笑い声を上げながら、大きな石を協力して転がしたりミミズを見つけて騒いだりしている。
泥だらけになって無邪気に土と戯れる彼らの姿を見ていると、私の胸の奥で、微かな痛みが甘く疼いた。
(……忠隆、興秋、忠利。それに、娘たち)
大坂の細川屋敷に遺してきた、私の愛しき子供たち。
石田の軍勢に取り囲まれ、私が自ら命を絶つ決意をしたあの夜。
子供たちを屋敷から逃がすことはできたが、その後の行く末を見届けることは叶わなかった。
彼らは無事に戦国の世を生き延び、立派な大人になっただろうか。
時折、私のことを思い出してくれているだろうか。
私は手元の鍬を止め、そっと目を伏せた。
決して戻れぬ過去。
触れることの叶わぬ我が子たちへの、断ち切れぬ未練と祈り。
「お姉ちゃーん! ここ、すごく綺麗になったよ!」
不意に、孤児院の小さな女の子が泥だらけの手を振って私を呼んだ。
その屈託のない笑顔に、私はハッと我に返った。
(……ええ、そうです。悲しみに暮れている暇などありませぬ)
私は顔を上げ、優しく微笑み返した。
過去の我が子たちを抱きしめることはできない。
だが、今私の目の前には、私が稼いだ対価で養うことのできる小さな命たちがあるのだ。
「見事な働きです! さあ、もう少しで陣立て(畑)が完成しますよ!」
私は再び鍬を握り直し、子供たちと共に土まみれになって秋の陽光の下を駆け回った。
* * *
夕暮れ時。
手付かずだった裏庭は、見事に耕され、等間隔の美しい畝が連なる立派な『薬草園』へと変貌を遂げていた。
「皆様、本日は誠に大儀であった。これが約束の恩賞(知行)です」
私は井戸の水で手を洗い、子供たち一人一人の小さな掌に、光る銅貨とクレアの店で買っておいた甘い菓子パンを握らせていった。
「わあ、ありがとうお姉ちゃん!」
「すっごく楽しかった! また手伝いに来ていい?」
パンを頬張りながら、目をキラキラさせて喜ぶ子供たち。
「ええ、いつでもいらしてください。我が陣は、そなたたちをいつでも歓迎いたします」
子供たちがヨゼフ殿に引率されて帰っていく後ろ姿を、私は縁側に腰掛けて静かに見送った。
足元では、力仕事を満喫したシロが気持ちよさそうに丸くなって眠っている。
私はただの大名家の姫であり、戦の駆け引きも、領地を治める政の苦労も、すべては奥御殿で殿方から見聞きした知識の引き出しにすぎなかった。
金銀や米がどこから来るのか、家臣や領民を養うということがどれほどの重みを持つのか本当の意味では知らなかったのだ。
だが今。
私は自らの足で土を踏みしめ、知恵を絞り自らの稼ぎで小さき民(子供たち)に報酬を与え彼らの笑顔を引き出した。
「……領主として民を養うとは、かくも誇らしく、温かな喜びに満ちたものなのですね」
私は微かに筋肉痛の走る腕をさすりながら、満足げに微笑んだ。
かつて父や夫が命を懸けて守ろうとしていたものの欠片をこの異世界のスローライフの中で、少しだけ理解できた気がした。
高く澄んだ秋の夜空には、一番星が静かに瞬き始めている。
私の治める『小さな領地』は、温かな人々の繋がりと共に、少しずつ、しかし確実にその根を広げているのだった。




