#27
クレアの風邪もすっかり癒え、修道院跡地にいつもの穏やかな日常が戻ってきたある日のこと。
我が陣に、マダム・ベアトリスの使いの者が一通の封書を届けてきた。
上質な羊皮紙に金色の蝋印が押された、いかにも高貴な書状である。
「お茶会への招待状、ですか」
私が書状を読み上げると、遊びに来ていたクレアが「貴族のお茶会!? すごいよガラシャちゃん!」と目を輝かせた。
書状によれば、先日ベアトリス様が買い占めていかれた私の『軟膏』が、貴族の奥様方の間で「肌の艶まで良くなる魔法の薬」として大評判になったらしい。(※恩寵は極力抑えたはずなのだが、完全には消し去れなかったのかもしれない)。
つきましては、その製作者である私を、ベアトリス様主催の茶会に特賓として招きたいとのことだった。
「ただのお茶会ではありませんね。大名家の妻たちが集う密談……すなわち情報戦の陣にございます」
私は手紙を静かに折りたたみ、凛と顔を上げた。
「女たちの腹の探り合い。一歩間違えれば致命的な失言となり、我が陣の存亡に関わります。決して遅れは取りませぬ」
「いや、ただの優雅なお茶会だと思うけど……」
クレアの呆れたような呟きを聞き流しつつ、私は外交戦に向けた身支度を始めた。
* * *
数日後。
私はベアトリス様が手配してくれた馬車に揺られ、彼女の豪奢な邸宅へと向かっていた。
今日身に纏っているのは、先日サロンで買い与えられた淡い水色のドレスと、真珠の首飾りである。美しい絹やレースがふんだんに使われた見事な代物だが、日ノ本の小袖とは勝手が違う。
(……いと、落ち着きませぬ。)
私は馬車の中で、少しばかり頬を染めて、開いた首元を隠すように扇を当てた。
三十七歳の魂を持つとはいえ、このような華やかな異世界の装いには、まだ恥じらいを覚えてしまう。まだ私も女性だ。
邸宅に到着し、従者に案内されて茶会の広間へと向かう。
扉の向こうからは、コロコロとした上品な笑い声や、絹の衣が擦れる音が聞こえてきた。
(さても。私はしがない田舎の薬師。悪目立ちして貴族の皆様の不興を買わぬよう、今日は『壁の花』として徹底的に気配を消すことにいたしましょう)
私は心の中で固く決意し、深く息を吸い込んでから、静かに扉の向こうへと足を踏み入れた。
――しかし。
広間に足を踏み入れた瞬間、ざわめいていた空間が水を打ったように静まり返った。
「あら……」
「まあ……」
集まっていた十数人の貴族の夫人や令嬢たちが、一斉に言葉を失い私に視線を釘付けにしている。
(おや? やはり、平民がこのような場にいるのは場違いだったでしょうか)
私は少し焦りつつも、決して動揺を表には出さず、静かに伏し目がちに広間の端へと歩みを進めた。
着物の裾を乱さぬ完璧なすり足。
背筋を真っ直ぐに伸ばした姿勢。
いかなる視線も柔らかく受け流す、優雅な目線の配り方。
そして、手元の扇を滑らかに遊ばせる所作。
私にとっては、大名家の正室として幼き頃より魂に叩き込まれた「息をするように当たり前の礼法」にすぎなかった。
だが、その洗練され尽くした『気配の消し方』は、かえって異世界の貴族たちにとっては、圧倒的な気品と只者ならぬオーラとなって放たれていたのだ。
「……ど、どこの王族の姫君でして?」
「あの隙のない歩き方、そして扇の扱い……王宮の筆頭礼儀作法官でもあのように美しくは舞えませんわよ!」
夫人たちがヒソヒソと、しかし興奮気味に囁き合っている。
そこへ、ベアトリス様が満面の笑みで進み出てきた。
「皆様、ご紹介するわ。こちらが今話題の『小さな薬師』、ガラシャよ」
「お初にお目に掛かります。しがない町娘、ガラシャと申します」
私が深く、完璧な角度で一礼をすると、夫人たちは「町娘!? 嘘でしょう!?」と一斉に扇で口元を覆った。
壁の花作戦は、開始数秒で完全に瓦解していた。
* * *
茶会が始まり、私は特賓としてベアトリス様の隣の席に案内された。
目の前には、芳醇な香りを漂わせる紅茶と、色とりどりの美しい焼き菓子が並べられている。
「ガラシャ、ご出身はどちらなの? そのような美しい所作、一体どこの宮廷で学ばれたの?」
「私どもの商会でも、ぜひあなたのお薬を取り扱わせていただけないかしら?」
四方八方から飛んでくる質問の矢を、私は「遠い東の辺境の出にございます」「薬草の知識は、自然の理から学んだのみです」と、柔らかな微笑みと共に一つ一つ丁寧に躱していく。
やがて、話題はテーブルに並べられた美しい茶器へと移った。
「本日のティーカップは、ベアトリス様が東方の小国から取り寄せられた特注品だとか。本当に見事な焼き物ですわね」
一人の夫人が、手に持った白磁のカップをうっとりと眺める。
私も自らの前に置かれたカップを両手で包み込むように持ち上げ、静かにその景色を愛でた。
その瞬間。
私の中の『茶の湯』の精神が、不意に目を覚ました。
生前、私は夫の忠興様と共に、天下の宗匠・千利休殿から直々に茶の教えを受けたことがあった。
「和敬清寂」。
主客一体となり、互いを敬い、心静かにその一瞬の空間を分かち合う極意。
「……ええ。誠に見事な南蛮渡来の焼き物にございます」
私は茶器をそっと傾け、光の当たり具合を確かめるように目を細めた。
「薄く滑らかな白磁の美しさは言うに及ばず。しかし……私が惹かれますのは、こちらの縁にあるわずかな釉薬の垂れと、手にした時の微かな歪み」
「えっ? ゆ、歪み?」
私は茶器を慈しむように指先でなぞり、静かな熱を帯びた声で語った。
「完璧な左右対称にはない、作為なき自然の景色。これぞまさしく『侘び寂び』の美。不完全なものの中にこそ、神仏の御業にも似た無限の小宇宙が宿るのでございます。このような名品で茶を頂けるとは、真の眼福に存じます」
「…………」
「…………」
私が数寄者の様な品評を真顔で放つと、貴族の夫人たちは再び水を打ったように静まり返った。
(……おや。流石に言葉選びを間違えてしまいましたか)
私は少し冷や汗をかいたが、次の瞬間、夫人たちの瞳に尊敬と感嘆の光が燃え上がった。
「す、素晴らしい……! 私たちはただ『高いから美しい』としか見ていなかったのに、グラティア様は器の『魂』まで見抜かれるのね!」
「不完全なものの中にこそ宇宙が宿る……なんて深く、哲学的な美意識なのかしら!」
「ああ、彼女はやはり只者ではないわ! 聖女の生まれ変わりに違いない!」
夫人たちは完全にひれ伏し、私を見る目が「珍しい薬を作る町娘」から「高貴で底知れぬ教養を持つ御方」へと変わっていた。
(……はて。千利休殿の教えをそのまま述べただけなのですが)
私は困惑しつつも、出された紅茶を『一期一会』の心で味わい、静かに微笑みを返すしかなかった。
* * *
結果として、この日のお茶会は大成功に終わった。
私の完璧な礼法と、相手を思いやる受け答えにすっかり魅了された奥様方から、「ぜひ私共の屋敷にも薬を!」「うちの商会が専属で卸したいわ!」と、莫大な数の注文が殺到したのである。
「ふふっ。私の目に狂いはなかったわ。ガラシャ、あなた本当に最高よ」
ベアトリス様も、自分の見込んだ娘が貴族社会で絶賛されたことに、この上なくご満悦の様子であった。
夕暮れ時。
私は再び馬車に揺られ、大量の茶菓子のお土産と共に修道院跡地へと帰還した。
「ヒィン……姫君、無事のご帰還、安堵いたしましたぞ」
尻尾を振って出迎えてくれたシロの頭を撫でながら、私はホッと深い息を吐いた。慣れないドレスのせいか、少し肩が凝っている。
「ええ。戦わずして勝つ、見事な外交戦にございました」
私は夕焼け空を見上げ、満足げに微笑んだ。
貴族たちという強固な同盟国(上顧客)を大量に獲得し、新たな『座(同業者組合)』の如き繋がりを得た。
これによって、小さな薬師の商いは、今後ますます盤石なものとなるだろう。
「しかし……これほど多くの注文を受けたからには、これまで以上に薬を作らねばなりませんね」
私は胸元のロザリオに触れ、気を引き締めた。
恩寵に頼り切るだけでなく、クロエ教授やヨゼフ殿のもとで、さらなる薬草の理を学ばねばならない。
平和な日常は、思いのほか忙しく、そして賑やかな広がりを見せている。
私は脱ぎ捨てたドレスを丁寧に畳み、明日からの勉学と労働に向けて、静かに闘志を燃やすのであった。




