#22
私はクレアの案内に従い、街の中心部にある壮麗な石造りの建造物を見上げていた。
正面には天秤を模した巨大な紋章が掲げられている。
この聖都サン・マリアンヌにおけるあらゆる商いを統括する中枢。
『商務院(商業ギルド)』であった。
「いよいよですね。いかなる厳しい尋問や身体検査があろうとも、このガラシャ、決して遅れは取りませぬ」
私は腰に提げたレイピアの柄にそっと手を添え、戦地に赴く武将の如き悲壮な覚悟で息を吐いた。
未知の関所を越え、己の生業の認可を得るのだ。
賄賂を要求されるか、はたまた力試しと称して屈強な門番と立ち合うことになるやもしれぬ。
「……ガラシャちゃん、ここはお城の地下牢じゃないからね? 普通の役所だから、武器なんて握りしめないでよ」
クレアに手を引かれて足を踏み入れた商務院の内部は、私の予想を大きく裏切るものであった。
吹き抜けの広々とした空間に、いくつもの窓口が整然と並び、商人や職人たちが静かに書類の束を片手に列を作っている。
そこには血の匂いも、殺気立った野伏の姿もない。
入り口の案内係から番号が記された木札を渡され、私たちはふかふかの長椅子でおとなしく順番を待つこととなった。
(……さても。商人の集う場所と聞き、荒々しい市場を想像しておりましたが、拍子抜けするほどに理路整然とした陣立てですね)
私は少しばかり肩透かしを食らった気分で、行儀よく膝の上で両手を重ねた。
やがて私の番号が呼ばれ、奥の面談室へと通された。
机を挟んで向かい合ったのは、商務院の受付を担当する若き文官であった。
銀縁の眼鏡をかけ、神経質そうに眉間を寄せたその青年の名札には『セオドア』と記されている。
「新規の薬師登録ですね。本日は商品の審査と、聖都における商いの規則についてご説明いたします」
セオドア殿は手元の書類を揃え、淡々とした口調で語り始めた。
「まず、この聖都で商いを行う者は、皆一様に商務院への登録と、売り上げに応じた『税』を納める義務が生じます。この税は、街の防衛隊の維持費や、城壁の修繕、孤児院への寄付など、聖都の平和と安寧を保つために使われます」
(なるほど)
私は深く頷いた。
「大聖堂や防衛隊への『矢銭』、および兵糧米の供出というわけですね。我が城の安全を保証してくださるのですから、その程度の軍資金、喜んで負担いたしましょう」
「……やせん? ぐ、軍資金? いや、税金ですが」
セオドア殿が眼鏡の奥の目を瞬かせたが、私は構わず先を促した。
要するに、領主への年貢である。理にかなっている。
「コホン。次に、商会間の『販売区画(縄張り)』についての取り決めです」
セオドア殿は気を取り直し、聖都の地図を広げた。
「既存の薬師ギルドや、他の商店との無用な争いを避けるため、許可された区域以外での勝手な露店販売や、強引な押し売りは厳しく禁じられております。万が一、他者の販売区域を荒らした場合は、営業停止処分となりますのでご注意を」
(ふむ。実に分かりやすい法度です)
戦国の世においても、商人の同業者組合である『座』の特権や、他国との国境の線引きは極めて重要であった。それを破ることは、すなわち他家の領地への侵略を意味する。
「承知いたしました」
私は真っ直ぐにセオドア殿を見据え、凛とした声で宣誓した。
「他家の領地にみだりに乱入せぬよう、不可侵条約を遵守いたします。疑われぬよう国境には目印の柵を設け、必要とあらば密偵を放って他商会の動向を探り、我が領土の防衛に努めましょう」
「…………はい?」
セオドア殿の持っていた羽根ペンが、ピタリと止まった。
「国境……? 密偵……? い、いや、ただご近所の薬屋さんと揉めないようにしてほしいというだけでして……。なぜこの可憐な少女は、スラムの元締めか、好戦的な言葉を使うのですか!?」
セオドア殿が頭を抱えて混乱し始めたため、隣に座っていたクレアが慌てて身を乗り出した。
「あ、あの! この子、辺境のすごく厳しいお家の出身で、ちょっと言葉のチョイスが物騒なだけなんです! ちゃんとルールは守りますから!」
「はあ……まあ、規則を理解してくださったのなら結構です」
セオドア殿は疲れたようにため息を吐き、書類にいくつか書き込みをした。
「では、最後に品質の審査を行います。販売を予定している薬の試作品を提出してください。粗悪品や、人体に害を及ぼす呪薬の類は認可できませんので」
「はい。こちらにございます」
私は袖口から、昨日シロと森で採取した月光草で作った『軟膏』の入った小瓶を取り出し、机の上に置いた。
恩寵(祈り)を極限まで抑え、発光しないように細心の注意を払って練り上げた自信作である。
セオドア殿は小瓶を受け取ると、専用の魔道具(虫眼鏡のようなもの)を取り出し、軟膏の色や匂い、魔力の波長を慎重に調べ始めた。
やがて、彼の眉間に刻まれていた皺が、驚きとともにふっと解けた。
「……素晴らしい」
セオドア殿は感嘆の声を漏らした。
「不純物が一切なく、薬草の有効成分だけが完璧に抽出されている。それに、微かに宿るこの神聖な魔力……。これほどの高品質な傷薬、大聖堂の熟練の錬金術師でもそうそう作れるものではありません。文句なく、特級の認可を下しましょう!」
「お気に召して、光栄の至りに存じます」
私は優雅に微笑み、小さく頭を下げた。
己の手で作ったものが正当に評価されるのは、やはり誇らしいものだ。
(審査員殿の目は確かなようです。ならば、我が陣の最高の『秘薬』も、この商務院の覚えめでたくなるやもしれませぬ)
完全に気を良くした私は、更なる恩賞(評価)を求めて、背負っていた籠に手を伸ばした。
「ちなみに審査員殿。こちらは平時の民草向けですが……戦場に立つ兵や、瀕死の重傷を負った者向けに、さらに効能を高めた『特製陣中食(裏メニュー)』もございますのよ」
(審査員殿って私の事かな??)
私がそう言って取り出したのは、例の竹筒であった。
隙間からシュウシュウと怪しげな音を立て、不気味な暗緑色の光がチカチカと漏れ出している。
「な、なんですかそれは!? 薬というより、怨念の詰まった汚泥にしか見えな……」
セオドア殿が顔を引き攣らせて叫びかけた、その瞬間。
「ああっ!! ストップ!! これは非売品です!!」
クレアが目にも留まらぬ速さで私から竹筒をひったくり、籠の奥深くに封印した。
「ガラシャちゃん、ダメだってば! それ出したら品質審査どころか、異端審問にかけられちゃうから!!」
「おや、いけませんか。アーサー殿の腹の穴も塞いだというのに」
「アーサー様が白目を剥いて気絶したことは内緒にしておいてあげて!!」
クレアの必死の(そして完璧な)フォローにより、裏メニューの存在は無事に隠蔽された。
セオドア殿は狐につままれたような顔をしていたが、ともかく軟膏の品質は本物であったため、彼は咳払いをして一枚の羊皮紙を取り出した。
「こ、コホン。……ともあれ、審査は合格です。これより、あなたを商務院認定の薬師として登録いたします」
美しい飾り文字で『薬師・ガラシャ』と記され、商務院の正式な蝋印が押された認可証が、私の手に渡された。
「かたじけなく存じます」
私はその羊皮紙を、まるで宝物のように両手で受け取った。
法に従い、税を納め、正当な権利を得て商いをするということ。
それは、私がこの聖都サン・マリアンヌという巨大で平和な共同体(陣)の、正式な一員として認められたという証であった。
奥御殿に囚われていた前世では決して持ち得なかった、社会との繋がり。
「よかったね、ガラシャちゃん!」
商務院の立派な門を出て、クレアが弾けるような笑顔で祝福してくれた。
「ええ。ひとえにあなたのおかげです、クレア」
私は認可証を胸に抱き、秋晴れの空を見上げた。
戦国の姫君から、異世界の小さな薬師へ。
私の新たな戦い(商い)が、今、確かな産声を上げたのである。
「そういえば今日の服装はその”オキモノ”(小袖)?? なんだね、久しぶりにガラシャちゃんのその姿見たかも」
「ええ、大事な日でしたので」




