#19
ステンドグラス越しに降り注ぐ七色の光が、大聖堂の冷たい石床に美しい紋様を描き出していた。
荘厳な静寂に包まれたこの場所は、かつて私が知る南蛮寺よりも遥かに広大で、天上の国を思わせる造りであった。
「……己の身を自分で守る術を、身につけたいと?」
大聖堂の片隅、書物庫の整理をしていたヨゼフ殿とシスター・エララ殿は、私の申し出を聞いて、揃って目を丸くした。
「ええ。この平和な聖都で、皆様が私によくしてくださることは重々承知しております。ですが、昨日街で冒険者の方々をお見かけし、ふと思ったのです。私はいつまで、他者の庇護のもとで安穏と暮らしているつもりだろうかと」
私は袖の前で両手を重ね、真っ直ぐに二人を見つめた。
「私の平和は、私の手で守る。誰にも縛られぬ自立した生活を送るためには、外敵たる『魔物』を退ける最低限の備えが必要かと存じます」
私の決意の固さを悟ったのか、ヨゼフ殿はほうと息を吐き、エララ殿は眼鏡の位置を直して小さく頷いた。
「ガラシャさんの仰ることも一理あります。魔物が街の中まで入ってくることは稀ですが、万が一の備えがあるに越したことはありませんからね」
「しかし、お嬢ちゃん。自衛の術と言っても、具体的にどうするつもりだい? その華奢な腕で、騎士が持つような大剣や重い槍を振るうのは無理があるだろう」
ヨゼフ殿の指摘は極めて的を射ていた。
「おっしゃる通りです。力任せの武具は、私の体格には不向き。ならば……」
私は胸元のロザリオにそっと触れた。
「『魔法』はいかがでしょうか。私は少しばかり祈りの力が強いようですから、それを魔物を討ち払う攻撃に転用できないかと画策しているのですが」
その言葉を聞いた瞬間、エララ殿の顔色が変わった。
「魔法……。ガラシャさん、あなたはご自分の力がどのようなものか、正しく理解していますか?」
エララ殿は、真剣な面持ちで私を近くの長椅子へと促した。
「この世界で力を行使する術には、大きく分けて二つの理があります。一つは『魔術』。これは、世界の法則や元素の理を学び、自らの魔力と思索を巡らせて事象を操作する力です。いわば、学問と修練によって後天的に獲得する技術ですね」
「魔術は、理を理解して操作する力……」
(なるほど。それはまるで、兵法を学び、地形や天候を読み解いて軍を動かす軍師の采配のようなものですね)
「そしてもう一つが『奇跡』、あるいは『信仰』と呼ばれる力。これは、大聖堂に祀られる慈愛の女神や、高次元の存在に対して祈りを捧げ、その繋がりから力を『借りる』ものです。ガラシャさんの力(『恩寵』)は、間違いなくこちらの最上位に属します」
エララ殿の解説に、私は深く合点がいった。
自らの力ではなく、大いなる存在との繋がりによって賜る強大な力。
それは武家社会に当てはめれば、忠義を尽くした家臣が、絶対的な権力を持つ主君から賜る『恩賞』や『御威光』に等しい。
「私の力は、神仏の御威光……。ならば、その莫大な恩寵の光を、癒やしではなく、例えば魔物を焼き払う極光の槍として撃ち出すことも可能ではありませぬか?」
私が真顔で戦術的応用を提案すると、ヨゼフ殿とエララ殿は同時に悲鳴を上げた。
「やめて!! お嬢ちゃんのその異常な出力で攻撃魔法なんて撃ったら、魔物どころか街区が一つ吹き飛ぶよ!!」
「そ、そうです! ガラシャさんの『奇跡』はあくまで癒やしと浄化! それに……」
エララ殿は声をひそめ、周囲を警戒するように見回した。
「その規格外の恩寵の力は、大聖堂の中枢にも絶対に他言無用です。もし異端審問官や、権力を欲する貴族の耳に入れば、あなたは争いの道具として利用されることになりますからね」
「……承知いたしました。私の過剰な恩寵は、あくまで陣中食の仕込みと、庭の肥料程度に留めておきましょう」
私は静かに頷いた。再び誰かの手駒として政争の具にされるのだけは御免である。
魔法による攻撃を断念した私に、ヨゼフ殿が疲れたように言った。
「……とにかく、お嬢ちゃんの自衛は『物理的な護身用の武器』を持つのが一番安全だ。エララ君、すまないが彼女の武器選びに付き合ってやってくれないか? 一人で行かせたら、また何を買ってくるか分かったもんじゃない」
「えっ、私がですか? ……はあ、分かりました」
* * *
大通りから少し外れた職人街の一角に、目当ての『装備屋』はあった。
鉄を打つ匂いと、油の匂いが混ざり合う店内には、大小様々な剣や槍、鈍く光る鎧が所狭しと並べられている。
「いらっしゃい。……おや?」
奥から出てきたのは、豊かな髭を蓄え、丸太のように太い腕を持つ屈強な店主であった。本で学んだドワーフと呼ばれる種族だろうか。
店主は、修道女のエララ殿と、白地の小袖風の服に身を包んだ私の姿を見て、目を丸くした。
「こりゃあ珍しい客だ。大聖堂のシスターと、深窓の令嬢みたいな嬢ちゃんが、こんなむさ苦しい店に何の用で?」
「あ、その、大聖堂の用事でして……彼女の護身用となる、軽く扱える品を探しているのです」
エララ殿が見事に誤魔化してくれた。店主は「なるほど、自衛の心は大事だからな」と納得し、店の奥へと案内してくれた。
私は店内を歩きながら、異世界の武具の数々を興味深く観察した。
(素晴らしいですね……)
日ノ本における実用本位の当世具足や打刀とは趣が異なる。
西洋風の甲冑には細やかな装飾や金象嵌が施され、武器には魔力を通すための美しい宝石(魔石)が嵌め込まれているものもある。
美しさと機能が同居した、見事な職人技であった。
私は和歌や茶器を愛でるような純粋な感嘆をもって、それらの武具を眺めていた。
「嬢ちゃんみたいな華奢な腕なら、こいつはどうだい?」
店主が一本の剣をカウンターに置いた。
それは『レイピア』と呼ばれる、刃を持たず、針のように細く鋭い切先だけを持つ剣であった。柄には美しい銀の細工が施されている。
「ほう……」
私はその剣を手に取り、静かに構えた。
羽のように軽く、重心が手元にあるため、手首の返しだけで素早い連撃が繰り出せそうだ。
「お気に召しましたか、ガラシャさん?」
エララ殿が安堵したように微笑む。
「ええ。素晴らしい名品です」
私は刀身の輝きに目を細め、静かな、しかし確かな熱を帯びた声で言った。
「これほど刀身が細く鋭利であれば、いかに分厚い南蛮胴(鎧)を着込んだ相手であろうと、関節の鎖帷子の隙間を的確に貫くことができます。また、兜の目穴から脳天へと真っ直ぐに刃を差し込めば、一撃で事切れるでしょう。非力な女の護身用――いえ、暗殺用としては、これ以上ないほど理にかなった『懐剣』ですわ」
「…………」
「…………」
武具屋の店内は水を打ったように静まり返った。
屈強な店主は顔を引き攣らせて一歩後ずさり、エララ殿は限界まで目を見開いて胃のあたりを強く押さえていた。
(……おや。またしても、素直な感想を口に出して引かれてしまいましたか。少しだけ、意地悪してしまったかもしれません……。)
「こ、コホン。店主殿、私はこれをいただきたく存じます」
私が気まずさを隠すように微笑みながら銀貨を差し出すと、店主は「あ、ああ……嬢ちゃん、怒らせると一番怖いタイプだな……」と震える声で金を受け取った。
店を出て、腰に細身の剣を提げた私は、不思議な高揚感に包まれていた。
これは、誰かに与えられた飾りの剣ではない。
私自身の意志で選び、私の足で立つための「護身の刃」である。
「ガラシャさん……くれぐれも、その剣で人の目穴を突いたりしないでくださいよ……」
げっそりとした顔のエララ殿に、「ええ、峰打ち……いえ、柄で打ち据える程度に留めますわ」と物騒な約束を返しつつ、私は秋の空を見上げた。
ただ奥御殿で祈り、誰かに守られるだけの姫君の時代は終わった。
私は今日、この平和な世界で自らの足で立ち、己の城を守り抜くための小さくも確かな一歩を踏み出したのである。




