#15
柔らかな日差しが差し込む修道院跡地の縁側で、私は先日購入した青い絹糸を使い、白地の布に桔梗の花を縫い取っていた。
針を進めるたびに、幽閉生活の中で心を静めるために費やした長い時間が思い出される。だが、今の私を包んでいるのは冷たい絶望ではなく、ただ穏やかな静寂であった。
「――ごめんください。ガラシャ君、いるかい?」
門の跡地から声がして顔を上げると、そこには見知った顔が二つあった。
一人は、いつものように胃のあたりを押さえているヨゼフ殿。
そしてもう一人は、磨き上げられた白銀の甲冑を身に纏い、真っ直ぐに背筋を伸ばして立つ青年騎士であった。
「……あ」
私は針を置き、微かに息を呑んだ。
先日、市場で血みどろになって倒れ込んできた聖騎士、アーサー殿である。
泥と血の汚れを落とした彼の顔立ちは、理知的で、眉間には生真面目さを物語る薄い皺が刻まれていた。
その佇まい、そして何より、己の命を削ってでも大儀に尽くそうとする「義」の気配。
それは、私が幼き日に憧憬の眼差しで見上げていた、若き日の父・明智光秀にあまりにも似ていたのだ。
(父上……)
別人であることは百も承知である。
それでも、理不尽な運命に散った誇り高き父の面影をこの異世界の青年の中に見出し、私の胸の奥に熱いものが込み上げてきた。
私は立ち上がり、武家の女としての最上級の礼をもって彼を出迎えた。
「よくぞお越しくださいました、アーサー殿。お怪我の具合はもうよろしいのですか?」
「ああ。君の……あの《《地獄の業火》》のような劇薬のおかげで、傷一つ残っていない。今日はその礼に伺ったのだ」
縁側に腰掛けたアーサー殿に、私は白湯の入った木杯を差し出した。
(先日の劇マズポーションの記憶が蘇ったのか、彼は木杯の中身を不審そうに覗き込んでいたが、ただの湯だと分かると安堵の息を吐いていた)
「それで、ガラシャ殿」
一口喉を潤したアーサー殿は、真剣な眼差しで私を見た。
「これほどの神話級の霊薬を作り出せる君は、一体どこから来たのだ? 聖都の者ではないのだろう?」
クロエ教授に聞かれた時と同じ問いである。私は手元に視線を落とし、静かに微笑んだ。
「私は、遠い辺境の没落した武家……いえ、騎士の家の出にございます。お家騒動により身内を失い、一人でこの聖都へ流れ着いたのです」
史実を上手く異世界の言葉に変換して伝えると、アーサー殿は痛ましそうに目を伏せた。
「そうであったか……。すまない、辛いことを聞かせてしまったな」
「いいえ、すでに過去のことゆえ。……それよりも、アーサー殿」
私は話題を変えるべく、彼の纏っている白銀の甲冑へと視線を向けた。
「そのお姿、先日は泥に塗れておられましたが、実に立派な装甲ですね。いかなる鍛冶仕事によるものか、少し拝見してもよろしいでしょうか」
私がまじまじと見つめると、アーサー殿はなぜか少し頬を染め、「あ、ああ、構わないが……」と視線を泳がせた。
十五歳の娘に熱い視線を送られ、照れているのだろう。
だが、私の頭の中はまったく別の思考に支配されていた。
(……見事な南蛮胴(西洋甲冑)です。正面からの太刀打ちでは、刃も矢も通りますまい。これほど重厚な装甲を持つ相手と対峙した場合……)
私の眼差しは、無意識のうちに鋭く冷たい「戦」のそれへと変わっていた。
(喉元や脇の下、膝の裏など、関節を繋ぐ鎖帷子の隙間を短刀で的確に突くのが上策。あるいは、この重さを逆手に取り、泥濘に誘い込んで体力を奪う持久戦に持ち込むべきか……)
私は真顔で、アーサー殿の首筋や脇腹の隙間をじっと見定めた。
「見事な普請……いえ、造りですね。これならば、火縄銃の弾をも弾き返せましょう」
「ひなわ、じゅう……?」
「あっ」
アーサー殿が首を傾げた瞬間、私は我に返った。
(いけません! またしても無意識に殺傷の算段を立ててしまいました! 私は平和な町娘として生きると決めたはずなのに、武家の血が騒いでしまうとは!)
私は己の天然の業の深さに絶望し、真っ赤になって顔を覆った。
「ど、どうかしたのか、ガラシャ殿?」
「い、いえ! 何でもありませんわ! 素晴らしいお召し物だと感嘆しておりましたの!」
私が必死に取り繕っていると、背後で控えていたヨゼフ殿が「お嬢ちゃん、また変なスイッチが入ってたね……」と小声でツッコミを入れていた。
咳払いをして気を取り直したアーサー殿は、居住まいを正した。
「さて、今日の本題だが。先日の命を救ってもらった礼をさせてほしい。あの霊薬、金貨何十枚にも値する代物だろう。私の蓄えで足りるかは分からぬが……」
「お代など不要です」
私は即座に首を振った。
「私はあの時、ただ一人の誇り高き騎士の無事を祈ったのみ。金銀の類を求めて陣中食を差し出したわけではございません」
「しかし、それでは私の騎士としての誇りが……『義』が立たない」
アーサー殿は頑なであった。その真っ直ぐな瞳は、やはり父・光秀を彷彿とさせる。
彼は周囲を見回し、修道院跡地のひび割れた石壁や、雨漏りの跡が残る天井を見上げた。
「ガラシャ殿。金を受け取らぬというのなら……せめて、この修道院の補修を私に任せてはくれないだろうか」
「補修、ですか?」
「ああ。冬が来れば、この隙間風では凍えてしまうだろう。私には防衛隊に出入りしている腕のいい職人のつてがある。費用はすべて私が出そう。……いや、出させてくれ。命の恩に比べれば、安いものだ」
アーサー殿は深く頭を下げた。
これほどの大掛かりな普請を無償で受けさせるなど、武家の礼節に反する。
私は固辞しようと口を開きかけたが、彼の真っ直ぐな背中を見て、ふと思い留まった。
(これほどまでに義理固いお方。ここで私が意地を張れば、彼はずっと重い負い目を背負い続けることになりましょう)
武士の顔を立てるのも、また人の道である。
私はそっと目を伏せ、優雅に微笑んだ。
「……かたじけなく存じます。アーサー殿のその真っ直ぐなお心、ありがたく頂戴いたしますわ」
「本当か! よし、では早速明日から職人を手配しよう!」
アーサー殿はパッと顔を輝かせ、少年のように相好を崩した。
その笑顔を見て、私もまた胸の奥が温かくなるのを感じた。
修道院跡地を「家」にするための準備。
ベッドや机だけでなく、いよいよ雨風を完全にしのげる、本当の意味での「私の城」ができあがろうとしている。
異界の空の下、父の面影を持つ青年騎士の厚意に包まれ、私の静かなる異世界生活は、また一つ確かな基盤を築き始めていた。




