#14
「お嬢さん!! ここか!? この修道院の跡地に、その伝説の植物が!?」
学術院の白衣を翻し、クロエ教授は、凄まじい膂力で私の腕を引きずりながら、街外れの我が家へと滑り込んだ。
背後からは、荷物持ちとして待機していたはずのシロが物騒なことを吠えながら、砂埃を上げて追いかけてきている。
「ええ、ここが私の住まいにございますが……」
私が乱れたスカートの裾を上品に払い、息を整え終えるよりも早く、クロエ教授は庭の光景を目の当たりにして完全に硬直した。
そこには、私の背丈ほどに異常発育し、白昼堂々チカチカと不気味な光を放つ薬草の群生。そして、昨日植えたばかりの桔梗に似た花たちが、風に揺れながら「〜〜〜♪」と美しいソプラノの美声で賛美歌を合唱している、まさに百花繚乱の惨状……もとい、見事な庭園が広がっていた。
「…………っ!!」
クロエ教授の眼鏡の奥の瞳が、限界まで見開かれる。
彼女はワナワナと震える手で己の顔を覆うと、突如として天を仰ぎ、歓喜の雄叫びを上げた。
「あああああっ! 奇跡だ! あり得ない! 自意識を持って賛美歌を歌う花弁!? 夜でもないのに光魔力を放出し続ける巨大なマンドラゴラ(薬草)の変異種!? 神話時代の文献でしか読んだことのない神聖植物が、なぜこんな聖都の片隅に群生しているんだ!!」
彼女は地を這うような勢いで花壇にすり寄り、愛おしそうに光る葉の匂いを嗅ぎ、歌う花を虫眼鏡で食い入るように観察し始めた。
そのあまりの狂気じみた情熱に、追いついてきたシロが「ヒィン……」と情けない鳴き声を漏らし、私の背後に巨体を隠す。
「教授。あまりお顔を近づけすぎますと、花が驚いて音程を外しますわ」
「お嬢さん!! いや、ガラシャ君!! 君はこの植物たちをどうやって育てた!? 土壌の魔力濃度か!? それとも特異な交配技術か!?」
鼻息を荒くして迫るクロエ教授に対し、私はただ涼やかな微笑を浮かべて首を傾げた。
「特別なことなど何も。ただ少々、日々の肥料(お祈り)が効きすぎてしまっただけですわ。私にとっては、よく育ったおしゃべりな雑草にすぎません」
「これが雑草なら、大聖堂の宝物庫にある霊薬はただの泥水だよ!!」
(おや。私の特製陣中食は、まさにその泥水なのですが)
私は心の中でそっとツッコミを入れつつ、狂喜乱舞する植物学者を見下ろした。
学問の徒が、未知の知識を前にして正気を失う姿はいつの時代も変わらぬらしい。
私は彼女の探求心に深い敬意を表しつつ、静かに交渉の糸口を探った。
「クロエ教授。そのように草花を愛でていただけるのは、庭の主としても喜ばしい限りです。そこで、一つお取引をいたしませんか?」
「取引……? 私にできることなら、何でもするぞ! 学術院の予算を横流ししてでも、この土を買い取りたいくらいだ!」
「大金など不要です。ただ、私にこの世界の『文字』を教えてはいただけないでしょうか。そして、この国の『理』について、いくつかお尋ねしたいことがあるのです」
文字が読めぬということは、戦国の世においては目や耳を塞がれているに等しい。
誰かが意図的に偽りの書状(手紙)を寄越せば、容易く謀略に嵌ってしまう。
他者に頼らず、己の目で情報を読み解く力は、自らの陣(家)を守るための最低条件であった。
私の申し出に、クロエ教授は眼鏡を押し上げ、強く頷いた。
「文字の読み書きと、歴史や常識の教授だな。安い御用だ! その代わり、私はこの庭の植物の採取と、研究の自由を要求する!」
「ええ。お好きに引っこ抜いてお持ち帰りくださいませ」
かくして、私とクロエ教授の間に、奇妙な師弟関係(取引)が成立したのである。
* * *
修道院跡地の縁側に座り、私は白木の盆に乗せたお茶を差し出した。
(前回のシスター・エララ殿のように白目を剥かれては困るので、今回は発光する泥ではなく、ただの薬草を煮出したごく普通の白湯である)
「ありがとう」
一息ついたクロエ教授は、持参していた羊皮紙と炭筆を広げ、まずはこの国の基本言語の文字体系について、丁寧に図解してくれた。
恩寵の力で言葉の概念自体は理解できているため、文字の形と発音の規則性を結びつけるだけで、私の脳内には急速に「読み書き」の力が構築されていく。
「君は本当に飲み込みが早いな。一度教えた規則性を、瞬時に応用している。……君のような聡明な令嬢が、なぜ今まで文字に触れる機会がなかったのか、不思議でならないよ」
「辺境の、少々特殊なしきたりを持つ家におりましたゆえ」
私はお茶を口に運び、柔らかな微笑みで追及を躱した。
「教授。文字については、おおよその理合が掴めました。続いて、この世界の『外敵』についてお伺いしたく存じます」
私は木杯を置き、居住まいを正した。
「先日、クレアという友人が、この聖都は『平和』だと言っておりました。確かに、街路には防壁も鉄砲狭間もなく、民草は皆、穏やかな顔で商いをしております。……しかし」
私は、昨日市場で倒れ込んできた、血みどろの聖騎士(アーサー殿)の姿を思い出した。
「あのように、全身に深い傷を負う騎士がおりました。それに、街を歩けば、白昼堂々から長大な刃(剣)や杖を帯びている者たちに幾度もすれ違います。傷を癒す私の『陣中食』が飛ぶように売れたということは、彼らが常に死地に身を置いているという何よりの証拠」
私は教授の目を真っ直ぐに見据えた。
「人と人が領土を奪い合う戦がないというのに、これほどまでに武力を保持し、血を流している。皆様は一体、何と戦っておいでなのですか?」
私の鋭い問いに、クロエ教授は少し驚いたように目を瞬かせた。
「ああ……君のいた辺境には、ひょっとして『あれ』がいなかったのか。ならば、武装した者が多いことに疑問を抱くのも無理はない」
教授は炭筆を取り、羊皮紙に異形の獣の絵を描いた。
牙を剥き出しにした巨大な狼や、翼の生えたトカゲのような生き物。
「私たちが戦っているのは、人間ではない。『魔物』と呼ばれる、魔力を持った凶悪な獣たちだ」
「魔物……」
(ああ、昨夜シロが迷い込んできた時の、あの漆黒の瘴気(邪気)を纏った恐ろしい姿のことですね)
「彼らは森の奥や山に生息し、時に人里に降りてきては家畜や人を襲う。聖都の城壁は、人ではなく、魔物の群れを防ぐために築かれているんだ」
クロエ教授は絵を指で叩き、さらに言葉を続けた。
「そして、その魔物を狩ることで生計を立てているのが、君が街で見た『冒険者』たちさ。彼らは魔物の素材や討伐報酬を金に換える、自由な戦闘職だ。一方、アーサー君のような『騎士』は、大聖堂や国に忠誠を誓い、民と街の治安を守護する正規軍。役割は違うが、どちらもこの世界の平和を支える盾だよ」
(なるほど)
私は目を伏せ、己の記憶の中にある戦国の価値観と照らし合わせた。
『冒険者』とは、金で雇われ、己の腕一つで戦場を渡り歩く傭兵――雑兵や野伏の類であろう。自由であるがゆえに危険と隣り合わせだ。
そして『騎士』とは、主君に忠誠を誓い、禄を食む正規の『武士』。
民を守るという大儀のために己の命を懸ける、誇り高き者たち。
「合点がいきました」
私は深く頷いた。
「人の同士が殺し合う戦がない代わりに、魔物という強大な『外敵』が存在する。外敵がいるからこそ、人は手を取り合い、聖都という平和な陣(街)を維持できているのですね」
「……陣、という表現は物騒だが、概ねその通りだ」
クロエ教授が苦笑する。
「ですが、魔物が城壁を越えてくる恐れはないのでしょうか? 私が見たところ、城門の備えはあまりに手薄です。ならば、城壁の外側にさらに深い空堀を巡らせ、底に逆茂木と竹槍を敷き詰め、要所には弓兵(魔法使い)を配置する櫓を築くべきかと。私にお任せいただければ、見事な防衛線を普請してご覧に入れますが」
私が真顔でガチの防衛陣地の構築を提案すると、クロエ教授は引いた顔で咳払いをした。
「いや、ガラシャ君。君のその、時々発動する軍事の専門家みたいな物騒な思考は一体何なんだ……? 聖都は『聖なる結界』で守られているから、大群が押し寄せることはない。だからそんなえげつない罠は必要ないんだよ」
「……おや。それは残念です」
私は少しばかり落胆し、袖を下ろした。
せっかく私が培ってきた(父上から学んだ)籠城の知識が活かせると思ったのだが、魔法という理の前では不要の長物らしい。
「ともかく、彼ら冒険者や騎士が体を張ってくれているおかげで、我々はこうして安全に本を読み、植物の研究ができる。君の薬草で作られたポーションが飛ぶように売れたのも、彼らが命を繋ぐために必要としているからだ」
クロエ教授の言葉に、私は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
(戦の形は違えど、守るべき者のために傷つく武士がいる)
父上も、夫であった忠興様も、常に死と隣り合わせの陣中で血を流していた。
武家の女であった私は、彼らの無事を祈りながら、ただ奥御殿で待つことしかできなかった。
しかし今の私には、土を耕し、薬草を育てる手がある。
そして、その泥臭い陣中食が、前線で戦う者たちの命を繋ぐ助けとなっているのだ。
「……とても、意義深い商いですね」
私は庭で輝く巨大な薬草たちを見つめ、静かに微笑んだ。
「私が育てた草花が、名もなき武士たちの陣中見舞いとなり、ささやかな安らぎとなるのであれば。私は喜んで、この泥だらけの畑を耕し続けましょう」
私の達観したような、けれど穏やかな笑顔を見て、クロエ教授はふっと表情を和らげた。
「君は不思議な少女だ。見た目は可憐な十代なのに、時折、何十年も修羅場を潜り抜けてきた賢者のような目をしている」
「気のせいにございますよ、教授」
私は袖口で口元を覆い、コロコロと上品に笑った。
「さて、ガラシャ君。今日から君の庭の植物を徹底的に研究させてもらうぞ。手始めに、そこの巨大なマンドラゴラの変異種を……」
クロエ教授が意気揚々と庭へ降り立った時である。
庭の隅で穴を掘っていたシロが、ブルッと身震いをして振り返った。
その瞬間、クロエ教授の足がピタリと止まった。
「……ん? ちょっと待て」
教授は眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、シロのフワフワの巨体を凝視した。
「君の家で飼っているその白い犬……。先ほどから妙な威圧感を感じていたが、よく見ればその骨格と魔力回路の痕跡。ただの犬ではないな? 森の最深部に棲む『漆黒の魔狼』に極めて近い、いや、それを凌駕するほどの……」
「ただの、いと賢き農具にございます」
私は瞬時にクロエ教授の前に立ち塞がり、見事な営業スマイルで彼女の視界を遮った。
「そういえば教授、あちらの歌う桔梗ですが、高音を出す際に少し魔力が揺らぐようですの。ぜひご照覧あれ」
「な、なんだって!? それは魔力器官の変異による発声の……!」
見事に気を逸らされたクロエ教授は、シロの存在を忘れ再び花壇へと突進していった。
「はあ……肝が冷えたでござる」
背後でシロが安堵の息を吐く。
(さても。文字の読み書きの基礎も得られ、この世界の理も少しずつ腑に落ちてまいりました)
私は縁側で温かな白湯をすすりながら、青空を見上げた。
文字を学び、知識を得ることで、私の異世界でのスローライフは、より確かで豊かなものになっていくはずだ。
庭ではクロエ教授が歌う花に顔を近づけすぎ、高音の賛美歌の振動で「鼓膜が!!」と悲鳴を上げていたが、それもまた、我が家の賑やかで愛おしい日常の一コマであった。




