#12
「……いかに異界の習いとはいえ、やはり、ひどく落ち着きませぬ」
修道院跡地の片隅に立てかけた、ひび割れた姿見の前。
私はそこに映る己の姿を前に、顔から火が出るほどの羞恥に襲われ何度も何度もスカートの裾を下に引いていた。
身に纏っているのは、先日クレアが仕立て屋で見繕ってくれた「普通の町娘の服」である。
淡い若草色のブラウスは、首元が広めに開いており、鎖骨のあたりが露わになっている。さらに深い緑色のスカートは膝下までの丈しかなく焦げ茶色の革靴との間に、白いふくらはぎが惜しげもなく晒されていた。
日ノ本の武家の女にとって、人前でうなじや手足の素肌を見せるなど、貞淑さを捨てるに等しい破廉恥な振る舞いである。
(風が吹くたびに足元がすうすうとして……これではまるで、寝間着のまま外へ放り出されたような気分です)
そわそわと胸元を隠すように腕を交差させていると、「おーい、ガラシャちゃん!」と明るい声がして、門の跡地からクレアが顔を出した。
その後ろには、荷車を引く準備を万端に整えたシロが控えている。
「わあ……! やっぱりその服、すっごく似合ってる! 桔梗のお姫様も綺麗だったけど、今のガラシャちゃんはとびきり可愛い町娘だよ!」
クレアは両手を叩いて満面の笑みを浮かべた。
「そ、そうでしょうか……。布地が足りぬゆえ、いざ襲われた際、致命傷を負いやすくなるのではと気が気ではなく……」
「 《《ここは平和な聖都》》! 今日はお買い物に行くんだから、もっと肩の力抜いて!」
クレアに背中を押され、私は渋々ながらも諦めて歩き出した。
本日の目的は、ポーションの売上で得た金貨を使い、この殺風景な修道院跡地を「人が暮らせる家」にすることである。
* * *
大通りの一角にある、大きな家具屋へと足を踏み入れた。
真新しい木とニスの香りが漂う店内には、見事な細工が施された机や棚、寝台が所狭しと並んでいる。
「まずは食事用のテーブルと椅子だね。ガラシャちゃんの家、古い木箱しかないもんね」
クレアが可愛らしい丸テーブルを眺める中、私の視線は店の奥に鎮座する、ひときわ巨大で無骨な長机に釘付けになっていた。
私はその机に歩み寄り、拳でコンコンと厚い天板を叩いた。
(……素晴らしい。樫の木でしょうか。石のように硬く、並の刃では傷一つ付きますまい)
「クレア。こちらの机になさってはいかがでしょう」
「えっ、それ? すごく大きくてゴツいけど……」
「ええ。これほどの厚みと重みがあれば、火縄銃の弾をも容易く弾き返しましょう。いざ籠城戦となった折には、扉の裏に立てかけることで見事な防盾となります。実戦向きの、実に頼もしい名品ですわ」
私が真顔で太鼓判を押すと、クレアは頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。
「ガラシャちゃん……。私たち、これから最前線の砦を作るの? 違うよね? 女の子の可愛いお部屋を作るんだよね!?」
「油断は禁物です。いつ何時、大軍に包囲されるやもしれませぬ」
「修道院の跡地で誰が包囲戦するの!!」
クレアの悲痛な叫びにより、火縄銃を防ぐ重厚な樫の机は却下された。
代わりに、温かみのある白木の可愛らしい食卓が選ばれる。
続いては寝台である。
私は店主が勧めてくる分厚い寝具を避け、部屋の隅にあった木板の硬い寝台を指差した。
「私はこれで十分です。あまりに背中が柔らかくては、気風が鈍ります。夜襲を受けた際、すぐに飛び起きられるよう、寝床は硬い方が理にかなっておりますゆえ」
「もう、ほんとにこの子は……! ちょっとこっち来て!」
半ば呆れ果てたクレアに腕を引かれ、私は店の中央にあった最高級の寝台へと無理やり押し倒された。
「あっ……!」
背中から落ちた瞬間、私は思わず目を見開いた。
それは、幾重にも重ねられた羽根布団であった。
まるで空の雲にそのまま身を沈めたかのような、底なしの柔らかさと温もりが私の身体をすっぽりと包み込んだのである。
(な、なんと……。背中が、まったく痛くありません)
大坂の豪奢な屋敷でさえ、これほど柔らかな布団で眠ったことはなかった。
味土野の幽閉地にいたっては、隙間風の吹く板間で凍えながら夜を明かしたものだ。
「どう? 気持ちいいでしょ」
クレアが上から覗き込んで、得意げに笑う。
「……人を腑抜けにする、恐ろしい妖術のようです」
私は抗う気力も失せ、そのままふかふかの羽根の中に身を委ねて、小さく息を吐いた。
結局、家具の選定はすべてクレアの主導で行われた。
購入した大量の家具は、店主が「どうやって運ぶんだ?」と呆気にとられる中、シロが「ハッ! 軽きこと羽の如し!」と一匹で荷車に乗せ、猛然と運んでいったのである。
* * *
帰り道、少しだけ日用雑貨の店に立ち寄った時のことだ。
店先に並ぶ鍋や皿の横に、色鮮やかな絹糸と、大小様々な縫い針が並べられた籠を見つけた。
私はふと足を止め、その籠を見つめた。
布を彩り花や鳥を縫い取る刺繍の時間は、幽閉生活の暗闇の中で私が唯一心安らぐことのできる時間であった。
それは戦のためでも、誰かのためでもない。
ただ美しいものを生み出すためだけの行為。
「ガラシャちゃん、お裁縫好きなの?」
クレアが私の視線に気づき、声をかけてきた。
「ええ。……ですが、これは生きるために必要なものではありません。余暇の楽しみに銀貨を使うなど、贅沢が過ぎましょう」
私は静かに首を振り、立ち去ろうとした。
戦国の世では、今日の糧を得ることこそが第一である。
しかし、クレアは私の手を取り、色鮮やかな糸の束を握らせた。
「いいんだよ、ガラシャちゃん」
「クレア……?」
「生きるために必要なものだけ買うのは、ただの『サバイバル』だよ。好きなもの、楽しいものを買って、心に栄養をあげるのが『生活』なんだから。ね?」
その言葉は、頑なに張られていた私の結界を、春の風のように優しく溶かしていった。
(……生活。そうですね、私はここで、暮らしていくのですね)
私は糸の束を握りしめ、頬を緩めた。
「ありがとう。……では、この青い糸と針を、いただいて帰りますわ」
* * *
その日の夜。
修道院跡地の一室は、見違えるように温かな空間へと変貌していた。
窓辺には白木の机と椅子が置かれ、机の上には今日買った刺繍糸が小綺麗に並べられている。
私は、部屋の隅に据えられたふかふかの寝台に身を横たえた。
背中を包み込む羽根の柔らかさと、新しい布の匂い。
窓の外からは、夜風に揺れる花たちが、かすかなソプラノの美声で子守唄を歌っているのが聞こえる。
私は無意識に、右手を胸元へと伸ばした。
寝間着の帯に忍ばせた、護身用の銀の簪である。
どんなに疲れていても、いつ伏兵に襲われても心臓を一突きできるよう、この鋭い凶器を握りしめて眠るのが、私の長年の習慣であった。
だが――。
(ここはもう、戦場ではないのですね)
暗闇の中で目を閉じる。
脳裏に浮かぶのは、今日私に可愛い服を着せ呆れながらも笑ってくれたクレアの顔。そして、庭でいびきをかいて眠るシロの気配。
私の心を満たしているのは、死への恐怖でも、明日への絶望でもなかった。
ただ、柔らかな安堵感だけである。
私はゆっくりと、右手の指先の力を抜いた。
ポロリと。
冷たい銀の簪が、手から滑り落ちて寝台の脇へと転がった。
私はもう、それを拾い上げなかった。
戦国の世の幻影を手放し、私は十五歳の少女として、生まれて初めての、深く穏やかな眠りへと落ちていった。




