その九十九
三千七百二十五
誰にも限界というものがあります。しかしその自身の限界、何処迄がそうではないのか、何処からがそうなのか、判らないのです。簡単にこれは自分の限界だと思っていては、何も出来なくなる。かといって何処迄も自分を追い詰めて行くと、再生不可能な深刻な結果になって仕舞う。
実はこの境界線、私は無いのだと思っています。そんなものは初めから無くて、自分で決めるものだと思っているのです。即ち、自分が狂って仕舞ってでもしたい事は頭がおかしくなる迄突き進めれば良いですし、そうではないものに就いては、適当なところでやめて仕舞うのです。私は此処にも見出します。自分が何を重要、何を必須と思って生きているのか、自分でそれをはっきり知っているという事の大切さを。
三千七百二十六
如何なる商売にせよ、継続的な利益を上げる為にはそれ相応の力の注ぎ込みが必要です。時間、労力、自分のもっている限られた資源のうちの或る程度をそれに用いなければなりません。今から何事かを始めようというのなら、それに自分が力を尽くせるのか否かを始める前によくよく考えておかなければなりません。
私が斯んな話をするのは、その人にとって目下一番力を込めなければならないものがそれではないのに、大きな労力的負担を背負ってでも生活の為にお金の獲得に乗り出す人達の事を想うからです。お金を得る事には熱心であるのに、それと全く同じ効力をもっている『支出を減らす』事には殆ど意識を用いない。そして実に心の多くを割いて用いなければならない子育てや親の介護の事を、不思議な程顧みない。
今自分が為すべき、自分の心を占領させるべき内容とは何でしょうか。それを考え且つ点検しながらの日々の生活の努力でなければ、海図無しの航海としか謂い様が無いのではありませんか。
三千七百二十七
小学校の時の記憶、これははっきり憶えています。しかし大人になって懸命に働いていた時の記憶は殆どありません。その時に住んでいた部屋の間取り位なものです。
人は自分の心を動かした時の事を記憶しているのです。幾ら忙しなく働いていても、心が停止しているならそれは記憶として結晶しません。則ち後で自分に何事かを教え、自分を支えてくれるものにはなりません。想い出を重ねる一生を歩いて下さい。それが真実の意味で豊かという事なのです。
三千七百二十八
私に色んな想い出をくれた昔の時代よ、有難う。中には恐ろしい夢もあったけれども、それも含めて私の人生だった。そしてそんな私の一生を育んでくれた私の育った家よ、有難う。それだけで既に、私は自分の一生分の幸福を得ている。他の人にはそんな幸福は与えられなかったのだから。
人生の残り三分の一、そう言っても可いだろう。私は私の昔の記憶をしっかりと抱き、握り締めて最後の行程を行こう。屹度その先には私の愛する父母が待っていてくれるに違い無い。私は私の魂の所属に帰る事が出来るに違い無い。
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