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その九十六

 三千七百十五

 馬鹿といっても色々種類や程度があります。本当に近寄るだけで愚かさが空気伝染する類(たぐい)の馬鹿も存在します。しかし驚く程に崇高で、その傍に行けば自分の足らないところが全て明らかにされて仕舞う様な見上げるべき馬鹿も居ます。

 何らかの方面に於いてその程度が世間の常識を外れている、常軌を逸している、そういう者を馬鹿と謂うのであれば、私は一般に馬鹿に対して尊敬の念を抱くでしょう。近寄りたくもない馬鹿というのは、大体に於いて世間の何かを代表象徴しているものではないでしょうか。寧ろ世間的と謂うべきでしょう。


 三千七百十六

 何かを失う、しかし何かを得る。難しいのは斯(こ)ういう時です。斯(こ)ういう時に冷静で本当に自身の置かれている状況を把握する事が難しいのです。しかしやらねばなりません。失うものが巨大であっても、自分にはまだ失ってはならない別の大切なものが在るからです。それを守る為です。

 自分に護るべき大切なものが無くなるまで、この自己制御は続けられなければなりません。途中で投げ出した先に待っているものは最早如何ともしようの無い後悔です。その後悔は死ぬ事よりもずっと苦しいものでしょう。自分が生きる事を自ら価値有るものであると信じられるものにしましょう。


 三千七百十七

 誰かから賞賛を得る事に拠って自分の価値を確認し満足するならば、同じく誰かから酷評され貶(けな)される事で自分の価値が無いと思い、不満に思う或いは悲しむでしょう。

 根本的に違うのです。自分の価値は他人からの賞賛で高められる訳でも確認出来る訳でもありません。他人が純粋に自分の事をどれだけ分かるというのですか。ろくろく分からずに誉めているのです。してみればそれは本質を見抜いた上での賞賛ではなく、別に目的在って、その目的を達成する為の賞賛なのです。貶(けな)すのもそうです。その批判をしている人間は、あなたの何を知っているというのですか。何も知らないではありませんか。

 自分の価値を高めそしてそれを確認出来るのは、自分自身を措いて他には絶対に居ません。普通、飽く迄普通の場合ですが、自分にしか自分の事は分かりません。これが、簡単に自分を褒めてはいけない理由です。自分で自分に与える賞賛を、安っぽい、自分でも信じられないものにしてはなりません。そうではありませんか。


 ブログは毎日更新しています。

https://gaho.hatenadiary.com/

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