その九十四
三千六百五
臨時収入というのは、その多寡にかかわらず嬉しいものですね。今迄の切り詰めた支出予定に若干の余裕をもつ事が出来ます。誰かに何かしてあげたいと思っていて忘れていた事を思い出し、それを実行に移す事も出来たりします。私の場合、あまりお小遣いを貰っていない妹の子にあげたり出来るのが一番嬉しいです。
しかしこれは、正に病に対して身体の外から膏薬を貼る位の事です。これで生まれる気持ちの余裕というのは、徹底的に日常の『作業』に関するもの、その程度次元に留まるものです。当たり前ですが、人生の行き詰まりを打開出来る様な代物ではありません。それをもっていないのに、膏薬を貼ってもさしたる意味はありません。自分にとって最も大事なものを探す事を続けるべきです。臨時収入にせよ何にせよ、事ある毎にその思いを新しくすべきなのです。
三千六百六
若しも誠実な人間であれば、世の中を怖がるのは自然な事だと思います。何があるか判りませんし、何んな人間が自分に如何なる状況のもとに関係して来るのかも、同じく判ったものではないからです。しかしその事を思うなら、同時に自分とよく似た人間、自分の気持ちが通じる人間が生きている事も前提にしなければおかしいではありませんか。それだって、十分に可能性のある事なのですから。
単純にそういう事なのです。人間が怖がる時、その全てではありませんが多くの場合、前提が不公平なのです。
三千六百七
私の育った家からそう遠くない所に、昔国鉄の小さな支線が走っていました。旅客列車は日に上り下り合わせて四本。あとは日に一本有るか無いかの短い貨物列車でした。勿論非電化で、入換用の小型のディーゼル機関車がのろのろと牽いていました。駅は恐ろしく古く、まるで昭和初期の民家そのものでした。終点以外は駅員もおらず、線路は子供達や犬猫の遊び場になっていました。周囲は準工業地帯。民家も在るけれど、これも下町らしく、悉く猛烈に古く且つ小さい家でした。煤け歪んだ瓦屋根と工場の出す煤煙で、何も彼もが黒ずんで汚れていました。
ところがそんな光景が懐かしいのです。途轍も無く懐かしく、そして慕わしいのです。暮らして行くには厳しい場所であり、またそういう時代でもありました。しかし今よりも嘘が無かったと思うのです。気味が悪くないのです。粗末でも、行き先の分からない船に乗っている様な不安は無かったと思うのです。
その時から四十年近くが経ちました。私はまだ生きています。私は何を失い、そして得たのでしょう。そういう事を私は、この上無く淋しいと感じながら、想い続けて行こうと思っているのです。
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