その九十三
三千六百三
知的好奇心。私はどうしてもこれを本気で追及する気になれません。電気を通すプラスチックの開発、極限迄抵抗を無くした超伝導素材の開発、新種の生物の確認、歴史上の新発見、更には宇宙の成り立ちの解明、全て『自分の職業上の追究』としては可いでしょう。けれど私が求めているもの欲しいものが、抑々(そもそも)知的なものではあり得ないのです。私がそれらに興味を抱き、そして本気で探ろうとした途端に、
「御前の欲しいものはそんなものではないだろう」
という声が聞こえるのです。そう、正に私の見たいもの知りたいもの欲しいものは、そんなものではありません。
私は人の心の謎に迫りたいのです。そしてそれが必ず例外無く一つのものに帰結するのを確認したいのです。これは『知的』な事ではありません。絶対にそんなものではなく、もっと人間の命とその意義に直接迫って行く内容のものです。私はそれをして行く私の営みに何と名を付けて良いのか判りませんが、それでもそれが知的なものでない事だけは断言出来ます。それは論理とは根本的に違っていて、感情の涙に濡れています。また実証という行為が一切意味をもちません。私はそういうものが人間を生かすと思っているのです。
三千六百四
「そんな事言ったって、目標が見付からないのだから仕方が無い」
私は既に年配の人間がそう言うのを信じません。その状況は、見付からないと謂うよりも『もっていない』と謂うべきです。また更に『探してこなかった』と謂うべきです。探し求める気持ちをもち続けるのは難しい事であると私が十分に分かった上でもなお、そう評すべきだと思います。斯ういう事には才能資質は一切関係がありません。純一に、求める気持ちをもち続けるか否かだけなのです。そして様々な事情環境はあると雖も、最終的に自分一個に帰されるべき責任が其処には在るのです。
人間らしく生きる事と求める事願う事は同義です。全く同じものです。運命の厳しさが霞む程に断固たる動かせない意志を願いを、何も答えない天の蒼空に示しましょう。天が見てくれているか如何かではありません。自分がそれをせずに居る事が出来るか出来ないかです。
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