その八十八
三千四百七十四
過日午後職場で猛烈に眠かった時、何故か急にもう三十五年も前の、私の大学受験の為の受験勉強をしていた頃の事を思い出しました。我ながら凄いと思います。眠いという事実がそんな事に繋がるのですから。父が買ってくれたMJBのインスタント珈琲を時々いれつつ、また同じく父が会社の同僚から貰った香港土産の薄荷油を薄く瞼に塗って目を覚まししつつ、数学の参考書を開いて広告の裏に計算するのです。私は受験勉強はした方だと思います。そんな一流の大学に行く事など到底出来ませんでしたが。
すると今は亡き父に感謝する気持ちが湧いて来て、涙が滲んで来て、職場の席で半分眠りかけていた私はすっきりと目が覚めました。何か私のその眠気の吹き飛び様があまりに顕著だったので、私は父に感謝すると同時に不思議に思いました。斯んな眠気の覚まし方など聞いた事がありません。けれどそれは見事なものでした。そして頭がすっきりすると、私は謂い様の無い平和な気持ちになりました。これ以上無い、私が今も亡き父と共に生きている事の証拠の様に思えたからです。共に生きていなければ、これは絶対にありません。あり得ない事だからです。
私は思いますが、斯ういうものが真実に『信頼できるもの』なのではありませんか。最早、それは何があってもこの後揺らぐ事がありません。私の命が尽きる迄私と伴に在るでしょう。私が信頼するものとはそういうものです。これに比べたら、私の信念さえも軽いと思います。
三千四百七十五
雄大にものを考える、想う。良い事です。しかしその雄大というのは、小さくささやかで細かなものが見えない事が条件になっていてはいけません。それらがちゃんと見えていて、それらに気付いているままに雄大でなければならないのです。そういう雄大でないと、それは真実に雄大の呼称に相応していません。それではただの無神経、粗雑と、何ら選ぶところがありません。
私は言葉の嘘、人の嘘を嫌います。実体は全然その名を以って呼ぶ事の許されないものであるのに、美名の下に汚点を丸め込もうとする企図を徹底して呪います。そういうものが、この世を汚くしていると信じているからです。
三千四百七十六
雨と霧に煙る大井川、静謐の中に濡れて緑の艶深きも、山肌に垂れる雲と蒸気に覆はれて輪郭薄し。宛ら夢中の如し。せせらぎの音無し。却つて総ての音は薄白の大気に吸はれ、啻に僅か霧の団塊の川面を動くのみ。
吾の過ぎし数十年、来る十年。想い定まる處無し、心の漂う事尽くる無し。然れどもこの霧の中に猶吾は生きて在り。未だ吾自らが霧に非ず、雲にも非ず、血涙の脈流をこめたる人なり。
『縦令吾死の陰の谷を歩むとも災いを怖れじ、汝吾と共に在せばなり』
(平成三十一年四月三十日 大井川河畔の宿、早朝河原に出でて)
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