その八十七
三千三百六十七
自分が自分の人生のうちの今何の辺りに居るのかという俯瞰を忘れると、人は極端に馬鹿になる事を私は知っています。目先の諸事で自分の生活も心も全部占領されて仕舞い、真実に自分にとって重要な事が何かという判断を自ら放擲して仕舞うのです。そして生活の大半が『取り敢えず、これをしよう』で埋められて仕舞います。その結果は非常に判り易く、根本的な次元で迷うだけです。それもしばしば自分が迷い果てている事を周囲に隠しつつ。
人には先の先迄見通す目は与えられていません。しかし自ら目標を立て、それに向かって努力し進む事は許されています。それをしている時の迷いと全く目標をもたずに生きている人間の迷いとは、同じものではありません。性質も次元も全く違うものです。人が根本的に自分を見失わない様にする為には、何としても自分が目指して心から納得出来る、終局の目標が必要です。
三千三百六十八
誤魔化していても、ちゃんと他人から見えているものです。見えていて、見えていないふりをしているのでしょう。関わり合いになるのが嫌だからです。
みっともない真似をしていると、本当にそれが自分に染み付きます。染み付いた結果、一番悪い事として自分で自分を信用出来なくなるのです。堂々と出来ませんか。戦っている者は堂々としていなければなりません。
三千三百六十九
環境が人を創る、慥かにそうでしょう。私など、あたたかで人間らしい家庭に育たなかったら、今頃何うなっていたか判ったものではありません。いや、絶対に今の年齢迄生きている事は無かったでしょう。
しかしそれにも拘わらず私は、人の一番奥に在るものは経験に拠らないと思っているのです。それは正に『先験的に』与えられている様な気がするのです。その人が生まれる前の天国からもって来たもの、そう謂うのが一番相応しい様な何か、です。これは実感と謂うよりは、私がそう信じている事なのです。私にそう信じさせる何かの力が在るのです。
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