その八十四
三千三百五十八
もう二年前になりますが、子供を預けるべく行った保育園の入園式で理事長が、
「お忙しいとは思いますが、一日一回、必ず家で子供をぎゅっと抱いてあげて下さい」
と言っていました。今私は職場の仕事が結構暇なので、一回と言わず日に十二、三回はぎゅうぎゅうしていますから心配は無いのですが、それでも現代の仕事の忙しさを改めて思いました。本当に朝は子供の起きる前に家を出て、夜は子供が眠って仕舞ってから帰宅、そんな話は珍しくありませんから。本当に、そうしなければ社員として会社に居続ける事が出来ないのですね。
仕方が無いとはいえ、悲しい事ではありませんか。現代はそんな事にも『留意』しなければならない時代なのですね。私は様々に現代の常識に反し、それに敵対する生き方をしたいと思います。
三千三百五十九
最近、パソコンのディスプレイを見ていると時々目がちかちかする様になりました。別に痛みを伴う訳ではないのですが、遉に警戒しないといけません。失明はオーバーかも知れませんが、視力の極端な低下は私にとってかなり致命的な障碍ですから。身体を労わる事が怠ける事ではない年齢になって来ています。しかし正直に言うと、私は何故か恐怖を感じないのです。寧ろ何かから解放される様な気持ちです。
けれどまだ早いですね。まだそんな事は神様が御許しにはならないでしょう。身体を労わりつつ、自分の使命を果たす事に努めます。
三千三百六十
運命はしばしば、自分が望んで渇いて求めるものはくれず、それとは全く違うものをくれる場合があります。ところがそれをよく見てみると、それが与えられた上は元々自分が求め続けて来たものは最早要らないと思う、それどころかそれよりも遥かに良いものである事が実感される、そういう事が私には時々ありました。時々といっても今迄生きて来て数回程ですが。
私はこれが、自分の運命が祝福されている事の徴であると思っています。その予想もしておらず与えられたものに拠って、自分の目が開かれるのです。そして今迄見えなかったものが見える様になるのです。しかしこれが与えられるには、一つだけ条件があると思うのです。その条件が満たされていなければ、この予想もしない有難いものは自分の前にはやって来ないのです。その条件とは、自分がずっと本気で何かを求め続けているという事です。それを途中で自覚的に放棄した場合、多分この『予想もしないもの』は来ないのではないでしょうか。
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