その七十八
三千百四十六
子を早く寝させる為に、付き合って早い時間に横になりました。そしたらそのまま、朝の六時ちょうどまで私も眠って仕舞いました。よい大人が八時間半以上も熟睡して可いのでしょうか。遉に、明らかに身体が軽いです。職場で午後からも眠くはないでしょう。当然です。
これが祝福された幸福というものでしょうね。宝籤で数千万円当たっても、ここまで心安らかとは行かないと思います。真実に味わう事が出来且つ続く幸福というものは、ささやかなのです。そして決まって、お金にも社会的な名誉にも縁の無い事なのです。
三千百四十七
「せめて小さな成果でもあれば、もっと元気になれるのに」
そういう気持ちは私にも分かります。けれど、無理は無いといっても、実はそれは間違いなのです。何が間違っているのかというと、具体的な何かの計画が前進する事をもって自分の元気の源としているところです。人が自分の元気を汲み出す源泉を其処に求めるのは、私には間違いの様に思えてならないのです。
人が元気になる理由、なれる根拠、それは『今日も自分らしく生きる事が出来た』でなければならないのではありませんか。それこそが最大の成果ではないでしょうか。そしてそれを最大の成果だと思えない様では、まだ自分に足らないところが在るという事ではないのでしょうか。
三千百四十八
小説を書く前に、人間が生きていないといけない。職場で仕事をする前に、既に人間が生きていなければならない。何事をし、如何なる活動を自分がするにしても、それ以前に自分が生きていなければならないのです。生きているというのは、無論目標をもち、意欲をもって、魂が迷っておらずに今を生きているという意味です。完成している必要は全くありません。けれど、生きていなければならないのです。
その、自分が『既に生きている』事を可能にするものについて、いつも私は云々(うんぬん)しているのです。というのも、それが一番大事だからです。私はいつもそれを求めているものだから、他人が私の眼前に展開する諸々の多くのものに全く値打ちが無い様に見えるのです。それは私の欲しいものとは全然違う種類のもので、多くはその場限りのものです。根本。それを自分に齎してくれる、そういうもの。それはいつでも、自分の心の奥深くに求めなければならないのではないでしょうか。私にはどうしてもそんな風に思えるのです。
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