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その七十七

 三千百四十五

 昔、私が子供の頃に一枚の白黒写真を見ました。この国の鉄道の南の終点枕崎の駅に並ぶ、古い鉄道車両の廃車体の一群でした。ぼろぼろで塗装も捲(めく)れ上がり、木造車体側面の縦板も折れたり反(そ)ったりしていて、何とも気味の悪い、淋しい写真でした。けれど、その写真は私に強烈な印象を残しました。国鉄の本当の南の果ての終点、その車止めの近くには斯(こ)んな光景が広がっているのかと思うと、無性にその場所に行きたくなりました。その写真を観た時にそう感じた事を、今でも判然(はっきり)と憶えているのです。

 実際には線路は、薩摩半島の東側を廻る国鉄の枕崎駅からそのまま同半島の西側を廻る鹿児島交通枕崎線の線路に繋がっており、私の想像した最北端の稚内の様な『最南端の車止め』というものは存在しません。だから私の見た写真というのは、私の想像とは違って、この駅の側線に留置されていた廃車体なのでしょう。しかしそれは勿論小さな事です。大事な事というのは、どうして私がそんな淋しい、捨てられ既に朽ちかけているものに強く惹かれたのかという事なのです。

 一体私は、それの何に惹き付けられたのでしょうか。私は今もそれを正しく言葉に表現する事が出来ません。憐れむ様な、可哀想だという気持ちに似てはいますが、矢張それとは違います。悲しさとは違うものです。では不気味で怖いものだから牽引を感じたのでしょうか。これも違います。不気味で怖いものなら、近所のぼろぼろの空き家の方が勝っていました。何しろお酒の飲み過ぎで昔人が死んでいた家なのですから。では一体その何が……。

 当たっているか何(ど)うか判らないのですが、寧ろ自信が無いのですが、私は『自分のいまだ知らないもの』に惹かれたのではないかと思うのです。子供の私が逆立ちしたって行く事の出来ないこの国の遠い南の果てに、長い歴史を生きて来た、今では到底目にする事の出来ない古い形式の車輛が打ち捨てられている。その一輌一輌に遥か昔からの歴史がある、数えきれない数の人間の一生と関わって来て、今最果ての場所で朽ちようとしている……その歴史に吸い寄せられたのではないかと思うのです。

 間違っているのかも知れません。しかしこの事について私が言葉にした中ではこの表現が一番私の気持ちに逆らわないのです。人は自分が心に想う事でも、正しく『言い当てる』事は出来ません。しかしだとしたら、仮に私の思う通りだったとしたら、何と小さな頃から人は致命的なものを心に印象するのでしょうか。それは五十歳を越した私が、その写真を目にして矢張一番心に感じる内容だからです。そのまま、そうだからです。

 私は遠い昔に何者かに拠って『定められた』自分の一生を生きている気がします。更に重要な事に、その定められた事について、今現在一切不満が無いのです。私は若しかして、自分でそれを定めたのではないでしょうか。父母の愛情が満ちるあたたかな家庭で、言葉も満足に使えない年齢の私が、それでも自分の心に一番必要なものを『抽出』したのではないでしょうか。若しかして私は一生の間、それを自覚しなかっただけで既に最初から自分の生きる道筋をもっていた、与えられていたのかも知れません。この事に思い至った時、私は震えそうになりました。間違い無く、恐怖も入っています。しかし核心はそれではありません。まるで自分には全然手の届きそうにない空の彼方(かなた)の憧れが、実は自分の胸の前に、両腕で抱き締められる所に現実に在る時の様な、茫然として意識を正常に保てない時の感覚、それが核心です。

 ブログは毎日更新しています。

https://gaho.hatenadiary.com/

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