その七十五
三千三十一
多くの人が重要視するものを弊履の如く捨てて仕舞う事には勇気が要ります。他人から馬鹿だと言われるからです。同様に、殆どの人が気にも留めないものをまるで宝物でも拾い上げる様に求める、その事にも勇気が要ります。しかし人が一人一人違うというのであれば、その事を本当に認めるのであれば、これ等の事を馬鹿にするという事は本来無い筈なのです。
これを如何に考えますか。私は斯う思うのです。それは、人は一人一人違うと主張している人の殆どは実は心からそうは思っていないのです。そうは思っていないのに、そう言った方が何らかの有利な事があるから言っているのだと。私が『人は卑怯だ』と謂うのは、そういうところを見て言うのです。その次元の、私の主張なのです。
三千三十二
その時に何処に注意を向けているかで、人間は見えるものが変わって来ます。更には普段から何に意識を向けているのかでまた見えるものが変わって来ます。或る瞬間だけしっかり視たら見えるものと、普段からずっと想っていて漸く見えて来るものとがあるのです。この差は多分そのまま、その見えるものの重大な度合いに関わっているのでしょう。
見えないと、話にならないのです。私は、自分がそれら重要なものが見えない事を極端に恐れます。後悔が非常に激しくなるからです。再び私が立ち上がる事が出来ない程に。
三千三十三
私のもとに来てくれた大きな幸運、そして自分で創り出した小さな喜び、皆全部合わさって、まだこの先を生きようとする私を支えてくれます。
「試練は来るけれども、何も心配しなくて可い。だって今までだって越えて来たし、これだけ沢山の人達の面影が、私を支える柱には刻まれているのだから」
そうでないと駄目なのです。そうでないと、この先の最後の心臓破りの坂は登れないのです。自分が斯く言える様に、私は今日を生きないといけません。
三千三十四
親が子を愛し、子が親を慕う。この事は人倫の基本であり、人間が世界を理解する上で一番初めに人の心に敷かれる前提でしょう。それはそのまま、その子が生きて行く上での価値観の初めとなり、何が善くて何が悪いかの判断の基準となるものです。これがまともでなかったら、一体それに代えて何を土台にしたら良いでしょうか。
そういう必須のものというのを考えてみて下さい。それをよく想う、生活は其処から立ち上げられ、進んで行くべきものではありませんか。
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