その七十二
二千九百十
昔、よく鉄道を見に行った踏切の下を潜っていた地下道が、過日行ってみるともう埋められていて名残もありませんでした。地下道の中はいつも濡れていて暗く、独特の雰囲気でした。小さい頃の私には、いつも少し怖かったのを記憶しています。いつ頃無くなったのか、全く解りません。気が付くと、最早失われていたのです。私はそんなものまでも、いつまでも残っていてほしいのですね。
斯んな人間でも、今まで生きて来る事が出来たのです。あなただって、屹度大丈夫ですよ。
二千九百十一
自分が生み出し紡ぎ出す自分の生活。そうです。生活とは与えられるものではありません。自分でその様態と内実とを創るものです。誰かに決めてもらった瞬間に、それは自分の生活ではなくなって仕舞います。
自分で決めましょう。他人に決めてもらって、いや決めさせて、その責任を内心他人に負わせるなどという卑怯な事をせずに。
二千九百十二
大切なものを真実に大切にする、ずっとその傍に居る。単純な事の様で、実に、何と難しい事でしょうか。
これを達成する為に必要なものは、知識に非ず、知恵に非ず、財力に非ず、胆力に非ず、諸他一切の何事かに非ず、ただ純粋である事に尽きるのだと思います。知識はそれに至る階段を付け、知恵はその他に自分を納得させるもの無しと明らかにします。また財力はそれを為し易くし、胆力は怖気づく自分の尻を叩きます。しかし純粋はその行動の為に直接自分の膝に力を伝え、それを動かすのです。魂の純粋は、いつも『属性』ではあり得ません、本質なのです。だから私がそれを尊しと見るのです。
二千九百十三
誰かが援けてくれる、慥かにそういう事もあります。私の経験でもありました。しかし殆どの場合、そういうものは与えられません。これも私の経験の裏付けるところです。ところが、そういう時私は意外に元気なのです。困難苦境について、『そうか、来たか』という感じなのです。そして頑張るのです。頑張ると謂うか、矢鱈に意地を張ると謂うか。
来るに決まっているからです。そういう困難が次々に来るのが当たり前だと思っているからです。それで普通なのです。私の想いは、そんなもの或いはそんなものの連続に絶対に敗けたりはしないと、まるで誰かの名誉を賭けているかの様に戦いたくなるのです。私のこの部分、この特徴は、私の骨子です。それは変わりません。
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