その七十一
二千九百六
貫く者には、それをしない人間には絶対に具わらないものが具わると信じます。しかもその具わるものというのは、その人の心の奥深くに在って決して外からは見えないものなどではなく、見る人が見るなら一目その人を見れば歴然として明らかという次元であるまでに顕著なものであると思います。
私が他人を見て麗しいと思うのは、そういうものの長い年月の堆積なのではないかと思います。それが言葉に出来ない光輝を放つのでしょう。それに優しさが加わる時、私はその人の傍にいたいと思うのです。
二千九百七
職場の或る人と話をして、『趣味』の事が話題になりました。その人が私に尋ねました。
「先輩の趣味って、何ですか」
私は一通り、自分が時間を費やしているものを挙げましたが、その人から返って来た言葉が意外でした。
「みんなお金のかからないものばかりですね」
ではその人の趣味はと思って尋ねてみると、お酒、煙草、何処かに何かを食べに行く事、好きなテレビ番組を観る事などでした。全部ではありませんが、殆どが金銭の支出を伴うものでした。これは私には寧ろ不思議に思えます。
どうして、お金のかからない趣味をもたないのでしょうか。かからないといっても電気代とか多少はかかるものですが、例えば私の様に小説を書くでも、或いは本を読むでも、庭木の手入れでも、そういう何かしら自分の精神と直接に関係をもつ営みを趣味としてもたないのでしょう。それは十分に値打があり、やり甲斐があり、これからの自分の暮らしに有益なものだというのに。永い間に、趣味とは所詮そういう次元のものだと看做して仕舞ったのでしょうか。だとしたら残念です。もう一つの自分の人生、或いはそちらこそ本当の私の人生、趣味とはそうあるべきではありませんか。
二千九百八
他人の優しさが私を健康にする食物であるなら、自らの切なる想いは私の命を繋ぐ水です。それが在って初めて全ての食物は私の咽喉を通り得るのです。
自分の側を整えましょう。自分の目に見える世界を変えるのは、望外の幸運をはじめ凡る種類の外からやって来るものではありません。先ず、自分自身が決定的にそれを決めているのです。
二千九百九
自分の生きて来た長い年月を振り返ってみて、随分苦しい思いをしたなと感じます。私は食べ物や住む家に困っていた訳でもなく、お金も多くはなかったですがそれで困り果てた事もありませんでした。それでも、私には大変だったのです。喜びや支えがずっと私に伴走してくれたにもかかわらず、大変だったのです。
屹度、斯ういう気持ちが在って初めて死を肯定的に受け容れる事が出来る様になるのだと、今私は想像しています。してみれば、私は間違っていなかったと謂っても可いのではないでしょうか。静かな落ち着きと共に、私はそんな事を想います。しかしまだ、まだなのです。それでも私の地上での使命は続くのですから。
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