その七十
二千九百三
その時その場だけで完全に終わって仕舞う、私は内容に関わらずそういうものを『詰まらないもの』と謂います。内容に関わらず、です。
良いものは棚引くのです。容易に終わらないのです。ずっと心に残って、自分の生活に影響するのです。そうして些かでも自分の言動をその事の為に変えようという気にさせるのです。それどころか自分の未だ体験していない何事かまで予感させてくれます。それが『詰まらないもの』の正反対です。正しく、『尊いもの』なのです。
二千九百四
ネットを見ていると、私の嗜好と同じ様にもう過ぎ去って仕舞った過去の写真や動画をあげている人が結構居ますね。私はそういうものを観る度に、私は決して奇異で変則的な事を好んでいる訳ではないという事を知ります。勿論それは必ずしも鉄道や昔の暮らしというテーマに限りませんが、それでも最早無くなって仕舞ったものに自分の何かの想いを託しているのです。それは間違いがありません。
懐旧、則ち昔を懐に抱き、懐かしむ。その事の本義は、その恍惚の中に今の自分を忘れる事ではありません。それでは真実の恍惚たり得ないのです。過去を追憶するのは、今の自分が今の自分を生きる為です。其処から今の自分を、今の自分が為すべき事それを為すべしとの金剛の自覚と共に得る為です。その時こそ、過去は優しさと一緒に真実に煌くのだと私は思っています。
二千九百五
幸運を求めるのではなく、努力が成果となって表れる事を望みましょう。更にいうなら、努力が成果として目に見える形になるのを求めるのではなく、自分が本心からその目当てに向かって努力しながら生活出来る事そのものを求めましょう。
斯うしてどんどん真実の充実は『結果』というものから遠ざかり、自分の『姿勢』に帰趨して来るのです。私はそれこそが本当の充実であると思います。何故なら、そういう充実は決して失われる事が無いからです。誰かに拠って奪われる事も、自分が失くす事もありません。失われるのは、自分がそれを自覚的に捨てる時だけです。本当の充実とは、そういうものであるべきだとは思いませんか。
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