その六十七
二千七百七十
肉体的な腕力と同じ様に、心の感じる力というのも確実にあると思います。それが弱くなると、本当にものを感じる事が出来なくなります。涵養と謂いますか、それは意識的な努力に拠って保たれなければならないものです。
ちゃんと生活し、想う事ですね。全くもって、それをしたいと思い且つその事に努力しているかいないかだと思います。
二千七百七十一
いつも、果ての無い遠い空。それは、嘗て私が子供の頃に見上げた空であり、壮年期も後半に入った現在の私が見ている空でもあり、更にはまだ行った事の無い土地で未来に私が見る空です。詰まり、全部等しく同じ空なのです。何故か私がそう見做しているのです。
私にとって、屹度空も変わらないものの象徴なのだと思います。もっと謂うなら、私はそれだけ身近に、いつでも目を向ける事の出来る範囲に、ずっと変わらないものが在って欲しいと強く願っているという事です。
二千七百七十二
奥さんが市立図書館で、子供の絵本と一緒に私の好きそうな本を借りて来てくれます。これが有難く、手塚治虫や水木しげるの漫画、また古い時代の鉄道写真の本が私には重宝しています。一寸手に取って見るのに甚だ都合が良いです。小説を書く為の具体的な資料にも、着想を得るのにも確実に役立っています。
自分が特に気が付かない間に援けられている。本当は気が付かねばならないのですが、感謝です。
二千七百七十三
都会でも本当の深夜、黎明直前になると街灯の明かりも消えて、結構星空を楽しむ事が出来ます。夜半目覚めてベランダで私は時々それを眺めます。別に、諸葛孔明の様に何かの策を練っている訳ではありません。それどころか何一つ考えている訳でもないのです。気が付いたら何かを『想っている』だけです。その時間、私は完全な受け身です。
私にそれが出来る為に、私がしておかなければならない事は多いです。その時私が心から自分を何者かに任せ委ねる事が出来る様、私は暮らしを頑張らねばならないのです。
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