その六十六
二千七百六十八
鉄道にせよ建築物にせよ、昔のままの何かを再現するというイベントがありますね。その道の趣味人が結構集まります。その趣味の分野だというだけではなく在りし日の昔を懐かしむという両方の意味合いから、人が来るのでしょう。私はそういう昔の時代を感じさせるものが好きです。しかし復刻のイベントとなると、本当に行きたいとは思いません。それが衆目を集め、わざわざに広報され、多くの演出を含めて誰かに『お膳立て』された途端、私の求める雰囲気は失われて仕舞うのです。其処には最早、私が探すか細い声が響かないのです。
そのままでないといけません。本人に拠っても、誰か他の人間に拠っても、飾られては仕舞っては駄目なのです。それは私が、何であってもそれを人間の様に思っているからです。その時だけ、私はそれを心から愛する事が出来るのです。
二千七百六十九
ネットでは、昔在って今はもう無くなって仕舞った思わぬものの写真があがっていたりしますね。偶々(たまたま)目にすると懐かしいと感じますが、そう感じた後で思います。その写真を撮った人も、矢張私と同じ様にその被写体に何かを感じていたのだなと。それを私が見た時には少し感じるところがあった位の事なのですが、何となくその印象がぼんやりしているのです。けれどぼんやりしている割に、後になっても妙に記憶に残っている。だから後でわざわざにそれを見に行ったりする。けれどそのうち忘れて仕舞って、斯うしてネットでその写真を見付けたりして驚くのです。
その写真を撮っていた人というのは、私の感じたぼんやりしたものをぼんやりしたものだと思っていなかったのでしょうね。そうやってわざわざその時代にフィルム一枚を使い、現像焼付代を払ってでも残しておいたのですから。そう思うと、私は何か自分が負けた様な気がして来ると共に、私が魅力を感じるものというのは他の人間の目にも矢張魅力的に映るのだなという気が強くなって来るのです。
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