三十年後 5
それから冬が過ぎ、春がやってきて、わたしは橋本さんのいない生活に慣れていった。
付添婦の仕事に追われる毎日は過ぎていき、いつの間にか甘い煮豆がなくても辛さを乗り越える方法を覚えていた。
心を殺して生きていた。少しずつ彼女のことを忘れ、日々に追われ、ただ、ただ生きていた。
ある日、病院の寮に手紙が届いていた。
滅多に手紙など届くことがないので誰かと訝しみ封書をひっくり返すと、差出人は「橋本 綾」と書かれていた。
わたしは何故か震える指先で封書を開いた。
※ ※ ※
「菊池ハル様
大変ご無沙汰しております。
入院の折はひとかたならずあなたにご迷惑をおかけしたのに退院の折の慌ただしさに取り紛れ、ろくろく挨拶もなしに退院してしまったこと、本当に申し訳なく思っております。
私のほうの体調はすこぶるよく、随分持ち直したとこちらのお医者様も太鼓判を押してくれました。とはいえ、一人で店を切り盛りするのは無理だと言われてしまい、できれば戻りたいと思っていた飯田町の店を続けることは難しくなってしまいました。
でも、こちらで、せっせと豆は煮ております。
いとさんというのはあの時病院に迎えに来てくれた彼女の名前なのですが、毎日のように煮るのでいとさんに呆れられております。
このお手紙を差し上げたのはあなたの看病やそれまでのお心遣いのお礼をお伝えしたかったのと、私の病状の報告と、お店のことをお伝えするためもあるのですが、それだけではなくて、いとさんと相談したのですが、もしよければなのですが、そちらを辞めて私共の元でお仕事なさる気持ちはおありではないでしょうかと聞くためです。
お仕事の内容は主には私の病気の管理などの付き添いの仕事で今なさっておられるお仕事と大きく変わりません。そんなに無理難題をお願いするつもりもありませんし、ここには他に使用人もおりますので、それほどご面倒をおかけしなくてすむと思います。
それにお願いする病人はわたしだけですので、朝晩の健康管理など、お仕事が物足りなさ過ぎてつまらないとおっしゃるかもしれません。
ですから、遠慮なく断っていただいてもいいのですが、できれば一度、鎌倉に遊びに来ていただければ嬉しいのです。予定が決まれば切符などもこちらからお送りしますので、考えてみていただけないでしょうか。
考えてみれば私も随分歳をとってしまい、振り返ると自分の自分勝手さでいろんな人に迷惑をかけてきました。
でもなんとかやってこれ、今のような日々を迎えることができたのもひとえに、巡り合った人たちのおかげだなとしみじみ思うようになりました。
すると、震災で姉を失って心細い頃にちょうど私の店にやってきてくれていつも喜んで煮豆を食べてくれたあなたの表情がまざまざと思い出されるのです。
そんなあなたと最後の日にちゃんとお別れできていなかったことや、随分お仕事もきつそうで辛い日もあったようなことが思い出され、心苦しくて少し心配な気持ちもあります。私のような独り身の小母さんにできることが何かあればという、ただの思いつきです。
勿論、すぐに断ってくれてもかまいませんし、一度遊びに来てくれてから断ってくれてもいいのです。
あなたのお役にちょっとでも立てればいいだけのことなので、ご迷惑をおかけするつもりは毛頭ございません。急で不躾な申し出をお許しください。
あなたのご健康とご多幸を鎌倉よりいつも祈っております。」