三十年後 4
わたしはあまりの急な話に驚いたし、内心衝撃を受けていた。
橋本さんが鎌倉に行ってしまうなんて。
でもどう考えてもこの話は橋本さんのためにはとてもいい話だった。
お子さんなど身寄りがいない橋本さんは誰かに面倒を見てもらう必要があるのだし、古い友達がそう申し出てくれたのは天の配剤のようなものだとわかっていたがやはり寂しかった。
なるべくそんな表情を見せないように、わたしは無理に笑顔をつくった。
良かったですねと喜んでみせた。それがどこまで橋本さんを欺けていたかはわからない。
どこかよそよそしくなってしまったのだ。わたしは子供っぽいもやもやを抑えられなかった。
それから一週間後、橋本さんは退院し、立派な黒塗りの車が病院の正面に橋本さんを迎えに来ていた。あの女性も同乗しているようだった。
わたしはどうしても見送る気になれなくて、三階の窓から橋本さんが出立する光景を眺めていた。
他人事のような、実感のない、不思議な気持ちだった。
誰よりわたしが親しかったのに、先生や看護婦さんなどが橋本さんと大げさに抱擁したり何か渡したりして別れを惜しんでいる。
みんな橋本さんが好きだったし煮豆屋は病院から近いので顔見知りの人間も多いのだ。
でも彼女のことを一番よく知っているのも、一番この出立を喜んでいるのも悲しんでいるのもわたしなのに。そう思うと、泣きたくないのに涙がとまらない。
こんなにあっさり切れていく縁と、絆に、なんだかもうどうでもいいような気持ちになって、ただ、ただ、悲しかった。
喜ぶべきなのに喜べない自分のことも嫌だった。
苦しかった。




