あまり思い出さないほうがいい
(なるほど、光の玉なんですね私)
「奈々ちゃん順応早すぎない?」
僕達は並んで戸倉さんの後を追っていた。
詳しい事は明日、今日は二人でゆっくりと過ごすがいい。二人の部屋に案内しよう、ついてこい。不遜にそう言い、僕達の返答も待たずに戸倉さんはさっさと部屋を出て、更に奥へと進みだした。
とりあえず分かった事。
奈々ちゃんは光の玉になった。
しかし本人は、自分の姿は人間のままに見えているし、そう感じているらしい。
(不思議な感じなんですよねえ。私には私は普通に見えてますから、皆さん総出で私のことかついでるのかな? なんて思うところだと思うんですけど)
「うん」
(これが不思議とですね、よくわかんないんですが、うーん、はい、ほんとにこれ、うまく説明できないんですけど
あ、そっか
くらいの軽い感じで、なんか納得しちゃってまして、はい)
「なにそれ…」
(不思議ですねえ。今も先輩には、私って光の玉なんですよね?)
「う、うん…」
並んで歩いている。歩いているというか、進んでいる。
僕の横、二の腕のあたりにくっついて光の玉が、奈々ちゃんが浮いて進んでいる。
(ちなみに私は先輩と腕を組んでいるんですが)
「えっ」
(先輩にはどんな感じに、はい、参考までに、ここ重要ですので、正直に、嘘つかず)
「正直に…?」
(正直に、嘘厳禁です)
あまりにも普通すぎて。
感動の再会のはずなのに。
僕はこの子に言いたかった事が、伝えたかった事が、謝りたかった事が、いくつでもいくらでもあったはずなのに。
「えっと」
(ふんふん)
二の腕に少し光の玉が、奈々ちゃんが重なっている。
玉は濡れないお湯の塊、という感触だった。手で触れると柔らかい感触があり、そのままぐっと押していくと手は突き抜ける。
ちなみにそれを試した時、奈々ちゃんは(ひゃんっ! えっち!)と凄い声をあげた。奈々ちゃんにはどういう感じだったのかと聞いたが、教えてくれなかった。
「なんだろう、ちょっと暖かい。濡れないお風呂に、二の腕だけ浸かっているみたい」
(それだけですか?)
「それだけ…ですけど」
ぷるぷると奈々ちゃんが小さく振動した。
(それだけですか? ほんとに?)
振動に合わせ、暖かさが腕を撫でる、が、それだけだと…思うんだけど。
「うん…それだけ、だと」
(なるほど)
ふわふわと奈々ちゃんは僕より前へ飛んで行った。
(精一杯の勇気でおっぱいグリグリ押し付けてたんですが)
「えっ」
(嘘の下手くそな先輩ですから、本当ですね。うーん、そっかー、私のほうにはいろいろ感触あったんだけどな、不思議ですねえ。もう私のおっぱいを先輩の肘がこう、えぐりこむように遠慮なくぐいぐいと)
「ちょっとやめて」
(やだー、先輩顔真っ赤じゃないですかー。ちなみに私も真っ赤です。見えないと思いますけど。はっ! こんな時便利!)
くすくすと、小さな笑い声が聞こえた。
(戸倉さんお幾つなんですか?)
恐れを知らないのかと思うくらい自然に、奈々ちゃんは戸倉さんの横へ飛んで行って話しかけた。
「ああ…すまんね。邪魔をするつもりはなかったが」
(いえ、お綺麗ですね)
「君ほどではない。ちなみに二十九だ」
(えーっ! 見えません! 凄い…これも宇宙人の技術ですか! 宇宙凄い)
「奈々ちゃん、ちょっと色々受け入れるのが速すぎるよ」
(うーん…確かにそう言われればそうですよねえ…こんなバカな! って凄く思ってるのも事実なんですけど、なんですけど、うーん、これがですね
あー、そっか。という感じでして。なんか前から知ってた、みたいな気がして。
なんだか妙に納得してしまっております。不思議です)
傍らでふわふわと浮く奈々ちゃんをちらりと見て、戸倉さんが微笑んだ。
それは、初めて見る優しい笑顔だった。
「岬奈々君、どうだね。彼氏と寝泊まりする部屋だがベッドは一つか、二つか」
「二つで」
「君には聞いていない」
ばっさりとそういわれ、僕は黙った。
(戸倉さん、お耳を拝借してよろしいですか)
「構わんよ」
戸倉さんが立ち止まる。奈々ちゃんはふわふわと上昇して、戸倉さんの耳のあたり少し重なった。
おそらく、彼女の中では耳打ちをするような体制なのだろう。
(一つで…なんならシングルの大きさとかで…はい、そのー、さすがに恥ずかしいので私は二つって言ったんですけどー、戸倉さんが無理やり一つにー、しかもやだー、ベッド超狭いじゃないですかーやだー…みたいな展開だと、凄くありがたく)
全部聞こえていた。
「そうか。では私の判断でシングルベッド一つにしよう。狭いが我慢してくれ。あー、若宮、聞こえたな?よろしく頼む」
戸倉さんは長い髪の上から耳のあたりをそっと押さえ、誰かへと指示を出した。
(やだ戸倉さん! わたしは「恥ずかしいからベッド二つ」って言ったのに! なんて勝手な事するんですかー。まいっちゃいましたね先輩)
「あ、うん…あ、いや…えっと…奈々ちゃん?」
(はい?)
「聞こえてたよ?」
(…)
「なんならシングルの大きさとかで」
(最初から聞こえてるじゃないですか!)
奈々ちゃんがぷるぷるっと上下に跳ねた。
「うん…なんだろう、聞こえるというか、響くというか…」
「岬奈々君、今の君の声は、よく通りよく伝わる。内緒話の類は諦めたまえ」
(そうなんですね、わかりました)
「奈々ちゃん理解が速すぎない?」
(不思議なんですよ先輩。うーん、わけわかんないんですけど、あ、そっか、と)
「…」
「さあ、ついてきたまえ、すぐそこだ」
戸倉さんが再び歩き出す。
なんとなく釈然としないまま、そのあとへ続いた。
(今何時くらいなんですか?)
「ここにいる以上あまり時間に意味はないが、午後十時過ぎだな」
(ああ、なんだか眠たいなと思ったらもうそんな時間なんですね)
「奈々ちゃんそんなに早寝なの?」
戸倉さんの横で奈々ちゃんがぷるぷる震える。
(夜更かしできないんですよー昔から。昔…? んー?)
「どうしたの?」
(いえ、特になんでも…ただ、なーんか忘れてるような)
「岬奈々君、あまり思い出さないほうがいい」
(はい、そうします)
「切り替え早いね」
(うーん、まあそっか、って感じで。なんでしょうね…うーん、知ってる? 知ってる…あれー? この人…誰?)
「岬奈々君、やめておきたまえ。過去にもあった。死のショックで記憶が混同しているのだよ。考えすぎるとより混乱する。今日はもう休み、明日また話をしよう」
(そうなんですね、うん、確かによくわかんない感じで。そうします)
「それがいい。さあここだ」
(やだーっ! ほんとにシングルベッドじゃないですかーっ! あ、バレてたんでした。先輩先輩、シングルベッドですね! 私開き直ってますすよ!)
「…あの、うん、うん…ね」
最初に僕が目覚めた部屋と似たような広さ。隅に簡素な狭いベッドが一つ。
どう反応していいかわからない僕と、その周りをふわふわと回る奈々ちゃんへ微笑んで、戸倉さんは小さく手を振った。
「外には出ん方がいい。積もる話もあるだろう。明日また来る。では」
戸倉さんはそれだけ言い、さっさと歩き去った。
(クールビューティーですよねえ…あんな大人憧れるなあ)
「そう? あんな怖い人になりたいの?」
他愛ない会話で。
他愛ない会話だった。
けれど、とても、残酷だった。
(えー、憧れますよー。あんなかっこいい大人になれたらなーって思いますとも。でも、まああと三日でまた死んじゃうみたいですから、無理ですけどね)
「…」
(あ、なんかまた先輩が気にしちゃってますね)
「いやあの…ごめ」
(謝らない謝らない! ね! ささ、先輩! 積もる話!)
ふわふわとベッドの上へ飛んでいく奈々ちゃん。
硬い表情を意識して和らげ、僕も続いた。
「…?」
違和感だった。
ここに来るまでの会話?
そう、だと思う。そんな気がする。
けれど、それだけではない気もする。
なんだ。
何かに、思考が引っかかっていた。
(先輩! シングルベッドが想像以上に狭いです! くっつかないと寝れません! どうしましょう! 困りましたね!)
「声が全然困ってないよ奈々ちゃん…」
ベッドの上に浮かぶ奈々ちゃん。
ふと、光の玉の上の部分に手を当てる。
(ん…?)
手のひらに、濡れないお湯に手をつけたような温かさと柔らかさを感じる。そのまま手を左右に動かした。
まるで、彼女の頭を撫でるように。
(…えへへ…先輩…せーんぱいっ!)
胸に奈々ちゃんが飛び込んできた。
柔らかくて、暖かかった。
あたたかかった。
(先輩、私が死んで…悲しかったですか?)
「そりゃ…そうだよ」
(うれしい)
なんて答えよう。
この素直な感情に、なんて答えよう。まずはそれを、考えよう。
そして、積もり積もった話をしよう。考えるのは明日にしよう。
僕はそうして、考えることをやめた。
その違和感を持ち続けていれば。
その違和感を持ち続けて、これからの全てを聞いていたなら。
もしかしたら気づけたかもしれない。
その嘘に。
人を人とも思わない、その嘘に




