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その報復は、星の怒りより怖いのか?

(うれしい)

 小さな、薄暗い部屋。

「ふぅっ…ふっ」

 鉄棒のような器具に足を引っかけ逆さにぶら下がった女性が、息を強く吐くと同時に体を起こした。

 腹筋に力を込め、膝につくほど頭を上げ、その体制でしばらく静止する。

(ねえ先輩、私今どんな感じかわかります?)

「はっ…ふぅ…」

 ゆっくりと体制を戻し、また息を吐きながら上げる。

 滴る汗を拭おうともせず、女性は何度もその腹筋運動を繰り返す。

(えー、そこはほら、想像力! イマジネーション! 見えているのは光の玉でも、そこはかわいい彼女がいると! ほら! どんな感じか想像してみてくださいよ!)

「ははっ…ああ、くそ」

 響く声に思わず笑ってしまった自分に苛立ったように悪態をついて、女性は引っかけていた足を放し、落ちる体を見事に制御してくるんと回り足から着地した。

(ぶっぶー、ざんねーん。ほらほら、もう一回! ワンチャンスモア!)

「ワンモアチャンスだよバカ」

 そう呟いた自分にまた苛立ち、女性は冷蔵庫からビールの缶を取り出し、すぐ横のベッドに乱暴に腰かけるとプルタブを開けた。

 缶の半分ほどを一気に流し込み、大きく息をつく。

 ネコ科の肉食獣のように強気な顔つきの女性は、大きな胸の谷間に浮いた汗を指で乱暴に拭い、また缶ビールをあおった。

(ぶっぶー、ちがいまーす。ヒント、ヒントいきますかヒント。あれ? なんですか先輩その気のない返事。もしかして飽きました?)

 彼女以外誰もいない部屋。

 響く声。

 幸せそうで、楽しそうな、少女の声。

「あぁ…くそ」

 がりがりと頭を掻き、残りのビールを飲みほした女性は空き缶をぶんと放り投げた。部屋の隅に転がった空き缶に一瞥をくれ、新しい缶ビールを取り出し、蓋を開ける。

(ヒントはですねー、ヒントはですねー、腕を使います!)

 女性は喉を鳴らし、ビールを流し込む。

 淀んだような空気が部屋に充満し、女性はその真ん中であぐらをかき喉を鳴らす。

(二の腕ですよ! 二の腕! 先輩の二の腕をー。使ってー。やだーもう、答えじゃないですかほとんど)

「…なんだかなぁ」

 二本目の缶が空く。

 女性はそれを同じように放り投げ、頭をぼりぼりと掻きながら三本目を取り出した。

(正解! そのとーりっ! えへへへ、腕まくらですよ)

「すまねぇなぁ…ほんとに、よ。こんな子供に、死ねって言わなきゃ生きらんねぇなんてなぁ…こんなかっこわりぃことねぇよなぁ…」

(夢だったんです、腕まくら。ちっちゃい頃から…ちっちゃい? んー…あ、いえ。なんでもないです。ねー、えへへへ、夢だったんです。腕まくら)

「こんな愚痴、あいつはオナニーだって切り捨てるんだろうな…あーあ」

 三本目の缶が空く。

 酔いが回ったのか、女性は缶を放り投げるとベッドへと倒れこみ、揺れた目で薄暗い天井を見上げた。

(せーんぱいっ)

「あぁ…なぁ、岬奈々、つったかな。まあその…なんだ。任せろよ」

(えへへへへ、えへへ、体制を変えました! わかりますか? わかります?)

 顔を腕で覆い、女性は絞り出すように、言った。


「死なせて、すまねぇな…ただ、安心しろ。少しでも楽に死ねるよう」


(ちっちっちっち、時間切れでーす)


「道は私たちが開いてやる」


 いきなり部屋に、サイレンのような呼び出し音が短く響いた。

 薄暗い部屋、何もない壁際に四角い画面が浮かび上がった。

「おへろー、荒川はんちょー」

「んだよ…寝ろよ馬鹿」

 舌打ちを一つ、悪態をつきながらも荒川は体を起こし、画面へと歩み寄った。

「ごめんね、寝てたー? うわ、お酒飲んでるね。眼真っ赤だよ?」

「うるせえ、なんだよ」


(正解はーっ、なんとーっ)


「あれ、もしかして泣いてたの?」

「うるせえ!」

 荒川が怒鳴ると、画面に映った女性は白衣をひらひらと舞わせながら、からかうようにその場で躍った。

「ごっめーん。ぷー」

「お前ちょっと待ってろ、今から行ってぶっ飛ばしてやる」

「うそうそ、ごめんごめん。反省した、反省したからこの会話やめよっか」

「おう、じゃあな」

「うそうそ。やだやだ、まってまってー」


(先輩の上に乗っかっちゃってます! えへへへ)


「楽しそうだねー」

「…今回のやつはあれだな、随分陽気だな。岬奈々つったか」

「そうね、事案対象者が杉本隆一くん、事案要件が岬奈々ちゃん。お似合いのカッポーでございますですよ」

「へぇ…そうかい」


(やわらかーい感じとかあります? ぐりぐり)


「積極的な彼女だねー」

「わかってんだろうよ」


「まあねー、三日後にまた死ぬ人間に恥も糞もないよね」


「うるせぇな…」

「ふったの荒川班長じゃーん!」

 眼鏡をくいっとあげ、呆れたように画面の女性が肩をすくめた。

「…うるせぇなぁ…なんだよ三浦局長よ、雑談なら若宮とでもやってくれや」

「うーん、私もねー、ちゅーちゅーらぶりーなお話しするなら若宮ちゃんの方がいいんだけどね。残念ながらこれ、業務命令通達だったりするのよねー」

「てめえ業達でなに無駄話してんだ馬鹿野郎!」

 三浦が画面の中でびくっと大げさに震えた。

「こっ、こわーい。超こわーい! 画面越しでよかった! さっきおトイレ行ったばっかりで本当によかった! うわー、ストックあったらチビってたよ」

「命令通達さっさとしろコラ!」

「なんかおかしくなーい? 上官にさっさと命令しろコラとか、複雑すぎなーい?」

「よし、今そっち行くわ」

「うそうそやだやだ、こわいこわいやめてやめて」


(せんぱーい? あれ…先輩寝ちゃった?)


「それで…なんだよ」

「ああ、はいはい。そうね、業務命令通達ね。んーとねえ、ついさっきだけど、迷彩障壁を展開しました」

「は?」

 口を開け、荒川はもう一度聞き直した。

「は? なんで? まだ一日目」

「うん、異例。一日目にしてもう、直上にいる第八危機が形を成した。超々感度の望遠鏡なら視認できるレベルで、衛星軌道上に形を成したの」

「おい…それ…」


(あらー…先輩寝ちゃいましたねえ…んふふ、疲れてたんですねえ)


 へらへらと笑いながら三浦が言う。

「しかもでっかい」

「お前それ…やばいだろ」

 無意識に荒川は空を仰ぐ。

 薄暗い天井の向こう、遥か上空、地球の衛星軌道上に浮く「それ」を見るように。

「そう、やばい。ただねー、ちょっと意見が割れててねー。最後はとくねえに、戸倉ちゃんに判断させるんだけど、うん、私はそこまで悲観視はしてないのだ」

「は? 馬鹿かお前。馬鹿だ馬鹿だと思ってたけどやっぱ馬鹿か」

「ふふん、君よりは賢いよー。まあ細かい事は省くけど、だって説明しても荒川はんちょわかんないしね、ぷぷーっ。やだ、そんな怖い顔しないでよチビっちゃう。あのー、まあ簡単に言うと、膨張率は通常と同じだから、って感じでね」

「簡単に言え馬鹿」

「簡単に言ってるよー。元がでかいけどでかくなる速度はいつもと同じだから、動き出すのもいつもと同じじゃね? って感じ」

「なるほど」

 頷いた荒川に、三浦は少し呆れた顔を見せ、すぐに手を振って続けた。

「というわけで、まあ襲来は通常想定時刻からそう外れないんじゃないかな? とね。ただ、降りてくる物は、これまでより相当でかい」

「…それは、あれか。いつもより、でかいってことは…いつもより、辛いのか」


「奈々ちゃんは、そうだろうね。より、重いだろうから」


 溜息。

 荒川が頭をかきむしる。

「くそったれ」

「ああ、荒川はんちょ。君を苛々させるために通信したんじゃないのだよん」

「…なんだよ」


(んふふ…せーんぱい。先輩? まだ私…聞いてませんよ?)


「色々な条件から推測するに、動き出す時間はさっき言ったとおり、そんなに変わらない見込み。けれどね、おそらく明日には、前回までの最終形にほぼ近い大きさと形を成すだろうとみている」

「つまり…?」


「きっと、明日には空からカケラが落ちてくる」


「そういう、ことな。ああ…わかったよ、了解。明日には二号か」

「うん、まあ覚悟しといてよ」

「ああ…そりゃ仕事だ。好きにしろ」


(先輩…? 照れ屋さんだからなぁ…言って、くれるかな)


「まあそんなわけで」

「戸倉とは、司令官とはまだ話してねぇのか」

「戸倉ちゃんはお仕事中です」

 おどけて三浦が唇を突き出した。

「ああ?」

「チューチュー」

 荒川の目が鋭くなった。

「…誰だよ」

「誰でもいいじゃん。どうせすぐに忘れるんだからー」

「…どこの」

「知らないよー。そりゃ幾らでもいるんだし。あの国かー。この国かー」

「人類の危機だってのに…くそったれが」


「限りある資源の時点で、ゆるやかに絶滅してたんだけどねー。そういう意味では過去から今までずっと人類は危機だったともいえるね、うん」


「うるせえ、難しいのはやめろ」


「気に食わないに決まってんじゃん。吹けば飛ぶ小さな島国が世界中相手に喧嘩で勝てちゃう力を、偶然、単なる偶然で手に入れちゃったんだから」


「そのせいで、私たちは」

「こんなもん、必要経費としちゃ激安だよ。感情抜きでいうならね」

「もういい、わかった。戸倉が行ってんなら、もう終わりだろ」


「この空間で死亡した人間の記憶を、残された人間は全て忘れる。なんともー、優しい世界でございますなー」


「…どうだかな。しかし、なんだか今回、おかしいのか?」

「そうね」

「理由は?」


「わかんないよ。星の考える事なんて。けれど、うーん、個人的予想なら」


「はよ言え」


「今回、やらかすかもしれない」


「あ?」


「いつもと違うかもしれない。ひょっとするとひょっとするかもしれない」


「おい、お前それ…」


「臨戦体制零号、なーんてね。どっちにしろ、荒川はんちょー達があと三日間、カケラを一つでも通してしまえば終わっちゃうんだから。まずはそこ頑張ってー。じゃーねー」


 ぶん、と画面は消えた。


(先輩、ふふ、そんな照れ屋な先輩が好きなんですけどね…せーんぱいっ)


「なんだよ馬鹿…わかるように言えよ馬鹿…」

 頭をがりがりとかきながら荒川は四本目のビールを取り出し、そのまましばらくたち尽くし、舌打ちをしてビールを戻した。



 薄暗い廊下はまるで回廊のようで。

 その奥、そのさらに奥、そこからさらに奥へ。

 その空間はあった。

 広く、四方の天井から銀色の太いチューブが伸び、中央の筒に接続されている。チューブの太さは、ゆうに人間が通れるほど太い。

 それが数え切れないほど無数に、中央の筒につながっていた。

 筒の正面には扉がある。

 扉のように見える切れ込みがある。

 身をかがめた男性は、その扉の周囲を何度も撫でていた。

 開ける術を探すように。



「その先には私しか行けんぞ」



 声は唐突に男性の背後から響いた。

 大きく震え、男性が素早く振り返る。無駄のない動作で、振り返ると同時に黒い軍服の脇から拳銃を取り出し、声の先へ構え――


 パン、という乾いた音とともに男性の手が拳銃ごとはじけ飛んだ。


「うっ! ぐぅぅぅぅ!」


「河合、だったかな。整備班の、河合…河合…名前はなんだったかな」


 血の吹き出す手を必死で押さえ、のたうちまわる男性に、声がかけられる。


「まあいい、思い出してもどうせ忘れる」


「司令官! ぐぅ、うぅぅっ、司令官! 誤解、誤解です! 自分は!」


「ああ、いい。特に興味はない」


 司令官と呼ばれた女性は、黒い軍服を喪服のように着こなし、感情のない目で、叫ぶ男性をただ、ほんとうにただ見つめながらゆっくりと銃を構えた。


「浮遊迎撃兵器の! さらなる機能解放を! 自分はそう思っただけで!」


「ああそうか。それはご苦労」


 パン、と女性の手元が光った。


「ううぅぅぅぅぅっ! うあぁぁぁぁぁ!」


 男性のもう片方の手がはじけ飛んだ。のたうちまわる男性に、女性は言う。


「国は?」


「うう、うぅっ、外交っ…外交特権! を! 自分の身柄を!」


(先輩、勇気出してね。あとちょっと…時間、あとちょっとですよ…?)


「ほう、貴様の身柄で我らは何を得るのだ?」


 みるみる床に血が広がっていく。

 ヒールが血に染まる中、微動だにせず、その女性は静かに男性を見ていた。


「ぐっ…何を言っている、外交! 私が死ねば外交、っ問題にっ!」



「外交問題なぞ、とっくのとうに、こじれにこじれて壊れているだろうが。


 馬鹿だな貴様は。


 何を吹き込まれたか、それとも何を盾にされたか。


 どちらにしろ、馬鹿だな貴様は。


 現状も知らずに手を出すなんぞ、稚児の遊びと同じではないか」



「うぅ、ぐっ、俺が死ねば、報復…うぅ、うぐっ」



「その報復は、星の怒りより怖いのか?」



 パン、と破裂音。

 女性の手元が再度光ったと同時。

 男性の頭部がはじけ飛んだ。

「若宮、処理を。先方には事実を丁寧に伝えておけ。ああ、そうだ。お前の犬は頭が飛び散って死んだぞ、とな。ああ、頼む」


(私、まだ…聞いてませんよ、先輩)


 空から響く声に小さく微笑み、女性は筒に手をかざした。

 複雑な光の操作パネルが浮かび上がる。

 女性はそれを見て、また小さく笑った。



「まあ待っていろ。いずれその時はくる。案外…すぐかもしれんぞ?」




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