【第117話】大樹の村の地下遺跡 5階(温泉)
【第117話】大樹の村の地下遺跡 5階(温泉)
湯気だけが静かに揺れる。
(え、いや、待って。どうしよう)
(レイくんだと思ってたら、レイちゃんだった)
(というか今の状況!女性と混浴もまずいけど、それ以上にナヴィに知られたら……か、考えるだけでも恐ろしい!)
「……その、たぶん……気づいてないんだろうな、とは思ってました」
「本当に申し訳ない……」
せめて視界に入れないように、首だけを反対側へ向けたまま返事をする。
「い、いえ。自分も訂正しなかったので……その……悪いのは、お互い様というか……」
ぱしゃり、と小さく湯の揺れる音がした。
それだけで心臓が無駄に跳ねる。
「あ、えっと。その……首、大丈夫ですか?こっち向いても平気ですよ」
「いや、さすがにそういう訳には……」
「お湯も濁ってますし……その、あまり……見えない、と思うので……」
か細い声が、湯気の向こうから聞こえる。
確かにこの温泉は濁り湯ではあるが……って!いかん!変に想像してしまいそうだ!
「お、俺はもう出ようかな!か、体も温まったし!」
「え、でも……入ったばかりでは……」
「とりあえず俺は先に上がるから!レイくんはそのまま、ゆっくり入ってて大丈夫だからね!」
「あ……はい、分かりました。とりあえず、向こうを向いてますね」
「ありがとう!」
レイがぱしゃ、と湯の中で向きを変える音がして、俺はようやく少しだけ息を吐いた。
とにかく落ち着け俺。
別に何かやましいことをしているわけじゃない。
……わけじゃないんだけど、状況が状況すぎる。
そっと湯から上がり、指輪からタオルを二枚取り出して、片方を横穴の入り口付近へ置いた。
「タオル、ここに置いておくね」
「あ、はい。ありがとうございます」
さて、自分も服を着よう――と、脱ぎ捨てていた服を持ち上げたところで、現実を思い出した。
「うっ……つめたっ……」
当たり前だが、服は濡れたままだ。
さっきまでそのまま着て動いていたのだから当然なのだが、一度体を温めてしまうと、このじっとりと濡れた服をまた着るのはかなり嫌だ。
「他に服を持ってきてなかったかなぁ……」
まともな予備の服は既にリズベルに渡してしまっている。
横穴を出たところで宝物庫の指輪の中を探る。
着替えになりそうなのは下着と寝巻きくらい――と思ったが、その奥に一着だけ別の服が入っていた。
「あ」
思わず手が止まる。
異世界へ来た時に着ていた服。
黒いスラックスに、白いシャツ。ジャケットは流石に目立つので出さないが、久しく出番のなかった日本の服。
少し迷ったが、今はこれが一番まともだろう。
シャツに袖を通し、スラックスを履く。
ベルトを締める動作もどことなく懐かしい。
「この服に袖を通すのも久しぶりだ」
異世界に来る前のことを、少しだけ思い出した。
一方で、レイに渡す服も必要だ。
最悪寝巻きかな…と思っていたところ、指輪を漁った中にレイに着せられそうなズボンが一本だけ見つかった。
上はもう寝巻きで我慢してもらうとしよう。
横穴へ戻り、出入り口付近で声をかける。
「レイくん、俺の予備の服があったから置いとくね」
「あ、すみません。助かります」
そう言って服を置いた直後、バシャッと湯から上がる音が聞こえた。
慌ててきた道を戻ろうとして――ガン!
思いきり頭を横穴の天井にぶつけた。
しばらくして、横穴の奥から控えめな声がした。
「アキオさん」
視線をやると、レイが俺の予備の服を着て出てきたところだった。
サイズは少し大きいらしく、袖や裾にゆとりがある。
つい先ほどまで“イケメンのレイくん”だと思っていたが、湯上がりのレイの雰囲気は落ち着きのある女の子といった感じで、なんだか妙に落ち着かない。
「すみません、助かりました」
「予備があって良かったよ」
そう言いながら、濡れた服を受け取り指輪へ収納していると、隣から視線を感じた。
レイは下から上へと俺の格好を見つめ、それから首を傾げた。
「アキオさんの服は……あまり見ない服ですね」
「あー……これは俺の故郷の服でね。割と高かったから、大事にしてたんだ」
「そうなんですか」
レイはそう言って、少しだけ目を細める。
「似合ってますね」
「ん、ありがとう」
世辞だとしても、この服が似合ってると言われるのは少し誇らしかった。
「よし、それじゃあ行こうか」
「はい」
温泉のあった小部屋を出ると、遺跡の冷えた空気が肌を撫でた。
「部屋の外はやっぱり冷えるな……」
濡れた服を着替えたのは正解だった。
レイの方を見ると、こちらは平然としているようで、さっきより顔色もいい。
「レイくんは大丈夫?」
「はい。結構暖かいです、この服」
「そっか。なら良かった」
そこから先は、再び探索に戻った。
紋様の続く通路を進み、分かれ道をいくつか選びながら、上へ向かう階段を探す。
温泉があったことで少し気持ちに余裕はできたが、ここが危険な遺跡であることに変わりはない。
「あ、アキオさん。アレって……」
隣を歩いていたレイが、前方を指差す。
指の先には、上層へと続く石階段。
「もう上でみんな待ってるかも。急ごうか」
「はい!」
そうして俺たちは、合流予定の四階を目指し遺跡の階段を上り始めたのだった。




