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野狂  作者: アイ氏


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3/5

冥府の役人 小野篁(三)


篁は人目を避け、ある井戸から冥府へと続く道を下っていた。


地上から遠ざかるにつれ、辺りから光が消えていく。


やがて見慣れた常闇の世界が姿を現すと、篁はどこか懐かしそうに辺りを見渡した。


「やはり、こちらの方が落ち着くな」


地上へ戻ってからまだ数日しか経っていないというのに、不思議なものだった。


考えてみれば当然かもしれない。


篁にとって地上は百年ぶりの世界。


対して冥府は、その百年を過ごした場所である。


こちらの方が馴染み深いのも無理はなかった。


冥府を行き交う鬼たちも、篁の姿に気づくと次々に頭を下げる。


「篁様、お戻りになられたのですか」


「少し用があってな」


「地上はいかがでございますか?」


「相変わらず、人の世は面倒なことばかりだ」


篁はそう答えながら、そのまま歩みを進めた。


向かった先は、死者たちが裁きを待つ場所だった。


「少し前に、平安京で殺された巫女が、こちらへ来たはずだ。呼んでくれ」


篁が尋ねると、冥府の役人は記録を確かめた。


「はい。しかしその巫女は……少々、厄介なことになっておりまして」


「厄介?」


「はい。その者は、本来定められていた寿命を迎える前に命を絶たれております。そのため記録と実際の死期が合わず、裁きの手続きが進んでおりません」


「やはり、そうか」


前の巫女と同じだった。


本来ならば、まだ地上で生きているはずだった者。


何者かによって、その寿命を無理やり断ち切られている。


「まぁ。良い。今すぐに、その巫女に会わせてくれ」


「承知いたしました」


しばらくして、一人の女が篁の前へ連れてこられた。


地上で見た、あの巫女だった。


鬼達に囲まれ女は不安そうに辺りを見回している。


自分がなぜ死んだのか。


これからどうなるのか。


何も分からぬまま冥府に留め置かれているのだろう。


篁は冷静に話しかけた。


「そなたに聞きたいことがある」


巫女は恐る恐る篁を見た。


「あなた様は…人で、ございますか…?」


篁を見て女は明らかにホッとした表情を浮かべた。


「私は冥府の役人だ」


だが篁の一言で女の顔色は再び強張った。


そんな様子の女に篁は構わず話を続ける。


「そなたが殺された件を地上で調べている。死ぬ前に何があったのか、覚えていることを全て話せ」


巫女はしばらく黙っていた。


やがて観念したように、ぽつりと口を開いた。


「……ある貴族様のお屋敷へ参りました」


「何のために?」


「口寄せを頼まれたのでございます」


「口寄せ?」


「亡くなった者の魂を呼び出し、言葉を聞きたいと……」


篁は黙って続きを促した。


ところが巫女は俯いたまま、なかなか次の言葉を口にしない。


「どうした」


「…………」


「隠し事をしても無駄だ。ここは冥府だ。裁判になれば、そなたの生前の所業は全て明らかになる」


その言葉に、巫女の肩が小さく震えた。


「申し訳ございません……」


「何がだ?」


「私は……本当は、口寄せなどできません」


篁の眉がわずかに動いた。


「できない?」


「はい」


「では、霊力は?」


巫女は小さく首を横に振った。


「ございません」


「……何?」


「私には、霊を見る力も、魂を呼び寄せる力もございません」


篁はしばらく無言で女を見つめた。


「では、そなたは何をしていた」


「口寄せができるふりをして……亡くなった方の言葉を聞いたように装っておりました」


「つまり、偽りか」


「……はい」


女はますます小さくなる。


「依頼された方から、亡くなった方のことをあらかじめ聞き、それらしい言葉をお伝えしておりました。そうすれば皆、信じてくださったのです」


「それで金品を受け取っていたのか」


「……はい」


篁は思わず額に手を当てた。


殺された巫女から事件の手掛かりを聞くために、わざわざ地上から冥府まで戻ってきた。


その結果、判明したのは――。


巫女を名乗る女による偽りの口寄せだった。


「人の世は、百年前より面倒になってはいないか……?」


「申し訳ございません……」


「それで、なぜ殺された」


篁が尋ねると、巫女の表情が強張った。


「偽りだと……知られてしまったのでございます」


「依頼した者にか?」


「はい」


口寄せをしている最中、女が語った死者の言葉に、決定的な間違いがあったのだという。


依頼した者は、それを聞いて巫女を問い詰めた。


最初こそ誤魔化そうとしたものの、やがて偽りであることを見抜かれた。


「大層お怒りになられて……私は逃げようといたしました。でも……」


そこから先は言葉にならなかった。


篁にも、それで十分だった。


「その者に殺されたのだな」


巫女は静かに頷いた。


これで殺された理由は分かった。


しかし――。


篁は懐から、地上で拾った紙を取り出した。


呪詛の言葉。


そして、『南』の一文字。


「では、これは何だ?」


巫女は紙を見つめる。


やがて困惑したように首を横に振った。


「分かりません……」


「見たこともないのか?」


「はい。私は、そのようなものは知りません」


篁は紙へ視線を落とした。


巫女が殺された理由は分かった。


犯人にも。


一見すれば事件は解決したように思える。


だが、それでは説明できないものが残っている。


前の巫女の亡骸にも残されていた呪詛。


そして――方角を示す文字。


最初は『北』。


今度は『南』。


「……妙だな」


篁は呟いた。


二人の巫女が殺された理由は、同じではないのかもしれない。


それなのに、なぜ同じような呪詛が残されている?


篁は紙を懐へ戻した。


どうやら地上で起きていることは、単なる巫女殺しでは済みそうになかった。


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