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咲菜はおそらく、ピンク色の浴衣を着るのだろう。淡い色味が彼女に似合っているはずだ。だとすれば星子が選ぶべきは、白と浅葱色の浴衣だった。温泉旅館の浴衣を彷彿とさせる質素な模様は、咲菜と並んだときに雑味になることなく、彼女の儚い雰囲気を際立たせるだろう。しかし濃紺の地に白い桔梗の抜いてある浴衣も捨てがたい。何度も見比べ、結局、白い桔梗柄の浴衣を選んだ。帯は山吹色と灰色がある。有彩色は、おそらく淡い色味を選ぶであろう咲菜の孅い空気に水を差す。
トータルコーディネートだ。咲菜の浴衣姿ならば、笹森はすぐさま惚れるはずだ。しかし念には念を入れる。計算が必要なのだ。
咲菜の可憐な浴衣姿を思い浮かべる。全ページ、彼女がモデルのファッション雑誌だった。
端末が鳴る。スタンプが送信されたらしい。開くと"青シャツあひる"が手を振るアニメーションが流れる。
[白川さん何してるの?]
笹森からだ。
[浴衣選んでます]
何故咲菜に送らないのだろう。咲菜のアカウントを知らないのか。テキストメッセージならば咲菜は上手く意思疎通できるかもしれない。
[張り切ってるね。七尾も髪切りにいくって言ってた]
七尾。星子は端末を置いた。何故か忘れかけていたのは、ここのところ話さなくなったせいか。
気が重い。浴衣の色彩が褪せていく。
嫌われてしまったのだ。仕方がない。
これから彼を裏切るのだ。仕方がない。
咲菜への片想いのために身嗜みを整えに行った七尾の恋の行く末を考えた途端、胸が痛んだ。負けず嫌いな性格が彼を苦しめるに違いない。たとえ七尾に嫌われ、恨まれようとも、星子は彼の悲運を望んではいなかった。
暗くなった画面が光る。また笹森からだ。
[白川さんと琴峯さんの浴衣姿楽しみだなー]
[わたしも笹森くんの浴衣姿楽しみです]
しかし楽しみにしているのは咲菜だ。社交辞令を打ち込む。
[じゃあぼくも精一杯おめかししないと]
ハートマークが添えられていた。返信に窮する。
[笹森くんはそのままで十分かっこいいと思うよ]
彼ならば言われ慣れているのだろう。星子の指は軽やかにガラス面を踊る。
親友の好きな相手に個人的な言葉は要らない。
[じゃあもっとかっこよくして行く!いっぱい褒めてね]
それは咲菜の仕事だった。
[うん。じゃあお祭りでね!]
咲菜とは共に行く予定だったが、彼女の父親が車で送ることになったのだという。
天気は曇り。"たなばた祭り"に相応しい。
星子は電車に揺られ、高校最寄りの駅で降りた。当初の予定ではこの場所で咲菜と落ち合うだった。
反対のホームから臙脂色の浴衣が降りてくる。背が高い。後姿しか見えなかった。ゆとりのある袖周りや裾周りだというのに、均整のとれた体躯なのが分かる。肩幅の割りに細い腰をディムグレーの帯が強調する。明るい茶髪が全体的な重さを緩和している。彼も"たなばた祭り"に行くのだろうか。波に踊るような規則正ししい尻の動きから星子は目を離せなかった。和服に詳しくなくとも、この臙脂色の人物が和服を着慣れていることはすぐに分かった。祭りの関係者だろうか。
駅舎まで向かうと、臙脂色を見失った。
改札の出口に惑っていると、人混みが行先を示していた。会場の商店街を見つけ、駅を出る。
時計を見ると待ち合わせまでまだ時間があった。着慣れない浴衣、履き慣れない下駄のために早めに出てきたのが仇になった。柱の傍で待っていると、人影が傍へ寄ってくる。
「もしかして、白川さん?」
時計から顔を上げる。臙脂色の浴衣に包まれた笹森が立っている。普段は下ろしている前髪を左右に分け、ストレートヘアにはカールがかかっている。
「え、笹森くん?」
互いに爪先から脳天を往復して眺め回す。臙脂色にディムグレーの帯は色味といい柄といい、先程見惚れた和服美男子だった。
「すごい、すごい、白川さん、いつもよりオトナっぽい!」
笹森は後退り、何度も何度も星子の装いを眺める。
「笹森くんって結構浴衣とか着るの?」
制服ではまったく気付かなかった。初めて星子は男の尻というものに気を留めたのだ。
「関係あるか分かんないけど、ぼくの母親、日本舞踊の先生だから……」
笹森はそう言いながら、まだ星子の浴衣を見ていた。
「めっちゃ、いい! オトナっぽい」
「地味だと思うけれど……」
地味にしたのだ。地味でなくてはならないのだ。笹森の双眸は華やかな咲菜を見るためにある。
「白川さんセンスいいな~。こういう侘び寂びっぽいのがいいのよ」
引いたり近付いたりしながら笹森は星子の浴衣を観賞している。
「そうかな」
艶福家は世辞が上手い。だからこその艶福家なのか。
「学校とのギャップあってすごくいいよ。最初誰だか分からなかったもん。声かけるの緊張したし。柄、桔梗だよね。いいなぁ……」
色素の薄い目が浴衣の花柄のひとつひとつを観賞している。
「笹森くんの浴衣姿もモデルさんみたいだったよ。見た目だけじゃなくて、歩き方とか」
これは率直な感想だった。
紺地に桔梗を映していたアーモンド色の瞳が、ふと星子の足元に落ちた。それでいて下駄を見ているわけではないようだった。
「そうかな」
「うん。とっても」
大仰な謙遜だ。圧倒的な美少女の心を鷲掴んでいながら、何を卑屈になるところがあるのだろう。
「さっき、親が日舞の先生だって言ったじゃん……? ぼくは、ほら、生まれつきこんな髪の色だしさ。あんまり着物とか浴衣とか、似合わないんだ」
へへ、と笑いながら笹森は髪を撫でつけた。
「そうなんだ。わたしは綺麗だと思ったけどな。笹森くんっぽいし。赤茶色みたいな浴衣の色にもよく似合ってる」
「日本人は、黒髪じゃん?」
これは黒髪美少女の咲菜のことに違いなかった。だが笹森の笑みは硬い。浴衣がそう見せるのか。
「そうとも限らないよ。トータルコーディネート、トータルコーディネート」
色素の薄い目が星子を見詰める。
「ほ、本当はちょっと浴衣着るの、迷ってた……多分、七尾は似合うんだよ、こういうの。でもぼくはさ……」
「笹森くん。緊張してる? 似合ってるよ、全然。むしろ浴衣を制服にすべきだったかも」
この男は平然と嫌味を言うものだ。
笹森は強張った笑みを消すと、また髪を撫でつける。
「へへ……」
すると、笹森の脇から男2人組がやって来て、彼に話しかけた。片方はカメラを担いでいる。首から掛けたカードを見せられ、平生の笹森がそこに戻っている。
「連れがいるもんで……」
彼のコンプレックスらしき瞳の色が星子を向く。2人組が星子を振り返る。
みんテレで、たなばた祭りの取材に来た者です。
カノジョさんもご一緒に。
ローカルテレビにありがちな気さくな取材班だった。
笹森と2人でいるところを撮られるのは不都合だ。左右の腕を交差させる。
「笹森くんだけ撮ってもらったら?」
だが彼は断ってしまった。取材班の背中を見送る。
「笹森くんを撮らないのは、ちょっともったいないかもね」
星子は自分が取材班になったときのことを考えた。間違いなく彼に声をかける。似たり寄ったりの浴衣の人混みの中で、明らかに佇まいで差をつけている。立てば芍薬というが、芍薬の比喩では頭が大き過ぎる。
「侘び寂び」
顔を見合わせる。笹森が何を言っているのか、星子にはよく分からなかった。
「侘び寂び?」
「綺麗なものは撮っておかないほうがいいってこと」
星子は駅前で撮影をしているらしき女性たちやカップルを見渡した。
「そうかな」
侘び寂びという言葉ができた時代には、まだカメラはなかったはずだ。
「撮っておくと忘れちゃうから?」
「それもある」
「それ"も"?」
笹森は笑っている。
「肉眼で見るのが一番ってこと」
「それは、そう。多分こればっかりは、どれだけカメラが良くなっても変わらないんだろうな」
「じゃあ一枚、撮っとく?」
「え……? え?」
アーモンド色の目が細まる。
「でも本当に、綺麗だ」
軽薄さの失せた、様々な和服を見てきた眼差しだった。
「ありがとう」
しかし咲菜が来たら、驚嘆することだろう。浴衣は柄だけではないのだ。所作と雰囲気、そして顔立ちだ。トータルコーディネートなのだ。
笹森は辺りを見回してから、帯へ指を入れた。小物を取り出している。鎖が水飛沫よろしく煌めいた。
掌の小物が二枚貝となって開いた。鈍い光沢のある金色の貝を笹森が覗く。
「まだちょっと時間あるね」
それは懐中時計だった。長い指が蓋を閉め、帯に戻す仕草は宛ら販売促進用の動画になりかねない。
「かっこいい!」
星子は呟いていた。そして笹森の小物を眺めた。
「え」
「懐中時計、いい! 和洋折衷だ。似合ってる!」
「え……? ああ、そう?」
笹森はもう一度懐中時計を出して星子に見せた。銅色に近い金色に繊細な模様が彫られている。
「笹森くんがモテるのは、ギャップ萌えもあるんだな」
「白川さん、ぼくがモテるって思ってくれてるの?」
「うん。モテると思うな。今日さらに納得しちゃった」
目を見合わせる。人懐こい表情ではない笹森は笹森に似ていなかった。星子は彼が誰だか分からなくなる。目を逸らした。
「あー、えっと。だってよく女の子たちと話してるでしょ。わたしだったら、上手く男の子たちと話せないから……多分、モテるんだろうなって」
実際に咲菜は彼に惚れている。あの美少女に好かれながら"モテない"は当て付けだ。
「白川さんは、どうなの……」
「どうって?」
「ぼくのこと……」
星子は首を傾げた。笹森が何を訊いているのか、問いの意図が読めなかった。
「お待たせ」
星子は振り返る。笹森に普段の軟派な色が戻る。口元は「W」に近い形になっている。
渋い青の浴衣に身を包んだ七尾が立っている。
星子は自身の足元を見下ろした。
「七尾~。やっぱ似合ってんな」
笹森は七尾に絡みつき、胸板を叩いている。
「来るの早くね」
七尾の声は低い。
「浴衣のとき焦りたくなかったから早めに来た。白川さんと」
「……琴峯さんと一緒じゃないのかよ」
星子は狼狽えた。話しかけられるとは思っていなかった。
「咲菜ちゃんは、ちゃんと来る、から! だ、だいじょうぶ、だよ……」
喉が痞えた。
「笹森と一緒に来たのか」
「そうだよね、白川さん。さっきテレビ取材されかけたの」
取材班は明らかに笹森が目当てだった。
「あ、えっと……」
「取材受けたのか」
七尾の語気は強い。
「その……」
「受けなかったよ。白川さんの綺麗なところ、テレビでみんなに観てほしかったけどねー」
七尾に睨まれている。星子は顔を上げられなかった。
「どうせ編集で不採用だろ」
浴衣に冷や汗が沁みていく。
「白川さん大丈夫? 暑いんじゃない? 座る?」
笹森は帯から扇子を抜くと、星子を扇いだ。
「大丈夫。ありがとう」
「浴衣、あんまり着慣れないもんね」
星子は笹森を見上げた。
「つらかったら寄り掛かっていいよ」
「ん……大丈夫。ごめんなさい」
「謝らないで。女の子は髪もやらなきゃだから、大変だね」
しかし笹森もまた髪に時間をかけているようだった。
「白川を甘やかすな」
咲菜がまだ来ていないために、機嫌が悪いのだろう。琴峯さんがいないのに何故お前がいる。琴峯さんは本当に来るのか。お前しかいないなら来なかった。
星子は七尾を見ようとしたが、下駄を一瞥するので精々だった。
目眩がした。足が力を失い、立ち眩む。笹森が受け止める。
「ご、ごめんなさい。ありがとう、笹森くん」
「座ってなよ」
笹森はまだ扇ぐ手を止めなかった。大きな掌が肩に回った。浴衣の薄い生地越しに体温を感じる。座るよう促され、星子は屈んだ。笹森も隣に屈み込む。
「本当にごめんなさい……」
「いいの、いいの。それより髪飾り、可愛いね」
送られる風によって簪の房が揺れる。
「あ、ありがとう。去年咲菜ちゃんと買ったの」
「そうなんだ。かわいい。ぼく星型好きなんだよね。あ、桔梗柄と合わせたの?」
「そういうわけじゃ……でも、桔梗のお花って星型だもんね」
笹森の涙袋が膨らみ、アーモンド色の目が眇められる。
「飲み物買ってくる」
七尾が言った。返事も聞かずに雑踏に消えていく。
「迷子になるなよー。ここにいるから」
星子は剽軽な横顔にすまなさを覚える。
「ごめんね、笹森くん。七尾くんが機嫌悪いの、わたしのせいなの」
それから咲菜がまだ来ないせいだ。
「七尾、機嫌悪いの? いつもあんなカンジじゃない?」
目を見合わせる。
「不機嫌だよ、あれは」
「そう? でも付き合い長い白川さんが言うならそうなのかもね。なんでだろ」
「野菜食べさせちゃったから」
「ああ、それ? それはないよ。さすがにそんな根に持つことじゃない」
あとひとつ、七尾が不機嫌になっている理由がある。
「それと……」
打ち明けるか迷った。しかし打ち明ければ、好い刺激になるかもしれない。
「ん?」
笹森が耳を寄せる。
咲菜のことを打ち明けたならば、笹森は彼女を意識するだろう。同時に彼等の友情に罅を入れるかもしれない。七尾の恋路はどうなる。
「う、ううん。咲菜ちゃんの浴衣姿、早く見たかったんだろうな、って……それだけのこと」
「はっはっはっ。そっか。七尾案外ムッツリだもんな」
笹森は軽率げな笑みを浮かべ、徐々に「W」の口元が消えていく。そして色素の薄い眸子が星子の髪から首までを撫でていく。
「白川さんは琴峯さんのこと大好きなんだね」
「うん。1年生のまだ最初の頃、クラスで盗難騒ぎがあったの。そのときに、わたしが疑われちゃったの。いつも最後まで残ってるから……って。早くクラスに馴染みたくて、掃除とか、花瓶の水の交換とかしてただけなんだけれど……そのときにね、庇ってくれたのが咲菜ちゃんなんだ。咲菜ちゃんだって、物盗られちゃったのに……」
「モテるかどうかは分からないけど……女子とはいっぱい話すからさ。やっぱ、仲良くしてる子の悪口とか、結構聞くんだよね。だからなんか、女子ってそんなものなんかなって」
「悪口が出てくるのは、それだけ一緒にいるってことなのかもしれないよ。女の子って気が利く子多いからさ。男の子も優しいけれど……そういうことじゃなくて。もちろん、一緒にいても全然悪いところ見えない子もいるけれど」
「白川さんって良い子だね」
扇子で作るより軽く流れていく社交辞令に星子は首を振る。
「良い子だったら、七尾くんのこと怒らせないよ」
「それはあいつの心が狭いんだよ。イライラしちゃってまぁ……カルシウム不足だね」
「今度は煮干しを持っていくよ」
冗談を返すと、彼は笑った。
曇り空が暗くなる。笹森が顔を上げ、釣られて星子も顔を上げた。目の前に七尾が踏ん反り返っている。渋い青の浴衣に身を包む三白眼は、よりいっそう厳つさを携えている。
「茶」
紙パックの緑茶が差し出された。
「え」
「こういうときってペットボトルじゃないの」
笹森が言った。
「あんま飲むタイプじゃないだろ」
さらに紙パックが前に突出され、星子は受け取った。
「あ、ありがとう……あ、お金……」
星子は勢いよく立ち上がり、巾着袋を開こうとした。頭が軽くなり、立ち眩む。
「ほら、気を付けて」
笹森も立ち上がり、星子を支える。
七尾は背を向けた。
「いい、別に」
「でも、」
「勝手に買ってきただけだから」
「あ、……ありがとう……」
星子は紙パックからストローを剥がし、飲み口に挿した。
「琴峯さん、遅いね~?」
笹森は軽佻な笑顔を向け、七尾に絡む。
「まだ時間じゃねーし、こんなもんじゃね」
「優男~ぉ」
星子は茶を啜りながら2人の姿を眺めた。美少女は罪作りだ。そして長い付き合いの友人を失恋の崖に突き落とす自身は大罪人だ。
水分が体内に染み渡っていく。七尾の優しさが石と化して腹に落ちていく。
数分後に、咲菜がやって来た。
彼女は星子の読みどおり、淡いピンク色の浴衣を着てきた。クリーム色とのマーブル地に細やかなピンク色の花柄で、裾や襟からレースが伸びている。袖からはデコレーションケーキよろしく襞を作るフリルが見えた。黒髪は左右に団子を作り、浴衣と同じ色味のリボンで留めてある。
笹森は数秒咲菜の浴衣姿を見ると、星子の浴衣を眺めた。七尾は咲菜の姿を目で追っている。
「ごめんなさい。駅前、渋滞で……」
咲菜は星子と七尾を見てから、躊躇いがちに笹森を見上げた。
「俺たちも今来たところだから」
三白眼が笹森を睨んだ。
「そ、そ! 今着いた。ほんの数秒前。電車混み混みでさ!」
「星子ちゃんも、ごめんね?」
ふっさりとした睫毛はビューラーとマスカラをかけ、美少女がさらに眼力を上げている。数時間待たされようとも赦しただろう。
「わたしも今来たところだよ。みんな、気が合うんだね」
「よかった……」
星子は紙パックを握った。咲菜が到着するまでに飲みきれなかった。七尾の言ったことは正しかった。星子は飲み物に強くない。打ち上げなどで6時間ほどカラオケに籠もったときも、ドリンクバーでの飲み物はグラス2杯でも多かった。
「貸せ」
七尾が紙パックを奪い取る。そしてストローに口を付けると、一瞬にしてパックを握り潰す。
「あ」
リップカラーが付いていたはずだ。言うべきだったか。しかしすでに飲んでしまった。後から知らされたなら、不快になるだけだろう。
「ゴミ捨てて来るから」
人混みに向かって歩き出す後姿の袖を摘む。
「わたしが、捨てて来る、よ……」
三白眼が星子を見下ろした。触られたくなかったのだろう。袖を放す。
「ごめん……」
「どうせ迷子になるんだろ。笹森たちと待ってろ」
「あ………うん。ごめんね……」
七尾は咲菜といたいはずだ。否、咲菜と笹森が2人きりになることを阻止したかったのか。やはり、自分で捨てに行くと言い張るべきだったか……
星子は七尾が消えていくのを見ていた。
「か、か、か、間接キス……だったね、星子ちゃん……」
咲菜は両頬に手を添えた。
「昔から一緒だったからね」
しかし星子もまた七尾が飲みかけを口にするとは思わっていなかった。余程、喉が渇いていたのか。咲菜の登場を待ち焦がれていたに違いない。
「それより咲菜ちゃん、浴衣すごく可愛い。去年のやつ、レース付いてたっけ?」
「去年のには付いてないわ。たなばた祭りに行くって話したら、ママが付けてくれたの。あ………」
咲菜は頬を赤らめていたが、忽如として口元に手を添えた。星子には母親がいない。そのことに気を遣ったのだろう。
「そうなんだ。すごく可愛い。ね、笹森くん」
棒立ちの笹森に声を掛ける。笹森の眼差しが咲菜に注がれ、彼女は頻りに前髪を撫でる。
「うん。可愛いよ」
笹森はそう返し、また棒立ちになっている。何を見ているのかを探れば、彼は星子の桔梗柄を凝らしていた。余程、星型が好きらしい。星子は咲菜の後ろに回った。純白のオーガンジーで咲き、濃いピンク色の作り帯に映えている。
「後ろも可愛い」
「ありがとう、星子ちゃん。でも、恥ずかしいよ……」
「咲菜ちゃんの浴衣姿、楽しみにしてたの。お人形さんみたい。可愛い」
「星子ちゃんは……? 去年の水色の浴衣は……?」
「うん、なんか気分じゃなかったの」
咲菜の着ている浴衣と色調が似ている。淡い青色にひまわりの柄だった。同じ色がふたつ並べば、片方がいくら唯一無二、無双の美少女であろうともぼやけてしまうものだ。
「そうなんだ。でもこの浴衣の星子ちゃん、いつもよりオトナっぽい」
「うふふ、よかった」
そのうち七尾が戻ってくる。遠目から見た彼は学校で見るよりも一際大柄に見えた。肩幅が広く、胴から足まで直線的だというのに華がある。笹森から髪を切ったと聞いていたが、確かに髪は短くなり、日焼けした肌と相俟って野性的な雰囲気を醸し出していた。しかし顔立ちが鮮明に見えるほど近付くと、星子は下駄を見詰めた。
「な、七尾くん。ありがとう……」
「ん」
「ん、ってお前、七尾。お前が浴衣にしろって言ったんだぞ。だから"星子ちゃん"たちは浴衣選んでお粧ししてくれたんぞ。もっとジロジロ観るのが礼儀ってもんだ」
七尾は笹森を睨んだ。
「星子ちゃん、可愛いよね?」
七尾の眼差しから棘が抜け、咲菜を見下ろしてから外方を向く。
「馬子にも衣装。鬼瓦にも化粧」
星子は笹森と咲菜の呆れと戸惑いを見て取った。
「ほら、4人揃ったことだし、行こう、行こう」
会場の商店街は混んでいた。
『"星子ちゃん"、大丈夫? つらかったら腕組んでもらって大丈夫だから……』
前方に咲菜と七尾が歩いていく。立ち位置が違う。入れ替わるべきだ。だが七尾はどうなる。
「え……?」
笹森が何か言っていた。訊ね返す。
「大丈夫?」
彼は首を傾げ、顔を覗き込む。
「うん。ありがとう。大丈夫」
やはり咲菜を引っ張り、この場所と入れ替わるべきか。だが同時に、やはり七尾のことが浮かぶのだった。




