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叶わぬ恋だと知っていたので、神の花嫁を目指したら  作者: 水月 灯花


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叶わぬ恋と知っていたので、神の花嫁を目指したら(後編)

 

 この国には、人々が古くから信仰する神がいる。

 言い伝えによれば、雨の降らない不毛の大地に恵みをもたらし、魔物を寄せ付けない結界を与え、人々を護った水神だという。

 姿形を見た者はいないが、神域である湖の向こう側――ここではない神の世界から、こちらを見守っているそうだ。

 神はこの国を慈しみ、人々はその加護に感謝して、代々神殿を中心に祈りを捧げて結界を強化してきた。


 ――ある時、神は一つだけ望みを口にしたという。

「花嫁がほしい」と。


 神の願いを受け、人々は最も清らかな乙女を神へ捧げた。

 以来、数十年に一度、新たな「神の花嫁」が選ばれる習わしが、現在まで続いている。

 同時に、身を護る術を持たない巫女を護り、結界の外で増えすぎた魔物を討伐するために、聖騎士が選ばれてきたのだ。


 今回、巫女見習いから正式に巫女となったのは、約十名ほど。

 その中から、最も相応しいと目される巫女が神の花嫁となり、神域へと旅立つ。

 花嫁は現世に戻ることはないが、その生家はこの上ない名誉を得ることになる。

 それ故に、貴族達が巫女見習いを送るのは当然のことでもあった。

 しかし、花嫁とは名目だけで、神への生贄ではないのか、という声はまことしやかに囁かれていた。

 何しろ花嫁が向かうのは、神域の湖であり、そこから帰った巫女はいないからだ。

 聖騎士も、男子禁制の神の領域へは進めない。

 巫女が神域に向かうと、神官達は「花嫁は無事に神の御元へ辿り着いた」と啓示を受けたと民にお触れを出す。

 本当に神の世界で花嫁になったのかどうかは――誰にも確かめる術はない。

 そのため、神の花嫁の選定は誉れ高い慶事とされながら、同時に疑念に思っている人もいるのだ。


 そんな事情もあり、神殿に巫女として送られる貴族の子どもも、基本的には長子ではない。

 神殿の騎士達もまた同じく。

 いつ命を落としてもおかしくないと思われる立場には、跡継ぎになる長男や他家との縁を繋ぐ長女ではなく、中間子や末子が来ると決まっていた。

 今期の花嫁の選定は既に始まっていて、筆頭巫女であるシャロンではないかと言われている。

 シャロンはといえば、


「花嫁に選ばれるのはとても光栄なことだし、嬉しいわ」


 と言って、健気だと周囲の涙を誘っていた。


「シャロン様にはアルベルト様がいらっしゃるのに、良いのかしら……」

「でも、神様の元へ行くことは最高の誉れよ」

「神域は神の力が濃すぎて普通の人間には辛いのでしょう。ひとりきりだし、私なら行けないわ……」

「アルベルト様は侯爵家の子息だけれど、跡継ぎではないから、強く出られないのかしら」

「シャロン様は長女だそうよ、どうして……」


 そんな声があるのを横目に、リゼルはもりもりと芋を食べていた。


(ご心配なく。私が神の花嫁になりますから!)


 具体的な展望はあまりないが、やる気だけはある。

 しかし、自分の手柄を祖父にやるのは業腹だ。

 ふと思い立って、食事をまたもりもりと詰め込んでから、席を立つ。


 巫女達の指導助言を担当している神官の所に向かって、質問をした。


「あの、ご相談があるのですが」

「なんだね?」

「もし、私が神の花嫁に選ばれた場合――伯爵家と縁を切ることは出来ますか?」


 初老の神官は少し驚いた顔をして、真面目に頷いた。


「……巫女本人が望めば、可能だ。しかし、君は神の花嫁を目指すのかい?」

「そうしたいです! でも、あの家にいい思いだけさせたくないので、縁は切りたいです!」

「まあ、構わないけれど……。まだ候補の内は出来ないことになっている。もし選ばれなかった場合、身の振り方を考えなければならないからね。――けれど、予め手続きをしておくことは可能だ」

「ぜひお願いします!」


 食い気味に答える。

 神殿に来た時から親身になってくれた神官様は、書類を用意しながら、困ったように言った。


「……リゼル。君は昔からこうと決めたら曲げない所があるけれど――思い込みが激しい所もある。よく考えて、周りを見て行動するんだよ」

「はい、わかってます!」

「………」


 本当だろうか、と言いたげな視線だったけれど、リゼルはしっかりと頷いた。


(神の花嫁を目指すなんて無謀だと思われているんだろうけど、頑張りますから!)


 それでは、と扉から出ようとして、目の前にいた人物と視線が合う。


「――アルベルト様」

「ああ、聖騎士アルベルト。聖騎士団からの書類かな? ありがとう。こちらへ頂くよ」

「――はい。失礼いたします」


 神官様の元へ向かう彼の背中をちらりと見て、挨拶もそこそこに部屋を出る。

 もしかして、聞かれていただろうか。

 いや、でも別に平気か。

 そんなことを思いながら回廊を曲がって。


「――リゼル!」


 後ろから、焦ったような声をかけられて、つい振り向く。

 アルベルトが急いで追いかけてきていた。


「リゼル、君、本気なのか?」

「え……」

「神の花嫁に、なりたいって……」


 やはり聞かれていたのか。

 出来れば言わずにびっくりさせたかったけれど、仕方ない。


「――はい。本当です」

「どうして……?」

「花嫁が決まって、もし還俗することになっても、伯爵家には戻りたくないからです」

「戻らなくても、ここにいれば――」

「……ここも、自分の居場所とは思えなくて。それに、神の世界に行ったら、両親に会えないかと思ってるんです」

「それは……っ」


 アルベルトが珍しく強く声を出そうとして、止めた。


「――それは、本当に君の希望?」

「はい、そうです」

「誰かに嫌がらせをされて嫌になったとか、家から言わされてるわけじゃない?」

「私がやり返してきたこと、ご存知でしょう?」


 意地悪への仕返しの武勇伝は、これまで何度となくしてきた。

 彼には頼りない子どもではなく、きちんと物事に対処できる人間として尊重してほしかったから。

 伯爵家でのあれこれも、ごくたまに来るくだらない連絡も無視していることも。

 守られるだけの存在ではなくて、肩を並べる存在になりたかった。

 そうすれば、妹とは思われないかと思って。


「うん。よく知ってるよ。――君が本当は、さみしがりやなことも」


 目を細める彼の表情こそ、どこか寂しげだった。


「結局、敬語もやめてくれなかったし……俺では、君の寂しさは埋められなかったかな」

「っそ、そういうことは、大事な人に言うものですよ!」

「――俺にとって、リゼルは、大切な……存在だ」


 大切な存在――妹みたいな?

 じくじくと胸が痛んだ。


「それなら、応援してくれますか?」

「リゼル……」

「私、きっと選ばれてみせますから。その時は祝福してください」


 アルベルトは何か言いたげに口を開いて、閉じた。


「――それが、君の幸せ?」

「はい」

「それなら……俺には何も言う権利はないね」

「………」

「リゼル。俺は――君の……」


 それはとても、儚い笑みだった。


「君の幸せを、一番に願ってるよ」

「っありがとう、ございます」


 じゃあ、とリゼルは急ぎ足でその場を離れた。

 それ以上留まっていたら、言ってはいけないことを口にしてしまいそうだった。


(そんなことはシャロン様に言えばいい)


(どうして引き留めるようなことを言うの)


(貴方が大切なのはシャロン様でしょう)


 思わせぶりなことしないで――そんな言葉が、いくつもいくつも浮かんでは消える。

 アルベルトの感情を抑えたような表情が、脳裏から消えない。

 敬語をやめなかったのは、癖になっていることもあった。

 伯爵家では敬語を使わないと折檻にされたから。

 それと、彼がまた敬語使ってる、と文句を言うのが楽しくて――直す努力をしないでいる内に、彼とシャロンはお似合いで、自分は不釣り合いだと気づいた。駆け引きじみたことをしていたことが恥ずかしくて、余計に砕けた話し方は出来なくなった。


「……忘れたい。二人を見ていたくない……」

(貴方が私を愛してくれるなら、神の花嫁なんかにならないのに)


 決して、言えない言葉だけが、胸の奥に溜まっていく。


「……あら? リゼル?」


 俯いていたら、ふわりと手を取られた。


「どうしたの? 何か嫌なことがあった?」

「……いえ……」

「言いたくない?」

「………」

「そう。それじゃあ、これだけおすそ分けしておくわ」


 優しく手の中に落とされたのは、柔らかい布地で出来た匂い袋だった。


「いい匂いでしょう? 心を落ち着かせる効果のある薬草を入れているの。上手に出来たから、神様にお供えしてきた所だったのよ。残りをあなたにもあげたくて探していたの」

「……シャロン様……」

「リゼル。私ね、あなたのこと妹みたいに大切に思っているのよ。それは知っていておいてね」

「……ありがとうございます……」


 何かと話しかけてくるシャロンは、雑草精神たくましいリゼルを物珍しく感じて、構いにくるのだろうと思っていた。

 でも、もっと親しみをもって接していてくれたのだろうか。

 ――妹。

 自分はそんなに、誰かにとって妹みたいな立場なのか。


(ああ、嫌だな。シャロン様はこんなに素敵な人なのに――嫉妬ばかりする、自分が嫌だ)


 どうしてシャロンばかり、何でも持っているのだろうと。

 家柄も、美貌も、性格の良さも――巫女としての清らかな素質の何もかも持っているのだから、聖騎士くらい譲ってくれてもよかったのに、なんて、シャロンに言っても仕方ないことを思う。

 アルベルトくらい、譲ってほしい、なんて。

 どろどろした醜い感情だ。

 これ以上醜い自分になる前に、神の花嫁として選ばれたい――そう思った翌日。

 神の花嫁の最終選定が行われると、知らせが届いた。


 神の花嫁を選ぶために行われるのは、神との親和性を高める儀式――修行だ。

 それは神域の湖の近くにある泉のほとりで、順番に潔斎を行い、三日間祈りを捧げることだった。

 そこで神と対話をし、選ばれた人が神域に向かう。

 神と話した内容については他御無用。

 破れば災いが降りかかるため、どんなことを聞くのかは他の誰も知り得ない。

 選ばれた人間は神の印を得て戻り、近く花嫁として神域に旅立つのだ。

 二、三名ずつ潔斎を行なっているが、今のところ印が出た人の話は聞いていない。


 そして、リゼルの番がやってきた。


「さ、寒い……」


 水を被りながらガタガタ震える。

 もうすぐ夏とはいえ、まだ気温も水温もあまり高くない。

 浄めの水浴びは日頃から行なっているが、泉は神殿の中の水場よりも冷える。専用の巫女服での禊はなかなかに厳しい。

 外部との接触が絶たれるため、食事も制限され、普段よりも更に質素な携帯食。

 三日経つ前に音を上げて辞退する者もいるらしい。

 食事を取ることが何より楽しみなリゼルも正直堪えた。

 花嫁を目標にしていなければ、早々に放棄していたかもしれない。

 ちなみに二日目だが、神の声なんて一音たりとも聴こえない。

 やっぱり、向いてないのかもしれない。


「でも……私が頑張らないと……」


 他の巫女で神の花嫁に積極的な人はいなかった。

 それはそうだ、実態のわからない所へ行く――最悪死ぬかもしれないと思って、普通乗り気な人間はいないだろう。

 他に誰もいなければ。

 家のために。

 そんな消極的希望な人はいるかもしれないが――そもそも、皆がシャロンに期待していた。

 何故かシャロンは前向きに見えるのだ。

 神様はどんな方かしら。神域はどんな所なのかしら――なんて言う時もあった。

 個別に潔斎しているため、姿は見えないけれど、リゼルと同じ最終組にシャロンがいるはず。

 そういえば、ここに籠る前のシャロンは何だかいつもと違っていた。


「リゼル。無理しなくて大丈夫よ。辛くなったらすぐに騎士に伝えてね」


 辞退する場合は外で入り口を守っている聖騎士にその旨を伝えればいい、とは聞いていた。


「いえ、シャロン様も――」

「私は大丈夫よ。神様とお話できるのを楽しみにしているの」

「そう……なんですか?」

「ええ。でも……神様に選ばれることは誉れだけれど、皆にとっては、それだけが幸せではないと思うの」


 ぎゅ、と握られた手は少し痛いほどだった。


「私は、あなたにはもっと相応しい未来があるんじゃないかと思ってるわ」


 その目は何だか、リゼルが花嫁として選ばれるのを歓迎していないようだった。

 どうしたのだろうか。

 シャロンは誰にだって優しくて、親切で――皆を励ましてくれる人なのに。

 地位や名誉を欲しがる感じでもない。

 けれど、何だか知らない人を前にしているような気持ちになった。


「シャロン様……?」


 問い掛けようとした所で時間になってしまったけれど、シャロンのどこか重い何かを秘めた瞳が気になってしまう。

 その後方で、こちらをじっと見つめていた――アルベルトのことも。


「っ」


 ざばり、と思考を遮るように水を被った。

 気にしてはいけない。気にしては――。


 水場の隣の小さな部屋で、リゼルは布団を被ってガチガチ歯を鳴らしていた。

 やりすぎた。

 全身を浄めたら終わりにしていいものを、頭を冷やしたくて何杯も水を被ったのは我ながら馬鹿ではないかと思う。

 着替えて髪を拭っても、布団を被り火鉢にあたりながら温めた石を抱え込んでも、凍えた身体は少しずつしか回復しない。

 震える指で髪を拭いていると段々と乾いてきて、落ち着いてきたけれど。


(あ、まずい。風邪引かないかな……)


 なんだかぞくっと寒気がした。

 自業自得とはいえ自己管理の出来なさに呆れる。

 こんなことで神の花嫁なんてつとまるのだろうか。

 弱気になりながら祈る。


(……神様。哀れな私にもどうか、挑戦する権利をください)


 不純な動機でも、精いっぱいつとめますから。

 そんなことを思いながらうとうととまどろみ――リゼルは夢を見た。


『そなたは、本当に花嫁になりたいのか』

「え……?」

『我ではなく、他に意中の者がいるだろう』

「……神様、ですか?」


 ぼんやりとした光にしか見えないものが、リゼルに語りかけてきている。

 声色もわからないそれは、直接頭の中に届くような『声』だった。


「……他の人を想っていて花嫁になろうなんて、不敬すぎますよね。申し訳ありません……ですが、感謝の気持ちだけは人一倍ありますし、神域で馬車馬のように働けます!」


 仕事があるのかは不明だが、リゼルはむんと体力アピールをした。


「図太さには自信があるので、精いっぱいお仕えできると思います!」

『……嫁を働かせるつもりはないが……』


 ため息をつかれたような気がするのは何故か。解せない。


『そなたが望むなら――道を用意してやろう』


 そして、『もう十分浄め終わっているから、水を被るな』と聞こえた気がした。

 次の瞬間、ばちりと目を開く。

 目に映ったのは火の消えた鉢と、薄暗い潔斎室の中。

 扉の外から、自分を呼ぶ聖騎士の声がした。


「リゼル様、お戻りになれますか?」


 気が付いたら、三日間の潔斎日が終わっていたことを知った。

 丸一日、眠っていたらしい。

 そのせいか、寒さからの具合の悪さはなくなっていて、普段通りピンピンしていた。

 ――そして、左手の甲に見慣れない絵のような、文字のようなものが浮かんでいたのだ。



 神殿は騒然とした。

 何と、巫女の中に二人も神の印を得た者が現れたためだ。

 筆頭巫女シャロンと――巫女リゼル。

 彼女達の手に現れた印は、よく似ていたが、少し違っていた。


「巫女シャロンの右手にあるのは、伝え聞いている神紋だ」

「巫女リゼルの左手にあるのは少し異なるようだが――しかしあちらも神紋だろう」

「今回は二名お選びになるのか……?」


 皆困惑しているようだ。

 リゼルも困った。


(神様は私に同情してくれたみたいだったけど――シャロン様も?)


 シャロンではなく自分が選ばれれば、恋仲の二人が結ばれると思っていたのに。


 頭を悩ませながら移動していた時、たまたまシャロンとアルベルトと鉢合わせた。何故か二人とも、固い表情でリゼルを見る。

 シャロンはいつもの優しい笑顔だけれど、瞳が笑っていない。

 アルベルトの穏やかな緑の瞳は、氷のように冷たく見えた。

 その視線は真っ直ぐリゼルの手を射抜いていて、思わず身を縮こまらせる。


(え……な、何か……怒ってる?)


 シャロンが選ばれた為にアルベルトが悲しむのはわかるけれど、二人はどう見てもリゼルに負の感情を抱いているようだ。


(もしかして……私がシャロン様を道連れにしたと思われてる……? それか、泣く泣くお別れしたのに私がその決意を無駄にしたとか……?)


 大切な人達を怒らせてしまったことに気落ちした。

 けれど時は待ってくれず、何をどう言えばいいのか分からず言葉を交わさないまま、早々に、神域へと向かう日の前夜となった。

 結局、二人とも花嫁なのだろう、と判断されて、神域へ送られることになったのだ。

 神官達には、神からぼんやりとした託宣がごくまれにあるだけらしく、今回は何もなかったそうだ。

 リゼルにも、潔斎時の夢の中以来聴こえてこないので、真意を確かめる術もない。



 後はもう寝るだけ、という時間。

 いよいよ明日神域に向かうと思うと、何だか目が冴えて眠れなかった。

 巫女になって、見習いの大部屋から移り、中庭に面した一人部屋を与えられたのだけれど、まだあまり慣れない。

 思えば自分だけの部屋、自分だけのもの――そういった物とは縁遠い人生だった。

 母の形見を取り出して眺め、何となく窓辺に立ち、木窓を少し開く。

 外の風に当たろうと、そう思ったのに。


「……リゼル」


 外から好きな人の声がした。


「あ、アルベルト様!?」


 空耳かと思った。

 一瞬思考が停止した。

 慌てて外を覗き見る。

 窓の外、少し見下ろした場所に立ってこちらを見上げているのは、金茶色の髪の麗しい青年だった。

 月明かりに照らされて、翠の瞳が静かに光る。

 身を乗り出しかけて、止まった。

 夜分に巫女の元へ訪れることは、聖騎士とはいえ男性には許されていない。ましてや、普段の護衛対象とは違う相手だ。

 そんなことは重々承知しているはずなのに、聖騎士の彼がここにいる。


「――ごめん。規則破りなのはわかってるけど、どうしても聞きたいことがあって。……これ以上近寄らないから、そのまま聞いてほしい」

「な、なんですか……?」

「――本当に、神の花嫁になるつもり?」

「え?」

「リゼルが望むなら――逃げ出したいなら、手伝うよ」

「何言って……」

「聖騎士の位を剥奪されたっていい。君が望むなら――」

「アルベルト様っ」


 リゼルの押し殺した叫び声に、ぴたり、とアルベルトは言葉を止めた。

 リゼルは少し目を伏せて言う。


「……子どもの頃から、努力して聖騎士になられたんでしょう?」

「リゼル……」

「私の為にそれを手放すなんて言われても、嬉しく、ないです」

「………」


 嘘だ。

 本当は叫び出したいくらいに嬉しい。

 そんなに大切に思ってくれているなんて知らなかった。

 でも同時に絶望した。


(私が好きだから、って言ってくれれば――全部投げ出したってついていくのに)


 アルベルトはそうは言わない。

 つまりはただ、彼の高潔さが、妹みたいに大切に思っている相手を見捨てておけないだけなのだろう。


(普通はそこまで出来ないけど、超がつくほどお人好しのアルベルト様だし……)


 初対面の女の子の為に、ゴミまみれの焼却炉に突っ込むような人だ。


「誰かに見られたら大変です。早くお帰りください」

「……そうだね……」


 その返事にほっとして、でも少しでも長く話していたいと、さみしい気持ちもあって。

 自分を心配して来てくれた喜びと、自分のせいで彼が聖騎士でなくなったらという懸念とで板挟みになり、心がぐらぐら揺れている。

 早く戻ってほしい。

 あなたをあきらめたいから――。


「――じゃあ、もし。もし、神の元から逃げ出したくなったら教えてくれないか」

「え……」


 思わず目線を合わせると、彼は真剣な眼差しでこちらを見ていた。

 どきり、と胸が鳴る。


「助けが必要なら、必ず迎えに行くから」

「……アルベルト様……」


 そんなこと、無闇矢鱈に口にすべきではない、と思った。

 もしかして、なんて……期待して裏切られるのはごめんだ。


(……期待しちゃだめ。アルベルト様は、困っている人を放っておけないだけ)


 胸が痛い。痛い――……。


(私だけが特別じゃない)


 勘違いしてはいけないのだ。

 血の繋がった家族にだって受け入れられなかったのに。

 シャロンのような素敵な人をさしおいて――リゼルが選ばれるはずはない。


「……ごめん。困らせたね。――もう行くよ」

「あ……」


 すう、とアルベルトが窓際から離れていく。

 思わず手を伸ばしかけて、止めた。


「――アルベルト様」


 胸元の指輪を外して、窓から手を出す。


「これを、良かったら持っていてくださいませんか。不要なら処分して頂いて構いません」

「これは、君の――」

「神域には、身一つで向かうと伺いましたから。もし、よければ」

「……わかった」


 受け取ってもらえてほっとした。

 母の形見を誰かに勝手に扱われるのは嫌だった。

 同時に、それがリゼルのいた証として、彼に疵を遺せるのではないかという仄暗い気持ちもあった。


「預かっておくから――いつでも、受け取りに戻ってきて」

「え?」

「あんまり遅いと、俺が君の所まで届けに行くよ」


 ぽかんと口を開けたリゼルにくすっと、いつものようにアルベルトは笑う。


「気をつけていってくるんだよ、リゼル。――おやすみ」


 そう言って去っていく後ろ姿を呆然と見送った。


「なに、それ……」


 まるで、リゼルがただの小旅行にでも行くかのように。

 届けに行く、だなんて。そんなこと不可能なのに――。


「……何それ……っ?」


 へなへなと座り込む。

 罪悪感のような消えない疵をつけてやろうと思ったのに、胸を抉られたのは自分だった。

 早く寝ようとしても、なかなか眠りに落ちるのが難しくなってしまったリゼルだった。



 ◇ ◇ ◇



 翌朝。

 早朝から神殿の人々に見送られて、シャロンとリゼルは神域へ向かった。

 二人同時に行くべきか神殿側もこれまた悩んだ末、シャロンから先に、一人ずつ向かうこととなった。

 神の住まう湖は森に隠されるように囲まれていて、人の目にあまり触れないよう、湖に続く小道の手前に門を作り、人の出入りが制限されている。

 神域の近くまでは護衛騎士が一緒だが、神の領域を示す門の向こう側からは巫女しか足を踏み入れられない。

 門をくぐった先の一本道からは――自分の足で進むことになっている。


 シャロンが先に向かった為、当然のように門前にはアルベルトがいた。

 聖騎士らしい冷静な表情を崩さないまま、控えている。


(……シャロン様が行ってしまったのに……大丈夫なのかしら)


 リゼルも自身の護衛騎士に向き合って、感謝の気持ちをこめて、今までありがとうございました、と挨拶した。

 寡黙な聖騎士も丁寧に挨拶を返してくれた。

 よし、と足を踏み出そうとして。

 一瞬だけ、アルベルトと目が合った。

 言葉はなかった。

 けれど――何故か、あまりにも強く、リゼルの瞳を射抜いているような気がして、一歩がよろめきかけた。


(な、な、何?)


 意地で視線を外して体勢を立て直して道を進み始めたが、何度も振り返りたくなる気持ちを押し殺すのに苦労した。


(なんであんなに――切なそうに私を見るの?)


 気を抜くとアルベルトのことを考えてしまって、ぶんぶんと頭を振って追い出そうとする。

 神域に向かうというのに、煩悩まみれだ。

 足の動きがぎこちなくなってしまったけれど、湖まで一本道で助かった。

 ここは国境の近くで、神域へと続く道の外の森も途中からは、結界の外となっていて、魔物もいるらしい。

 ゆるやかな傾斜になっているので、端に寄らないようにと言われていた。

 万が一でも踏み外したりしたら、魔物の餌になりかねない。

 道の真ん中を通り、森を抜けた瞬間――美しい水面に目を奪われた。

 朝日を浴びて煌めく湖は、神秘的な光を放っているようだった。

 どこまでも澄み渡り、静かでどこか厳かな――神の棲家。


「きれい……」


 立ち止まって魅入っていたその瞬間。

 どん、と何かが身体に強くぶつかった。


「え……っ」


 視界から湖が消えて、代わりに緑で埋め尽くされる。

 落ちる、と気付いた時には遅かった。

 せめてと頭を守るように抱えたけれど、暗い森の中を滑り落ちていく。


「わぁぁぁ……!」


 ただ反射的に悲鳴をあげて、必死に身を守る。

 長い長い間のような、一瞬のような――恐怖の時間。

 気が付けば、意識は暗転していた。






『――リゼル。リゼル』

「ん……?」


 誰かに呼ばれたような気がして、うっすらと目を開く。


(あれ、私……どうしたんだっけ……?)


 途端にずきりと鈍い痛みが全身を襲った。


「う……っ」


 ――そうだ。湖で、誰かに押されて。


 落下の恐怖を思い出す。

 そろりと見回すと、遠くに光が見えた。

 あたりは鬱蒼と木々が生い茂り、日の光が遮られている。

 神域近くからはだいぶ離れているようだ。


(……押されたのって……見習いの時の……)


 一瞬だけれど見えた。

 憎々しげな顔で突き落としてきたのはたしかに、巫女見習いの時に散々虐めてきた相手だった。

 今は孤児院の手伝いに回されていると耳にしたことがある。

 どうやって聖域近くに潜り込んだのか知らないが――男子禁制が仇となったのか。


(……死ぬかと思った……)


 生きていて良かった。運が良かった。

 死んでいてもおかしくなかったのだ。

 それほどに、疎まれていたのか。


「………」


 背中がチクチクと痛い。

 緑の葉っぱが頬に当たっているので、察するに木が緩衝材になってくれているのではないだろうか。

 身体を動かそうとすると痛むので、ひとまずそのままでいることにした。

 神力は自分には使えないので、治癒できない。そもそも、どこが怪我をしているかもわからない。

 不安定な感じはないので、木にぶら下がっているとかではないはず。たぶん、おそらく。


『君は登っちゃだめだよ、危ないからね』


 ――こんな状況であの時の彼の言葉を思い出すなんて、自分も大概だ。


「……アルベルト……」


 ぽろりと恋しい人の名前がこぼれ落ちた。

 その名前を口にした瞬間、後悔が押し寄せてきた。

 こんな風に、呼んでみたかった。

 玉砕してもいいから、伝えておけば良かった。


「すき……」


 どんな時でも貴方を思い出してしまうくらいに。


 体と心の痛みでにじんでいた涙で目がしぱしぱする。

 誰か、みつけてくれるだろうか。

 こんな、森の――奥で。


 ぞく、と背筋が粟立った。

 何か、嫌な気配がする。

 ……何か、いる。

 ガサ、と草木が踏みしめられるような音。

 ガサ、ガサ、と近づいてくる。


 リゼルは必死で首を巡らせて、固まった。

 茂みの奥で、二つの禍々しい赤黒い瞳がゆっくりと開く。


(……魔物)


 文献でしか見たことがないが、間違いない。

 ――獣のような低い唸り声。


「っ……」


 そうだ。

 ここは結界の外。神の守りが及ばない場所。

 血の気が引いた。

 起き上がろうとしても、全身が痛くて力が入らない。

 じり、と魔物が近付く。


(誰か――アルベルト様……!)


 助けて。

 声にならない。

 魔物が恐ろしい咆哮をあげた。

 飛びかかろうとしているのがわかったけれど、強張った身体は動かない。

 眼前に鋭い牙がせまっている。


「アル……!」


 恐怖でぎゅっと目をつぶった。




 ザン、と何かが裂ける音がした。

 痛みは、不思議なことにない。


「――リゼル」

「……え……?」


 聞き覚えのある声に、おそるおそる、目を開ける。

 ――信じられなかった。

 ――でも心のどこかで、信じていた。


「……木に登ったら駄目だって、言ったよね……っ?」

「――アルベルトさま……っ」


 どうして彼はいつも、リゼルのことを助けに来てくれるのだろう。


「はぁ、間に合って……良かった……」

「な、んで……?」


 魔物がサラサラと砂のように崩れていく。

 アルベルトは剣を振っておさめると、リゼルの方に向き直った。

 見たことがない程に、肩で息をして、汗をかいて――聖騎士の証である制服は、あちこち汚れ、破れていた。


「……足を踏み外して落ちた? 頭は打ってない?」

「頭はそこまで痛くないです……踏み外したと言うか……」


 一瞬答えに窮したけれど、自分に悪いことはないと思い直す。


「押されました。元巫女見習いに」

「――――そう」


 アルベルトはすっと表情を消した。

 ベタ惚れしているリゼルでもちょっと怖かった。


「あ、の」

「ああ、ごめん。今はひとまず戻ることが先決だね。痛いかもしれないけど、降ろすね」


 そっと、優しく地面に降ろされた。

 密集した低木の上に落ちていたようだ。


(偶然木があって良かった……けど、他のことが頭に入らない……っ)


 さらりと、大きな手がリゼルの髪を撫でるように掻き分ける。

 どきどきと鼓動がうるさい。

 地べたに座り、胡座をかいたアルベルトの上に横抱きにされて、怪我を検分されていた。


「――うん。外傷はあまりないみたいだ。神のご加護のおかげかな。軽い打ち身程度ならいいけど……あまり動かさない方がいい。ここで応援を待とう」

「こっ、ここで……?」

「魔物のことなら大丈夫。これでも聖騎士ですから」


 ふっと笑って、頬を撫でられた。


「ひぇ……! あ、あるアルベルトさま……!?」

「ん? なに?」


 先刻恐ろしい魔物を斬り伏せたばかりの人とは思えない程、何だか甘い雰囲気がする。

 近すぎる。嬉しい……恥ずかしい。

 今までこんな接触をされたことはなかった。

 混乱に頭がぐるぐるする。


「あの、何で……ここに……そ、そういえば。シャロン様は……」

「――そんな顔、しないで」


 ふう、とため息をつかれた。

 そんな顔って、どんな顔?


「な……に……」

「……シャロン様は、無事に神域に着いて、神の元に行かれたようだよ。君のことを心配して、教えて下さったんだ。――これを通して」

「へ……?」


 間の抜けた声が出た。

 アルベルトが懐から取り出したのは、リゼルが預けた指輪だ。

 今まで一度たりともそんなことはなかったが、何故かほんのりと光を放っている。

 ――リゼルの左手の神紋と一緒に。


「え、あれ? ……え?」


 手のひらに戻ってきた指輪と左手を見比べていたら、どちらもすうっと光が消えていった。

 驚いてしまって、瞬きを繰り返した。


「……後にも先にも、あんな風に神託を経験した聖騎士は俺だけじゃないかな。神といっても、シャロン様の声だったけどね」


 神域の門前に立っていたアルベルトのもとへ、雷のような神託が降ってきたという。

 曰く――リゼルが神域の外の森に落ちた。早く助けに行け。今だけ通行を許すと神も仰せだ。指輪に道を示させる、というように。


「滑落した跡は分かったから追いかけてきたんだけど、最終地点がわからなくて、探してたら……君の声がした」

「こ、こえ……?」

「アルベルト、って呼んでくれたね。アル、とも」

「!!!」

「――好き、とも」

「っすみません! あの、私」

「嬉しかった」


 頭に血が逆流したのではないかと思うほど顔が熱くて、恥ずかしくて言い募ろうとしたのに、その言葉に何も言えなくなった。


「え?」

「嬉しかった。ありがとう。絶対に撤回は聞かない」

「……ええ……?」


 視線が交わる。

 アルベルトの笑顔が深まる。


「君が告白してくれたし、ここは結界の外だ。宣誓区域じゃない。――リゼル。こんな時に言うのもどうかと思うけど、聞いてほしい」


 その緑の瞳が、甘く溶けそうに見えた。


「君が好きだ。誰よりも大切なんだ。ずっと、そう言いたかった。……聖騎士の誓いのせいで言えなかったけど」


 いっそ、このまま国を出て、二人で生きていってもいいよ、と彼は言った。


(……え? 夢……?)


 随分と自分に都合の良い夢を見ているのかと思った。

 でも、落ちた分の痛みは残っている。

 それに、抱えるアルベルトの熱が、ひどく熱かった。


「落ちた、と聞いて――少しだけ、リゼルが自分で落ちたのかと思った」

「そん、なことしません……」

「うん、そうだよね。でも……この所の君は、ひどく思い詰めて見えたから」


 なるべく痛くないように、優しく、けれどリゼルの存在を確かめるように、アルベルトに抱き締められている。


「………アルベルト様は、」


 言葉に詰まった。


「様はいらないけど。……なに?」


 優しく促すように言われて、おそるおそる声を絞り出す。


「私じゃなくて、シャロン様のことが好きなんだと、思ってました。――あの、シャロン様を尊敬するって……命をかけられるって……」

「ん?」


 アルベルトは物凄く怪訝そうにして、暫く考え込んで、ああ、と思い出したように答えを返した。


「いつだったかそんなこと言ったなあ。聞いてたのか」


 何でもないことのように、さらりと。


「な……」

「シャロン様――いや、シャロン嬢はね、俺の再従妹はとこなんだ。子どもの頃から知ってる」

「は……」


 まさかの親戚幼馴染の立場。

 それではやはり。


「もう一人の妹みたいな人だよ。小さい頃から一途に神に恋してるらしい」

「はい?」


 これは内緒なんだけどね、と囁かれた。

 耳が熱い。

 妹みたい、とは私のことではなく?


「……もしかしてその時の話、最後まで聞いてなかった? 一途な所は尊敬に値すると思うし、宣誓したからには、騎士としては命をかけられる。でも、死ぬ気はない。他に大切な人がいるから――って言ったんだけど。……君のことだよ?」

「わ、わたし!?」


 そんなこと聞いてなかった。

 ぎょっとしたら、はあーとため息を吐かれた。


「……俺がどれだけ今まで周りを牽制してきたと……結構あからさまだったから、懲罰受けかけたんだけど」


 聖騎士は神の花嫁が決まるまで、巫女に思いを告げることもしてはいけない、と誓わせられているからさ。

 巫女から言われるなら別だけど、と恨めしげに言われた。

 他の聖騎士は巫女から告白されて良い感じの人もいたから、羨ましすぎた、と。


「そう、なんですか?」

「知らなかったのか……いや、たぶん、シャロン嬢が耳に入らないようにしてたのかもしれないね。あの人、俺に意地悪だから」

「シャロン様が……ですか?」

「うわ、その信じられませんって顔嫌だ」


 少しだけ腕に力をこめて、抱え直される。

 すり、と頬ずりされてリゼルは固まった。


「リゼルのこと、小さくて可愛いってずっと言ってたんだ。似たもの同士なんだろうね。独占欲が強いんだ。同意はするけど、リゼルは俺のだと思ってたから、面白くはなかった」


 本当の妹より中身が似てる、と家族にも言われるんだ、と嫌そうに言うアルベルト。

 話を聞いていても、頭に入ってこない。

 リゼルに頬を寄せながら、アルベルトはぶつぶつと続ける。


「見習いの時は聖騎士になってからじゃないと好きだっていう資格はないと思ってたし……叙任してからは宣誓したから、神の花嫁が決まってから告白するか、あわよくば君から言ってくれないかなって願ってたんだけど」

「わ、わ、私がその……アルベルト様のことをその……」

「うん、好きでいてくれてるんだろうなって思ってた。俺にだけ可愛く笑ってくれるし、赤くなってるし」

「!!!」

「だから神の花嫁になるって言った時は信じられなかった。心変わりしたのかと思った。それか、君の家族への切望が、俺への気持ちより上だったのかなって。……君が幸せならそれで良かった。でも――」


 諦められなかった。

 神域に行ってたら何が何でも神から引き離そうって、シャロン嬢と決めてたんだよ、なんて言われて。


「……神様が怖くないんですか……?」

「信仰はしてるけど?」

(きょとんとした顔可愛い。……いや、そうじゃなくて)


 自分がおかしいのか? とリゼルは内心首を傾げた。

 神に逆らう気満々だったというような台詞だったと思うのだが。


「……リゼルはさ、気が強いし、やられたらやり返すような人だけど。実は、自分を粗末にする所があるよね」

「……うーん……?」

「自覚なし? シャロン嬢との仲を誤解してたなら、神の花嫁を目指したのも、代わりに、とか思ってたんでしょ」

「………」

「そういう所、俺からすれば、君は君を不要だと思ってるみたいに見えるよ。幸せそうには、見えない」


 じい、と緑の目が射抜いてくる。


「君が幸せじゃないなら――君が、君をいらないなら――君を俺にくれないか」

「わ、私」

「……好きだよ、リゼル。君だけを愛してる」

「――私のこと、妹みたいに思ってらっしゃるのかと……」

「そんなこと言ってないよね? うちの妹は、末っ子だからか我儘放題だし。まあ、最初は妹がリゼルみたいに可愛ければ良かったのにとは思ったけど……すぐに、リゼルの見た目も中身も好きになったよ。それに俺、リゼルしか可愛いと思った女の子いないよ」


 アルベルトが甘い。

 甘すぎる。

 怒涛の攻めにそろそろリゼルは呼吸が苦しい。


「可愛いくは……ないかと……あとその、アルベルト様って、誰にでも親切ですし……っ」

「隣人に優しくあれ、は聖騎士として当然じゃない? 一線は引いてるつもりだけど。リゼルみたいに、他の人に接してる所見たことある?」


 ……ない、かもしれない。

 確かにアルベルトは優しいけれど、こと女性に対しては理想の聖騎士とでもいうような、礼儀正しさを逸脱してはいなかった。

 リゼルに対して茶化すような、時々歯の浮くようなことを言っていたのは、わざとだったのか。


「う、うわ……」


 ぶわっと顔が熱くなる。

 逃げたい。叫びたい。恥ずかしい、何だこれ。


「あ、あの、ちょっとだけ離して頂けませんか……」

「え、嫌だ」

「――アルベルトさまぁ……」

「できれば二度と離したくない。可愛いし」

「ひい……っ」

「まあ、帰ったらそうも言ってられないから、今は離さない」


 展開についていけなくてリゼルはひたすら身を縮ませていた。

 すっぽり身体を包まれているのでそれしかできない。


「――次またいつ二人きりになれるかわからないから、聞いておきたいんだけど」


 いつの間にか、手を取られて。


「この指輪と同じくらい素敵なものを、君と選びに行きたい。――愛しい人、貴方の真の名前を、教えて頂けませんか」

「あ……」


 母の指輪を薬指に通された。

 呆然と見返したアルベルトは、とても真剣な表情をしていた。


 この国では、貴族の女性は普段、通称の名前を使う。

 万が一巫女として、神の花嫁として選ばれた場合、神にだけその名前を捧げられるように、という始まりだったのだとか。

 夫となる人物にしか本名を告げない、という風習が、今でも続いている。

 真名を尋ねるのは、求婚の合図だ。

 リゼルはもともと庶民だった。けれど、両親に何か考えがあったのか、彼女は産まれた時、今とは違う名前があった。


「……リーゼ……リーゼロッテ、です」


 リーゼロッテ。それがリゼルの本当の名前。

 震える声で告げた真名。

 アルベルトは、今まででいちばん嬉しそうな表情で、宝物をもらったように彼女の名前を口の中で転がした。


「リーゼロッテ。愛しています。どうか俺と結婚を前提にお付き合いしてください」

「……私で、よければ……」

「うん。君しかいらない」


 とはいえ落ち着いてからしか結婚できないよね、と拗ねたように言うアルベルトを、リゼルははじめて可愛いと思ってしまった。


 それから助けが来るまでさほど時間はかからなかったけれど、どれだけリゼルのことを好きか懇切丁寧に説明され、笑顔で神のことを恋愛的な意味で好きではないよねと問い詰められ、俺の花嫁になるんだから神の花嫁は諦めてね、思い込みが激しい所と不注意な所は少し改善していこうね、と愛の言葉と説教を受けて、神殿に帰るまでリゼルはかなり放心状態になってしまうのだった。



◇ ◇ ◇



『リゼル、本当に無事で良かったわ。あの不届者はこちらで処罰しておいたから安心して頂戴。神様と話したのだけれど、門はもう湖の前に移動しようと思うの。あの道、やっぱり危険よね。まあ、私以外に花嫁を作らせる気はないから、神の花嫁制度はなくなりそうだけれど――』

「はあ……」


 左手の神紋から怒涛のように聴こえてくるのはシャロンの声だ。

 どういった仕組みかはわからないが、結界内に戻った途端、神紋からシャロンの声が聴こえて物凄くびっくりした。

 神はどうも、シャロンが大切にしている存在だからと、リゼルをシャロンの小間使いのような、相談役のような存在にしようかと思っていたらしい。

 逃げ道がほしいなら、という新しい道だったのだとか。

 結界の外に出たことで薄まってしまったけれど、神紋には神の加護が籠められていたそうだ。

 それに守られていたことで、高い所から落ちても、怪我が軽い打ち身程度で済んだのだ。


 花嫁の神紋は右手に刻まれるものらしく、間違えないように模様も変えて左手にしたらしいのだが、そもそも神託があまり正確に伝わっていないので意味がなかった。

 そんなに聴こえてないとは思わなかった、と神は言っているらしい。

 神の花嫁は本当の意味で花嫁らしいのだけれど、今までの巫女たちは皆、神域に耐えられなかったり、そもそも神に恐れをなしていたりでまともに過ごせず、結局は秘密裏に神域から出されて別の土地で過ごしていたりしたのだとか――。

 シャロンは、神域にいても全く異常なく、前より神力をうまく使えるようになったのよ、とリゼルの打ち身まで治してくれた。


 『神域には神様と花嫁しかいないから、あいにくご両親には会えないわ。黄泉の国とは違うの』


 と釘を差されたけれど、リゼルもそうなのか、とあっさり頷いただけだった。

 結局、リゼルは逃げたかっただけなのだ。両親に会えたとしても追い返されていそうな気もする。


 そんなこんなで、リゼルは『神託の巫女』なんて新しい職業に就くことになった。

 伯爵家とは縁を切った――周りが切ってくれた――し、何でも信用を落としたとかで、かなり没落したらしいけれど、リゼルにはもう関係がない。


「リゼル」


 神の花嫁候補から神託の巫女になったリゼルには、交代で聖騎士が護衛につくことになった。

 元々の騎士と――新しく護衛騎士になった、もうすぐ夫になるアルベルトだ。


「シャロン様に、少し休憩させてくださいって言った方がいいんじゃないか」

「まあ、お喋りしたい時はお付き合いしようと思います。たくさんご恩がありますし」

「ふーん……まあ、もう少ししたら半分は俺が時間もらうけどね」

「もう……」


 アルベルトは嫉妬深い所がある。

 日々新しい発見の連続だ。


「ところで、そろそろ敬語やめてくれない?」

「うっ、頑張りま……頑張る、ね」

「結婚したらアルって呼んでね」 

「………は、う、うん……」


 アルベルトは以前より明らかに甘い。

 人前であっても好意を隠さないし、人が少ない時は、自然な触れ合いが増えた。

 今もまた、手を繋がれて、にぎにぎと触られている。

 まだ慣れない距離感に、困る。

 決して嫌ではないけれど。



 叶わない恋だと思い込んでいたので、神の花嫁を目指したら――好きな人の花嫁になることになりました。



 これは、思い込みで空回っていた少女と、溺れんばかりの愛情を溜め込んでいた騎士の、恋のお話。

長くなってしまいましたが、お読みいただきありがとうございました。

よろしければブックマーク・評価・いいねなどしていただけると、とても励みになります。

アルベルトやシャロン側のお話も、もし書けそうでしたら番外編として追加するかもしれません。その際は、またお付き合い下さると嬉しいです。

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