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叶わぬ恋だと知っていたので、神の花嫁を目指したら  作者: 水月 灯花


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叶わぬ恋と知っていたので、神の花嫁を目指したら(前編)

 

 ずっと、ずっと知っていた。

 あなたが好きなのは、私じゃないってことを。

 誰よりもよくわかっていた。

 だから――この報われない恋心を手放すと決めた。


 ――それなのに、どうして。


「な、んで……?」

「――そんな顔、しないで」

「な……に……」

「君が幸せならそれで良かった。でも――」


 どうして、いまさら。


「君が幸せじゃないなら――君が君をいらないなら、俺に君をくれないか」


 あなたが好きなのは、私じゃないでしょう?


 そう言いかけた言葉は、抱き締められて固まってしまった。

 何度も何度も、夢見たことだった。

 どうして、どうして、どうして――言葉にならない何故が溜まっていく。

 けれど、一番に胸にわき起こったのは。

 例えようもないほどの幸福感だった。


 ああ、私はやっぱり。

 どうしたって、貴方のことが好きなのだ――。



 ◇ ◇ ◇



「リゼル、今日のお勤めは終わったの?」


 移動しようとしていた所で、リゼルは後ろから声を掛けられて振り向いた。


「――シャロン様。はい、もう終わりました」

「もう、つれないわね。貴方は私の親類なのだから、もう少し砕けてくれてもいいのよ」

「いえ――恐れ多いことですので」


 ぷん、とわざと肩を怒らせてみせる少女――シャロンは、非常に愛くるしい見た目をしていた。

 金の豊かな波打つ髪。

 長いまつ毛に縁取られたぱっちりした翠の瞳。

 目尻が少し下がっていることから、柔和な雰囲気を醸し出している美少女だ。

 筆頭巫女と呼ばれるだけあり、魔物から人々を守り、癒す、神力と呼ばれる奇跡の力の強さも当代一。

 その上人当たりもよく、勤勉。

 まさに、天が二物も三物も与えたかのような存在だった。


 平凡な栗色の癖っ毛と同色の瞳の、可もなく不可もなくといった容姿のリゼルから見ると、逆立ちしたって敵わない相手だ。

 親類といっても、あってないような遠縁の、あちらは公爵家、こちらは伯爵家。

 王家の血筋を汲む、世が世ならお姫様だったかもしれない人だ。

 あまりにも身分が違う。

 親しげに話せるわけもなかった。


「今日は私も自由時間を頂けたの。もうすぐお茶をする所だから、良かったらリゼルも一緒に――」

「――シャロン様! 何処に行かれたのかと思いましたよ」

「あら、アル」


 シャロンの傍らに少し息を上げてやってきたのは、金茶色のさらりとした髪と緑の瞳の騎士だった。


「っ――」


 誰にも気づかれないくらいに小さく、リゼルは息を飲んだ。


「お一人で先に行かないでください」

「だってリゼルの姿が見えたんだもの」

「いくら神殿の中とはいえ、少しは危機感を持ってくださいね」

「はいはーい」

「まったく……」


 しょうがない人だ、と言いたげな表情を浮かべている、アルと呼ばれた青年は、吟遊詩人や舞台俳優としてもやっていけそうなほど、甘い顔立ちをしていた。

 けれどしっかりと鍛えた身体つきをしていて、聖騎士にしか身につけることを許されない白銀の鎧を身につけていることから、巫女の護衛騎士だとすぐにわかる。

 シャロンの聖騎士、アルベルトだ。

 目が合うと、目礼される。


「――リゼル様。お話中お邪魔して申し訳ありませんでした」

「いえ、大丈夫です。……シャロン様、私、せっかくのお誘いですが、この後用事がありますので……」

「そうなの? 残念だわ、今度はゆっくりお話しましょうね」

「……はい」


 手を振るシャロンと、儀礼的に胸に手を当てるアルベルト。

 リゼルは丁寧に挨拶をしてその場を離れた。

 回廊を歩きながら、ちらりと二人に目線を向けると、穏やかに会話をしている様子が伺えた。

 アルベルトがシャロンを見る瞳には、優しい光が浮かんでいる。


「……やっぱり、お似合いだなぁ……」


 ぽつり、呟いて。

 きゅう、と切なくなる胸を叩き、顔を上げて、どこへとも無く歩きだす。

 ――用事なんて、何も無かった。

 ただ、二人の仲睦まじい様子を見ていたくなかった、それだけだ。


 叶わない恋だとはわかっていた。

 それでも、気持ちは加速するばかり。

 あれだけ素晴らしい人が側にいて、彼が自分なんかに見向きもするはずがない。

 シャロンは、神の花嫁に一番近しいと言われている筆頭巫女だ。

 花嫁と言われているけれど、その実態がどうなっているのかは誰も知らない。

 大っぴらには言えないが、生贄なのではと言う人もいる。

 神の花嫁となった者は神域へと赴き、二度と人の世には戻って来ないのだという。

 シャロンが選ばれれば、彼らは離れ離れになる。

 それを知った時、一瞬でも喜びかけた自分をリゼルは許せなかった。


(シャロン様は、とても良い人なのに)


 誰にだって朗らかで優しくて、守ってあげたくなる気高さを持つ人。

 アルベルトが好きになるのも頷ける。


『――お前、シャロン様のことはどう思ってるんだよ』

『彼女の為なら命をかけられるさ』


 ある時、彼が騎士達と交わしていた、そんな会話を漏れ聞いたことがある。

 ショックでふらりとその場を離れて――深く納得もした。

 彼はそれほど、シャロンを深く想っているのだと。

 前々からわかってはいたけれど、ひどく胸が痛んだ。

 アルベルトもまた、優しくて素敵な人だ。そして聖騎士であることに誇りを持っている。

 自分の思いを押し殺してでも、シャロンが日々巫女として努力している姿を尊重しているのだろう。

 ――聖騎士は神殿において貞潔の誓いを立てているため、巫女と聖騎士が結ばれるには、巫女が還俗するしかない。


(シャロン様が神の花嫁にならずに、巫女をやめることができる方法は……)


 リゼルは特に、未来の目標などなかった。

 どこにも帰る場所はなく、ここにいた所で血縁上の祖父の私腹を肥やしていると思うと癪に障る。


 そうだ、いっそ。


「……私が、神の花嫁になればいいんじゃない?」


 それなら、二人は離れ離れにならないし、この恋も綺麗さっぱり終わらせることができるのではないだろうか。

 彼でない人に恋はできそうもないが、神への敬愛はある方だと思う。

 ……それに、神の世に行けば、亡くなった父母に会えるかもしれない。

 普段なら、荒唐無稽な考えだと笑っただろう。

 けれどその時のリゼルには、それが唯一、苦しい恋を終わらせ、居場所のない人生から解放される術のように思えたのだ。


 ぎゅう、と巫女服の上から胸元を押さえる。


『大切なものなんでしょう?』


 記憶の中の、今よりも少し高い少年の声が、いつまでも忘れられない。


「……もう、忘れたい」


 それは、ある晴れた春の日の、胸を刺す痛みに見ないふりをした、逃避のような決意だった。



 ◇ ◇ ◇



 リゼルは六つの年まで、下町で生まれ育った娘だ。

 母一人子一人で貧乏暮らしをしていたが、ある日。

 母が病で帰らぬ人となり、リゼルが産まれる前に事故で亡くなった父の親――つまり実の祖父とやらに迎えられることとなった。

 立派な馬車を間近で見たのも、乗ったのもはじめてだった。


 当初はまだ、自分に他に家族がいたのだ、と胸がドキドキしたものだが、すぐにその気持ちは、相対した祖父の冷徹な対応によって、ぺしゃんこに踏み潰された。

 父と母は貴賤結婚で、駆け落ちしたらしい。

 厳格な伯爵家の当主である祖父は、息子とただの洗濯女である母との関係に当然反対し、結果的に父は母の手を取って家を出ていってしまった。

 生活は豊かではなかったけれど、平民として二人で暮らす生活は悪くはなかった、とは聞いたことがある。

 父はなんとか職を見つけ、母も食堂の給仕や針子として働き、二人で慎ましく暮らしていたという。

 しかし、お腹にリゼルが宿ったことがわかり、張り切って働きに出た父はそのまま、馬車に引かれて亡くなってしまったのだ。

 庶民の母が子を育てながら独り身で生きていくのは、並大抵のことではなかっただろう。

 何故今更迎えにきたのか、とリゼルが思うのは当然のことで、その理由は、傲慢極まりないものだった。


「神殿より遣いが来た。わが家からも神に仕える資格のある者を選出せよ、と。だが、既に孫娘には縁談が決まっている。そこで思い出したのが、お前だ」


 この国では、貴族の家からそれぞれ、数十年に一度、清らかな娘をひとり、神に仕える者として神殿に送らなければならないらしい。

 父の兄には娘がいて、その子を神殿に送りたくない為に、リゼルが代わりに行けと言うのだ。

 義務を果たさなければ王より罰が下るが、決まり通り年頃の娘を神殿に向かわせれば、支援金が家に与えられるのだという。


 父が亡くなって、母はリゼルの為に恥を忍んで祖父を訪ねたらしい。

 父の子への援助を頂けないかと。

 それが、お前のせいで息子は死んだと罵られ、もう二度と現れるな、と手切れ金を投げつけられたという。

 その年までなんとか生きていられたのも、その時の金があったからだろう。その恩を返せ――祖父はそう言った。


「野垂れ死ぬか、神殿に行くか選べ」


 ただの幼い子どもであるリゼルに、選べる道など一つしかなかった。


 そうして過ごした伯爵家に、リゼルの居場所があるはずもない。

 見下され、蔑まれる中で、最低限の教養を身に着けろと、教育のためだと鞭打たれ、歯を食いしばってそれに耐えた。

 一年後の洗礼の場で、リゼルが巫女の資格を持つと言われた時の、祖父の顔は見ものだった。


(あんたの可愛がってる孫娘より、私の方が何にせよ価値を持ってるのが気に食わなかったんでしょ、ざまあみろ)


 巫女とは、神に仕える娘のうち、特別な資格を持つ者であり、ほんの数人しかいないそうだ。

 神力と呼ばれる力を持つか否かは、かなり大きな差となるらしい。

 溜飲の下がる思いのまま、神殿に迎え入れられ満足だった。


(伯爵家を抜け出せるなら、何だろうと願ったり叶ったりだわ)


 祖父の思い通り、従姉妹の代わりになるのは癪だが――良い思い出など一つもない場所を出ていける、それだけで気持ちは晴れやかだった。



 神殿は、白くて大きくて、荘厳な雰囲気の漂う建物だった。

 神に仕える者達はみな、奉仕の精神を育て、神への信仰心を育むため、神殿にて規律正しい集団生活を送るそうだ。

 神力の有無に関わらず、上は十代半ば、下はリゼルのように十歳に満たない子どもまで集められた少女達の、巫女見習いとしての生活が始まった。

 清貧を美徳とし、朝早くからの清掃に励む。神に祈りを捧げ、人々への奉仕活動を行う傍ら、洗濯に当番制の調理――などなど。

 神殿の大人たちがいるとはいえ、身の回りのことは一通り、自分でこなさねばならず、生粋の貴族のお嬢様達には苦痛なこともあるようだった。

 けれど、下町産まれのリゼルにとってはまったく気にならない。

 住むところと食べるものがあって、体罰を受けない――なんて素敵な場所だろう、と案外性に合っている生活にすぐに馴染んだ。


 ――平気な顔で過ごしているのが気に食わなかったのか、嫌がらせのようなものを受けるようになるまで、そう時間は掛からなかった。

 どこにでも、相手を見下そうとする者はいるものなのだろう。

 きっかけは、


「あなた、随分楽しそうね。私達の分もさせてあげるわよ」


 と、そう年の変わらなそうな子に洗濯物を差し出されながら言われ、


「でも、自分でやることに意義があるのではないですか?」


 と返事をしたことだっただろうか。

 真っ赤になって怒っていたが、当然のことだと思う。神官様が言っていたことだ。

 けれど反感を買ったらしい。


 まず、ひそひそと陰口をたたかれるようになった。

 あの子、貴族と平民の子なんですって――と、どこからか流れた噂が、それを助長した。

 明らかに具を少なくよそわれたシチュー、屑入れに入れられていた荷物。

 リゼルの担当より遥かに多い洗濯物、片付けても片付けても減らないごみ――。

 まだ年端もいかない少女達ばかりとはいえ、嫌がらせは多岐に渡り、流石のリゼルもげんなりした。

 特に食事は腹が立つ。

 食べ物の恨みは怖い。

 あんまり腹が立ったので、うっかり人のスープに食べかけの黒パンを投げ込んで、


「ごめんなさい! 手が滑ってしまって! まだ口をつけていないから、こちらと交換しましょう!」


 なんて言って、相手が呆然としている間に、皿を変えて具の多い方をぺろりと平らげたのは先日のことだ。

 カンカンになっていたが、先にやってきたのはそちらである。

 具のないスープの辛さを知るといい。


 数少ない荷物が捨てられていた時は神官様の前でわざとらしく泣いてみせ、終わらない洗濯物はわざとゆっくりやって祈りの時間に間に合わないようにし、迎えに来た大人に、


「申し訳ありません、私が至らないせいで量をこなせなくて……」


 と何度も何度も謝った。

 どうしたのかと問われると、


「私の勘違いだと思います……でも、前より増えたような……いえ、何でもありません……」


 ぐす、と鼻を鳴らして俯けば、何があったのだろうと疑惑を持つことは当然だった。

 嫌がらせをしてくる相手がだいたい誰かはわかっている。そちらを怯えるようにチラチラ見れば効果は抜群だった。


「良いですか。巫女とはすなわち、神の御心を清らかな魂でお慰めし、献身的にお仕えする存在です。他者を思いやり、慈しむ気持ちがなければ勤まりません。貴方たちはまだ巫女見習いに過ぎず、これから更に研鑽を重ね――」


 全員、巫女とは何たるか、と数時間に渡り説法され、流石にその日は平和に過ごせた。

 大人の目が厳しくなると、嫌がらせも一旦大人しくなったように見えたが――ある日、リゼルは肌身離さず持っていた母の形見を無くしたことに気づいた。

 いつも首から下げていたのに、チェーンが切れかけていて、後で直そうと、水浴びの時に服の間に隠しておいたのに。

 父が母に贈ったという、ほんの小さな赤い石のついた指輪。

 きっと金銭的な価値などほとんどない。

 けれどリゼルにとっては、母が亡くなる前まで大切にしていて、直接もらった唯一の宝物だった。

 水浴びから出て、指輪だけがなくなっていることに気付いた時、血の気が引いた。

 確かに外したのは服を脱いだ時だ。

 水浴び場を隅々まで探しても、見つからない。

 持ち去られたのだと思い至ってからは、真っ先に屑入れを探し、次にいつも嫌がらせをしてくる巫女見習い達の姿を探しに走った。

 外へ飛び出すと、焼却炉のそばから、くすくすと笑いながら立ち去る少女たちの後ろ姿が見えた。


(まさか……!)


 焼却炉に駆け寄る。まだ火入れ前で、鉄扉が開いていた。

 リゼルの背でも中を覗き込めるほどの高さだったが、奥は暗く、腕を伸ばしても届かない。

 彼女達に見られたら、ゴミを漁っていると嗤われるだろうが、そんなことは気にならなかった。


「ない、ない……どこ……っ」


 大抵のことなら受け流す自信があったが、流石に涙が滲んだ。

「お父さんが一生懸命稼いだお金で買ってくれたの、綺麗でしょう」と嬉しそうに話す母の顔を覚えているから、悔しくて、申し訳なくて。


「――何を探しているの?」


 いつの間にか、知らない人が隣で顔を覗き込んでいた。


「え……っ、あの、小さい赤い石がついた、銀色の指輪を……」


 金色がかった茶色の柔らかそうな髪と澄んだ新緑の瞳を持つ、綺麗な少年だった。

 年の頃はリゼルより少し上くらいで、頭ひとつ分くらい背は高いが、丸い頬にあどけなさが残っている。

 煤と埃だらけの自分が恥ずかしくなる位には、見惚れてしまうような顔立ちだ。

 着ている服が騎士見習いのものだったから、すぐに神殿騎士か聖騎士の見習いなのだろうと予想がついた。


「そっか――俺の方が奥の方が見えると思うから、見てみるよ」

「え、でも……」


 優しく肩を押されて足を動かしたら、少年はすぐに焼却炉の中に腕を入れてしまった。

 汚れることも厭わずに、ごそごそと中を探してくれている。

 呆気にとられたリゼルは、はっと我に返って声を上げた。


「あの、汚れるので……!」

「ん? もう汚れたから、後はどれだけ汚れたって平気だよ」

「……でも……」

「大切なものなんだよね?」

「それは……」


 その通りだ。

 あの指輪だけはなくしたくない。

 目線を落としたリゼルに、彼はひとつ頷いた。


「うん、取り敢えず一旦ゴミを出してみるから、細かいところとか確認してみてくれる? 俺は中に落ちてないか探すから」

「え、あ――」


 次々に手際よくゴミを出していく少年の服は、あっという間に薄汚れていく。

 たまたま量があまりなくて助かったが――中身をすべて出して確認しても、見つからなかった。


「うーん、なさそうだな……」

「そう、ですね」


 ここではなかったのだろうか。

 こうなれば、犯人として目星をつけている人達に、「ゴミまみれの服で抱き着いて欲しくなければ、居所を吐け」と迫るしかないか。

 少年には無駄な労力を割かせてしまった。


「すみませんでした。あの、汚してしまった服は、洗ってお返しします!」

「え? 大丈夫だよ、どうせ訓練で汚れるし。今着替えも持ってないから」

「でもあの、取りに伺ってもよろしければ……」

「巫女見習いが騎士見習いの所に来るなんて叱られちゃうよ。大丈夫、俺達も自分のことは自分でやるように言われてるし、それが訓練の一環だから」

「……そうです、ね」


 彼の言うことは何から何まで当然なのだが、こんな風に親切にされても、どうしたらいいのかわからない。


「――あ」


 ふと、何かに気付いたように少年が上を見上げた。

 黒い鳥が一羽、近くの木から飛び立っていく。


「今の……もしかしたら……」


 何かを考えるように立ち上がって、木の根元まで近づく。

 一番手の届く枝に触れて確認してから、彼はなんと木に登り始めた。


「えっ?」

「あ、君は登っちゃ駄目だよ。危ないからね」


 リゼルにそう釘を差して、ひょいひょいと身軽に木登りをする様子を、ぽかんと見守ってしまった。

 突然どうしたのだろうか。

 ゴミを戻しながらチラチラと見ていたら、彼はある高さで止まって、何やらごそごそと動いている。

 それから危なげなく、するする降りてきて――着地し、リゼルに駆け寄ってきた。


「探してたものは、これ?」


 肉刺だらけの手に載せられていたのは、リゼルの指輪だった。

 ころりと自分の手に戻ってきた指輪を確認したところ、裏に父が掘った母の名前の頭文字が見えた。間違いない。


「っありがとう……ありがとうございます!」

「良かった。あの鳥は光るものが好きだからさ、もしかしたらと思って」


 そうやって晴れやかに笑う彼を見て、ぽろりと涙がこぼれた。

 何も彼の得にはならないのに、なんて優しい人なんだろう。


「大丈夫!?」

「ごめんなさい……ありがとうございます……」

「――見つかって良かったね」


 リゼルが安堵した為の涙だとわかったのだろう。

 思いやりに満ちたその声と穏やかな微笑みに、リゼルは胸がきゅんと高鳴るのを感じた。


(わぁ……)


 どきどきと落ち着かない気持ちのまま、涙を振り払っていると、彼は焼却炉へゴミを戻すことまで手伝ってくれた。


「あの、何かお礼をさせてください!」

「いや、大丈夫だよ。俺も昔落とし物をした時のことを思い出して、気になっただけだから」

「でも……!」


 うーん、と困ったような顔の彼は言う。


「――それじゃあ、君……巫女見習いとして、治癒院に行くこともあるよね。もし俺が怪我をしてたら、治療を手伝ってくれたら嬉しいな」

「それは、当然のことです!」

「うん。でもさ、俺達にとっては、とても有難いことだし……可愛い子に一生懸命看護してもらえるのは、騎士冥利に尽きることなんだってさ」


 先輩が言ってて、俺もされてみたいんだ。

 そう茶化すように笑うのは、きっとリゼルの気持ちを軽くするためなのだろう。

 可愛いなんて言われたことがないリゼルはそう思って、はい、とつい頷いてしまった。


「あ、言い忘れてた。俺は、騎士見習いのアルベルト。君は?」

「巫女見習いの、リゼルです」

「じゃあリゼル、またね」


 ――あんなに汚れて、時間をかけて。

 得るものがそれだけで、そんなに満足そうな顔をするなんて。


(なんて、慈悲深い、高潔な振る舞いをする人なんだろう)


 アルベルトは、ゴミを片付けていた時、出来れば聖騎士になりたいんだ、と言っていたけれど、彼以上に相応しい人はいないように思えた。

 指輪を握りしめ、軽く手を上げて去っていく姿をただ見送ったリゼルは、それからずっと彼のことが頭から離れなかった。

 それが、恋に落ちたのだと気付くのはもう少し経ってからだ。



 巫女見習いは、十代の終わり頃に宣誓を立てて、適性に応じて職種が決められるらしい。

 そのため、将来に向けて、見習いの間は様々な職種の手伝いに向かう。

 神に祈りを捧げ魔物を通さない結界を守る巫女、神官を補助する書記官、人々を癒す治癒師、孤児院の運営や平民への炊き出しを手伝う修道女――など。

 定められた期間を勤め上げれば、貴族家に帰る者もいるのだという。


 神殿は民に広く開かれた場所であり、平民に取っては炊き出しや、最低限の寄付で怪我や病と向き合ってくれる場所でもあった。

 下町で食べるものに困った時は、リゼルや母もお世話になったこともある。

 しかし、怪我や病を癒す治癒師の能力も万能ではない上、あいにくリゼルの母の病は手の施しようがない部類だった為、どうにもならなかった。

 思う所が全くないといえば嘘になるが、割り切れない程ではない。

 複雑な気持ちで、治療院でのお勤めに向かった初日。


「――あれ、リゼル?」

「あ……!」

「今日は治癒師見習いなんだね」


 リゼルの前に、早速約束を果たしてもらえるかな、と笑ってやってきたのは、アルベルトだった。

 相変わらず整った顔立ちをしている。

 騎士見習いは生傷が絶えないので、同じく見習い同士、治療院での対応を学ぶ為にもこうした機会はあると聞いていたけれど、何人もいる中でリゼルの所に来てくれるなんて、すごい偶然だ。


「こんにちは、この間はありがとうございました……!」

「いえいえ。見つかって本当に良かったね」


 アルベルトは目の前の椅子に座ると、腕に出来た傷を差し出してくる。


「治療お願いできますか? 可愛い見習いさん」

「あの、私はまだ上手じゃないんですけど……」

「俺達は練習台だから平気だよ。手当てだけでも有難いし。リゼルにやってもらえるなんて、ついてるな〜」

「……もう、治らなくても知りませんよ」


 相変わらず軽口を叩く姿に頬がゆるむ。


「大した傷じゃないから大丈夫。本当は、あんまり治癒師に頼りすぎない方がいいらしいけどね」


 彼の言う通り、あまりひどい傷ではないが、浅い切傷は地味に痛そうだ。

 傷口を消毒して、包帯の準備をして。

 ほんの少しだけ自己治癒力が高まるように祈りを込めて――


「……リゼル、ありがとう」


 お礼を言われて見ると、傷口が綺麗になっていた。

 治しすぎた。あまり力を入れすぎると今度は自己治癒力が弱まると聞いていたのに。


「ごめんなさい!」

「謝らなくていいよ。どうせまた怪我するんだし、俺達くらい血の気が多いやつらにとっては、大した変化はないんだってさ」


 ははっと笑って、「だから騎士見習いが練習台になるんだ」と言われる。


「でも……」

「リゼルは大丈夫? 疲れてない?」

「はい、それは……」

「それなら良かった。対応ありがとう。また来た時も、よろしく」

「……はい、今度は間違えないように頑張ります……!」

「うん。……そうだ。良かったら、もっと普通に話してよ。俺達もう、知らない仲じゃないでしょ」

「ええ……っ?」

「またね」


 にこにこと去っていかれては、否定も出来ない。

 それから、会えば言葉を交わす仲になった。

 ――気が付けばアルベルトを目で追いかけていた。

 誰に対しても穏やかで、それが当然というように、困っている人がいれば声を掛けている姿ばかり。

 たまに会えば親しげに声をかけてくれるけれど――その内、アルベルトはまるで妹のようにリゼルを気にかけてくれているのだと知った。


「妹がリゼルと同じくらいの年なんだけど、すごく生意気なんだ。リゼルみたいだったら良かったのに」


 家族のように親しく思ってくれているなら、嬉しいはずなのに……どうしてか、少し切なくなった。


 日々の暮らしに精一杯努めているうちに、時は飛ぶように過ぎていった。

 ぐんぐんと伸びていく背。

 がっしりと大きく、骨ばっていった手のひら。

 低く耳心地の良くなった声。

 元の顔立ちが整っているだけに、アルベルトはどんどん素敵な青年になっていった。

 そして。

 同じ巫女見習いの少女達が、騎士見習いの誰それが格好良い。好きな人は――なんて盛り上がっている話を小耳に挟んで、漸く思い至ったのだ。


「やっぱりアルベルト様は群を抜いて素敵だけれど、お似合いなのはシャロン様よね」

「人柄も良くて、容姿も才能もお持ちですものね」

「どちらも筆頭候補らしいですし。巫女になられたら、シャロン様の聖騎士はアルベルト様に決まっていますわ」

(お似合い……)


 公爵令嬢シャロンは、巫女見習いの中でも飛び抜けて目立つ才女だった。

 リゼルの祖父の伯爵家の寄親である公爵家の娘だとは、神殿に来る前から聞かされていて、決して失礼のないように、と何度も何度も言い含められた。


 シャロンはともかく誰に対しても友好的なので、はじめて挨拶をした時から、親戚同士仲良くしましょうと言われていたが、当たり障りなく受け流していたのだ。

 けれど、シャロンがリゼルに事あるごとに話しかけるので――周りからは仲が良いのだと思われ、何と小さな嫌がらせもぱたりと止んだのは僥倖だった。

 それがシャロンが狙ってやっていることなのだとは、「何か困っていることはない?」と何度か尋ねられてからわかったこと。

 シャロンは周りをよく見て立ち回るのがうまい。人の上に立つべき存在だ。

 アルベルトと同じで、困っている人に優しく、手を差し伸べられる人。


(確かに、二人ともとても良く出来た人で――お似合い、だわ)


 二人が恋仲になった時のことを想像すると、胸が痛んだ。


(え、私――もしかして、嫉妬してる?)


 自分にそんな情緒があるのだと知って驚いた。

 神殿に来てもうだいぶ経ち、もうすぐ巫女選定が行われる頃のことだった。


 それからすぐに、シャロンとリゼル、他数名が巫女に選ばれることになる。

 巫女の護衛として、神殿の騎士達の中からも聖騎士が選ばれ――大抵の人々の予想通り、シャロンは筆頭巫女に、そしてアルベルトはその聖騎士に選ばれて、誰が見てもお似合いの組み合わせとなるのだった。

 わかっていたけれど、自分の聖騎士がアルベルトではないとわかった時は落ち込んだ。

 リゼルの聖騎士となってくれた人も素敵な人なのに、そんな風に思って、申し訳ない。


「自分が相手に選ばれないかって、期待するなんて……馬鹿よね」


 アルベルトが聖騎士になってくれれば、日中は一緒に行動できることが増える。そんな欲にまみれた願いは叶わなかった。

 幸いなのは、巫女に選ばれた数名の中に、リゼルに嫌がらせをしていた人はいなかったことだろうか。

 やはり、当初から人となりや行いはよく観察されていたのだろう。

 問題行動を取る人物では、神の迷惑になりかねない。

 ――大人に見守られながら何年も生活していたのだ。

 ふるいにかけられるのは当然だと思えた。

 寧ろ、よく自分の評価を下げる行いができるものだと感心すらしたものだ。

 そういった意味で巫女の素質がない人達だったのだろう。


 ちなみに、指輪の件についてリゼルは非常に根に持っていた。

 そのため、騒動のあとすぐ、首謀者達に転んでゴミをぶち撒けてしまうという不幸な事故が起こったのだが、それはそれ、これはこれ。



 そうしてリゼルは、アルベルトへの恋心を胸に秘めたまま、巫女としての日々を過ごしていった。

 そんな中。

 どうせ実らない恋だとは思っていた。

 けれど、一言、好きだと伝えるくらい良いのではないか――そう思って、勇気を振り絞ってアルベルトを探していた矢先。

 偶然アルベルトが、ほかの騎士と話をしている所に出くわしたのだ。

 足を止めて、聞こえてきた会話に思わず身を隠す。


「アルベルトはシャロン様とはどうだ?」

「どうだ、って? 特に問題なくお護りさせて頂いてるが?」

「そうじゃないって。確かに俺達は誓って巫女様達へ不埒な真似は出来ないようになってるけど、神の花嫁が決まったら、巫女と結婚できることもあるだろう」

「――ああ」

「それで、シャロン様のことはどう思っているんだ? って聞いてるのさ」

(あ――)


 聞きたくない。聞いてはいけない。

 そう思うのに。


「――尊敬できる、素敵な方だと思うよ」


 頭が真っ白になった。

 それはそうだ。

 誰だってそう思う。


(やっぱり、そうだよね)


 動揺でその後の言葉はよく聞いていなかったけれど、一言だけ、拾ってしまった。


「彼女の為なら命をかけられるさ」


 告白してみよう、なんて勇気は、無残に散った。

 アルベルトはそんなにも、シャロンのことを思っているのだ。

 聖騎士になる時、巫女の為に命をかける、という文言が誓いにあるのは知っていた。

 ほとんど形骸化しているものだと聞いているけれど、アルベルトのその言葉には、強い意志がこもっていた。


 いつの間にか、その場を離れて、ふらふらと辿り着いた先は、いつか彼に助けられた焼却炉の近くだった。


 告白したら、少しは喜んでもらえないだろうかなんて、迷惑な話だったのだ。

 彼は優しいから、きっと困らせてしまう。

 恋心も、燃やしてしまえればいいのに。


 ――そうして、神の花嫁を目指そう。なんて思考に至ることになったのだ。


 リゼルは今までの思い出を振り返って――ふと思った。

 いや、勘違いさせる相手も悪くないか? と。

 アルベルトが優しいのはわかっているけれど、軽薄と受け止められても仕方ない言動をしている気がする。


(好きでもない子に可愛いとか言わないでほしい。……神の花嫁になれば、ちょっとくらい、意趣返しにもなるかな)


 神の花嫁となった巫女の聖騎士は、同時に騎士として最高の誉れを得る。

 シャロンではなくリゼルが花嫁になれば、その栄誉をアルベルトは受けられない。

 子どもの頃から聖騎士を目指していた彼にとって、目の前で最高の栄誉を逃すことは、悔いになるのでは、と意地悪なことを考えてしまった。

 けれど、すぐに思う。


(――ううん、彼なら、大切な人の為なら、そんなこと気にしないか)


 わかっていた。

 それでも、少しでも彼に後悔の爪痕を残したかった。

 同時に、妹のように思っていた相手がいなくなって――少しでもさみしいと思ってくれればいい、と思った。


 祖父と違い、ざまあみろとまでは思えなかったけれど。

 母の指輪を握りしめる。


「……きっと、これが一番いい」


 リゼルは神の花嫁を目指すことに決めた。


 ――叶わないこの恋を、手放す為に。



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