聖騎士は恋を告げられない(side アルベルト)
侯爵家の三男ともなると、立場が微妙なものになる。
年の離れた長兄は立派な跡取りとしての地位を確立していて、次兄もまた、他家との縁談が決まっていた。
アルベルトか三歳の時、末っ子かつはじめての女児である妹が産まれてからは、当然のように皆の関心は妹に集まった。
両親は平等に接しようとは思っていたようだが、健康優良児の三番目の息子と、産まれて暫く身体が弱かった一人娘では、扱いに差が出るのは仕方ないことだろう。
早々に自分の立ち位置をなんとなく理解したためか、「アルベルトは優しいいい子ね」と言われたことが嬉しかったからか。気付いた時には、人に親切にすることが染み付いていた。
家族に、使用人に、友人に。
「大丈夫? 手伝おうか?」
そんな言葉は、最早口癖のよう。
人に感謝されることが好きで、頼りにされたいと思っていた。
十になる頃には、アルベルトの将来をどうしようか、と両親が薄々考えていることが理解できたので、アルベルトは先手を打った。
「聖騎士になりたい」と。
明らかにほっとした様子だったのには少し笑いそうになった。
何しろ聖騎士志願者を出した家は、神に仕える女子を一名神殿に向かわせる義務を免除される傾向にある。さすがに全員とはいかないが。
だいぶ丈夫になってきたとは言え、七歳になり洗礼を受けた所、神力がほとんどなく、巫女の適性がなさそうな妹。
一人しかいない娘を神殿に送るべきか否かと、両親は随分やきもきしていたからだ。
本当にいいのかと聞かれたが、家族の為にそれが一番良いと思うし、変な進路を決められるほど余程いい。
何より、聖騎士という誉れ高い職業に憧れていたこともあった。
アルベルトは信心深い方で、正義感も強い。
人の役に立ったり奉仕することは好きだ。
剣の腕も、同年代からするとそこそこだとお墨付きをもらっているし、暇つぶしに動き回っていたおかげか、体力もある。
聖騎士となると生涯独身の可能性もあるが、別に構わなかった。
向いているのでは、とそんな思いで志願した聖騎士見習いだが――現実は中々に厳しかった。
夜明け前から寝るまで規律正しい生活の中、身の回りのことは全て自分でこなす。訓練は厳しく、弱音を吐く暇すらない。
侯爵家の子どもとして過ごした頃の、甘ったれた根性は叩き直された。
同時に、自分の面倒を見れない人間が他人の面倒を見れると思うなと叱咤された。
今まで通りではいけないのだと。
下に見られすぎてもいけない。便利なやつと利用される立場でもいけない。
肉体的にも精神的にもしごかれながら、自分がどのように他者と接したらよいのか、考えあぐねていた時。
涙をぐっと堪えながら、焼却炉で何かを探している少女、リゼルに出会った。
「何を探しているの?」
そう問いかけて。
彼女を手伝ったのは――どうしてか、放っておけなかったからだ。
痩せて、小さな身体でちまちまと動く様は、小動物のようで庇護欲をそそられた。
焼却炉のゴミを漁るのははじめてだったが、これも人助け、何事も経験だと思うと特段汚れても気にならなかった。
どうせ、いつも訓練で泥まみれになるのだ。衣服に付着した血や泥の落とし方にも慣れてきた。
あまりにも汚損が激しい場合は新しく服が支給されるし、その時はその時で良いことだと思った。
そんなアルベルトだったから、相手の子から、素直に感謝され、汚れた服を洗わせてくれと言われたことには焦った。
自分より小さくて弱々しい子に、そんなことをできるわけがない。
断れば、何かお礼をさせてほしいと律儀に言い募ってくる。初対面でこちらが誰かも知らないだろうに。
状況的に嫌がらせをされているのだろう。
しがない見習いの自分にできることなどほとんどないが、何だか放っておけなくて、どうにか励ませないかと思って――今まで口にしたことがないような、軽薄な台詞を言っていた。
「可愛い子に一生懸命看護してもらえるのは、騎士冥利に尽きることなんだって。先輩が言ってて、俺もされてみたいんだよね」
何を言ってるんだ自分は、と思いつつ、名乗り合って別れたけれど、後からアルベルトは思い返した。
ぽろりと口をついて出た、可愛いという単語について。
自分で、可愛い、と自然に思った子ははじめてだった。
少女――リゼルは、泣きそうだと思っても、ぐっと堪えて「やり返します」なんて言う意外性のある、面白い子だった。
アルベルトの妹とさほど年齢が変わらないだろうに、余りにも違う。
妹は、家族としてはそれなりに可愛がっていたけれど、甘やかされていて我儘な所には辟易していた。
リゼルのような目に遭えば周囲に泣きつき、人にどうにかさせるだろう。
それが、リゼルといえば、自分でどうにかするのが当たり前という態度を見せている。
年の割に妹より小さくて、細くて、でも負けん気が強くて。
人に甘えることを知らないのではと気になった。
あの子には、泣く場所があるのだろうか。
「リゼル……」
口の中で、聞いたばかりの名前を転がす。
呼びやすく、可愛らしい、彼女にぴったりの名前だと思った。
幼いのに、くるくると表情がよく変わって、自立心が旺盛そうで、なんだか小動物のようだった。
きっとまた、そのうち会うことになるだろう――と思っていたら、割とすぐに治療院で再会した。
治療をやりすぎて慌てていたり、こちらの言葉にふふっと笑ってくれたり。
「ありがとう」とリゼルに言われるのが、誰からの言葉よりも嬉しいと、気付けばそう思っていた。
妹のようなのか、と思ったこともある。妹がリゼルのようだったら、と。
けれど、妹はアルベルトが何でもやってくれて当然と甘えてくるのに、リゼルは「自分でできます」という姿勢を崩さない。
勿論人を頼ることもあるだろうけれど、大半のことを抱え込もうとしているようで、やっぱり放っておけなかった。
「私、気が強いんですよ。この間も下町育ちって馬鹿にする人達にこう言って――」
なんて手柄を報告してくる様子が、撫で回したいくらいに可愛かった。
守られるのが当然という立場ではなくて、隣でずっと話をしていたい、そんな子だった。
食べることが好きで、よく働いて、淑女として気をつけようと振る舞っていても時々お転婆な所が出て慌てていて、思わず笑ってしまう。
元気いっぱいで、目が離せない。
もっと楽に話してほしいのに、敬語が抜けないのはちょっと、かなり不満だった。
何度言っても敬語をやめてもらえないのは、本気で嫌がられているのではないかと悩んだこともある。幸いにして、気を許してくれているような態度なので、違うとすぐにわかったけれど。
リゼルと一緒にいると、息がしやすい。
たぶん話をしていても、しなくても、落ち着く。
今は何をしているんだろう。
――もっと、一緒にいたい。
その気持ちが、恋情だと気付いたのは、年頃になった騎士達との話の中でだった。
ありきたりな、『どんな巫女を護りたいか』『どんな相手が好みか』。
そんな会話だった。
巫女見習いの中で、シャロンが人気だったことには、まあ外見や能力的にそういうものか、と思っただけだったが、リゼルが話の口に登った時は物凄く嫌な気分になった。
その時気づいたのだ。
アルベルトの頭の中にいたのは、たったひとり、リゼルだけだ。
地に足をつけて頑張る彼女を応援したい。
この手で彼女を――護りたい。
誰にも譲りたくない。
リゼルのような妹? とんでもない。彼女が妹じゃなくて良かった。
誰にも渡したくない。
それはとても強い独占欲と、恋だった。
気持ちに気付いてからも、何か行動に移すわけでもなかった。
リゼルが自分をどう思っているかわからない。
ただの友達か、兄のような人物か――流石にただの知人、よりは上だと思いたい。
急に好意を伝えて、巫女を目指して頑張っている彼女を困らせるのは望ましくない。
せめて聖騎士になって、彼女を一人で護れる人間になってから、時を見て想いを伝えよう。
こちらに悪感情は抱いていなさそうだから、少しずつ距離を詰めて――なんて、悠長に思っていたからなのか。
聖騎士になり、巫女が決まってから、リゼルの聖騎士に選ばれたのは――自分ではなかった。
「……その嫌がってますという雰囲気、もう少し隠してほしいのだけれど。アルベルト様」
「……何を今更……君に様付けで呼ばれると、ぞくっとするよ……」
「私もそうよ。でも暫く落ち着くまでは、堂々とアル、なんて呼べないでしょう?」
「……昔から、何だか君は俺のことを年上だと思ってなさそうだよな……」
「一歳差なんて誤差よ?」
ひそひそ、ひそひそ。
二人並んで、笑顔のまま交わす会話がそんな内容だなんて周りは微塵も思っていないだろう。
少し前から、お似合いだとか言われることが増えたけれど――やめてほしい。
アルベルトが警護することになった巫女、シャロンは、幼い頃からの既知だった。
母方の親戚で、立場上は再従妹にあたる。
広いようで狭い貴族社会、従妹までならもしくも、六親等も離れた親族だと周りが知らないことは多い。自身が知らない場合もあるだろう。
シャロンは公爵家の娘で、侯爵家のアルベルトより家格も上。
母親同士の茶会などで何度も顔を合わせ、一緒に遊んだこともある。
アルベルトの妹と仲が良いのはともかく――シャロンは見た目によらず、気位が高く、年下らしさがない。
……小言の多い叔母のようだ、と思わず言ったら扇で突かれたことがある。
親族としての情はあるので、もう一人の妹のように、他愛ない我儘には慣れていたし、家族のように親しみはあった。
けれどまさか、その気安い雰囲気を、恋愛のものと誤解されるとは思ってもみなかったのだ。
正式に聖騎士となり、一つだけ後悔した。
巫女へ無体を働かぬように、聖騎士は戒めとなる誓約を行う。
その中には、聖騎士から想いを告げることも禁じられていた。
リゼルの側で護りたいと思っていたのに、別の巫女付きになってからは、こうも接点がなくなってしまうとは思わなかった。
シャロンの邪魔も幾分か入ったこともある。
「リゼルって本当に可愛いわよね。妹にしたいくらい」
「は? ウチの妹ならやれるけど、リゼルは譲れない」
「何の権利もないのに何を言ってるの? こわいわー」
笑顔でそんな会話をして腹の底を探り合ったこともある。
公式の場で会うことやすれ違うことを切望し、会えない時は気分が落ち込んだ。
シャロンに置いていかれて慌てて追いつき、ばったり会って目が合った時は、嬉しくてつい、にやけてしまいそうなのを堪えて必死に平静を保ったものだ。
「――リゼル様。お話し中失礼しました」
リゼル。シャロンじゃなくて俺と話をしようよ。
そんな気安い言葉は、今はかけられない。
「いえ、大丈夫です。……シャロン様、私、せっかくのお誘いですが、この後用事がありますので……」
「そうなの? 残念だわ、今度はゆっくりお話しましょうね」
「……はい」
相変わらず誰に対しても変わらない敬語。
手を振るシャロンの横で、同じように手を振ることもできず、儀礼的に挨拶するしかできない自分の立場が歯がゆい。
リゼルの礼を執る仕草が愛らしく、美しかった。
いつの間にかすらりと伸びた手を取って、柔らかそうな髪に頬を寄せたい。
(リゼルが足りない……)
「……アル。餌を欲しがる犬みたいな顔になってるわよ」
「……事実そうだから……」
「聖騎士も大変ね」
リゼルを見送った視線をシャロンに向けると、呆れたような顔をしていた。
「そっちは楽しそうだね」
「ええ! 今日もお話できて嬉しかったわ」
喜びに頬を染める筆頭巫女の想い人が誰かは、無闇に口に出来ることではない。
それが誤解を招いているだろうなとは思いながら、どうすることも出来ないのが現状だ。
(……シャロンが神と話が出来ることは、神殿側には秘密にするよう言われているそうだからな……)
出来ればアルベルトも知りたくなかった。
護衛騎士であり気の置けない関係のアルベルトには話してもいいと神に判断されたらしいが、いい迷惑だった。
神と話せるようになったのは神殿に来てかららしいが、幼い頃からシャロンは神一筋で、本気で嫁に行こうと思っているので、叶いそうで良かったね、位の生温かい目線を向けるしかない。
羨ましい限りだ。
よくアルベルトがシャロンとお似合いと言われているのはもう流石に知っているけれど、正直、子どもの頃から「私は神様の花嫁になるのよ」と言う相手を好きになる要素はなかった。
同僚に、シャロンのことをどう思っているかと聞かれた時は、親族として、頑張っている姿は尊敬しているし、聖騎士として、巫女の為に命をかける誓いは守る意向があることは伝えた。
ただし、全く死ぬつもりはなかった。アルベルトは、リゼルを甘やかして生きるのが夢なのだ。
「リゼルもねぇ……アルのこと気に入ってそうだけど、あの子あんまり本心を見せないから……」
ほう、と憂うように頬に手を当てて言うシャロン。
アルベルトも同意だ。
嫌われてないのはわかるけれど、どこまでどう踏み込んでいいかわからない。
早くシャロンが花嫁に決まってくれればいいのに。そうしたら告白しよう。
――と、じりじりと待っていたアルベルトの気持ちを裏切るように。
職務で聖騎士団の書類を神官の元へ届けに行った所。
少し開いた扉の向こうから聞こえてきた会話に、耳を疑った。
「私が神の花嫁に選ばれた場合――伯爵家と縁を切ることは出来ますか?」
聞き間違えるはずがない、リゼルの声。
神の花嫁?
(リゼルは、神の花嫁になりたいのか……?)
目眩がした。
世界が揺れる。
「っ……」
奥歯を噛んで、じっと耳をそばだてる。
リゼルが生家――というか、血の繋がった祖父と仲が良くないことは知っていた。
何しろシャロンの公爵家はあの伯爵家の寄親なのだ。
次男が失踪して亡くなり、ある日その娘だと市井から孫娘を迎えたことなどシャロンの家は把握していた。
跡継ぎの長男には息子がひとりに娘がひとり。内孫可愛さと政略的に、外にいた孫を神殿に送ったのだろう、と。
それをシャロンから聞いた時は憤慨したものだ。
シャロンが花嫁に選ばれれば、リゼルは伯爵家と縁を切れるように働きかけよう、なんて話をしていた矢先のことだった。
神の花嫁になりたいほど、この世が嫌だったのか。
扉の前で動けずにいたら、リゼルが出てきて驚いたように目を見張り、気まずげに視線を逸らして退室していく。
さっと神官に書類を渡して、急いで追いかけた。
「――リゼル!」
追いついた小さな背中に焦って声をかける。
信じられなかった。
(今まで、神の花嫁になりたいだなんて言ってなかったのに)
「リゼル、君、本気なのか? 神の花嫁に、なりたいって……」
「――はい。本当です」
硬い表情で返ってきた言葉に喉の奥が締まった。
「どうして……?」
呆然と問いかける。
嘘だと言ってほしい。
「花嫁が決まって、もし還俗することになっても、伯爵家には戻りたくないからです」
「戻らなくても、ここにいれば――」
(俺の隣にいてくれれば)
「……ここも、自分の居場所とは思えなくて。それに、神の世界に行ったら、両親に会えないかと思ってるんです」
「それは……っ」
家族に会えない辛さがどれほどのものなのか、アルベルトは知らない。
思わず強く声を出そうとして、止めた。
「――それは、本当に君の希望?」
違うと言ってくれ。
「はい、そうです」
「っ誰かに嫌がらせをされて嫌になったとか、家から言わされてるわけじゃない?」
どうか、それが理由であってほしかった。
「私がやり返してきたこと、ご存知でしょう?」
知っている。
誰よりもよく見てきた。
彼女が逞しくて、頑張り屋で。
「……うん。よく知ってるよ」
――本当は、さみしがりやなことも。
「結局、敬語もやめてくれなかったし……俺では、君の寂しさは埋められなかったかな」
「っそ、そういうことは、大事な人に言うものですよ!」
「――俺にとって、リゼルは、大切な……存在だ」
大好きで、大切で。
誰よりも愛しているのに。
「それなら、応援してくれますか? 私、きっと選ばれてみせますから。その時は祝福してください」
応援なんてしたくない。
君が隣にいない未来なんて祝福できない。
神の花嫁を目指すなんてやめてくれ。
そう言いたかった。――言えなかった。
喉まで出かかった言葉は、一つも口にできなかった。
聖騎士は、巫女の願いを踏みにじってはいけない。 彼女が幸せだと言うのなら、護るべきなのはその願いだ。
だから――。
口を開いて、閉じた。
「――それが、君の幸せ?」
「はい」
「それなら……俺には何も言う権利はないね」
「………」
「リゼル。俺は――君の……」
泣きたい。
胸が痛い。
ああどうか、全て嘘であってほしい。
「君の幸せを、一番に願ってるよ」
「っありがとう、ございます」
じゃあ、とリゼルが急ぎ足で去っていく。
結局、曖昧なことしか言えなかった。
伝えたい熱は何一つ、言えないまま。
遠ざかる背中をただ、見ていた。
「……リゼル……」
俺が、君の幸せになれたらよかったのに。
もっと早くに想いを伝えていたら、何かが変わっていただろうか。
信じられない悪夢にただ、呆然とする他なかった。
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