表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
二部最下位の泥舟サッカークラブを買い取った俺、クラブビルドシステムで世界一のメガクラブに育て上げる  作者: 園路 遥々


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/24

第6話 十五分の会見

「成瀬様、その一文は見出しになります。最悪の形で」


 有栖川真白は、赤ペンの先で会見原稿を刺した。


 社長室の机には、資金繰り表、スポンサー撤退通知、練習場の映像資料、そして俺の指紋がついた会見原稿が重なっている。


 窓の外では、神田太陽がまたライン手前で泥にまみれて止まり、藤代誠二が遠くからその動きを凝視していた。


 ピッチでは、勝ち筋が細い線になり始めている。


 だが、机の上では別の線が引かれていた。


 血のような赤い修正線だ。


「どこが問題だ」


 俺が聞くと、真白は胃の奥から絞り出すような声で読み上げた。


「『勝ってから来いと言う企業には、勝った後に戻る席が残っているとは限らない』」


 読み上げたあと、彼女は顔を上げなかった。


「スポンサー二社が消えます」


「名前は出していない」


「名前を出していなくても、後ろめたさのある相手は過剰に反応します。そして、逆上した相手から先に、違約金を盾に逃げ出します」


 若槻航が、会議室の端で頭を抱えた。


「やめてください、成瀬さん。俺が明日、どの面下げて残りのスポンサーを回ればいいんですか」


「正面の顔で行け」


「その正面を殴られるんですって。今のうちは、這いつくばる側です」


 真白は、次の行にも赤を入れる。


「こちらも駄目です」


「今度は何だ」


「『このクラブを笑った人間全員に、後悔させる』」


「本心だ」


「本心かどうかは、メディアには関係ありません。彼らが欲しいのは、燃える見出しになるかどうかです」


 真白は、修正線を二重にした。


「成瀬様。勝てば黙る相手と、勝つ前に逃げる相手は違います。これは、今にも逃げかけている後者の背中を、自分で蹴り飛ばす発言です」


 社長室に沈黙が落ちた。


 真白は俺の言葉を飾っているのではない。


 クラブを餌にされないために、余計な刃を削ぎ落としているのだ。


「では、何を言えばいい」


「まず、安い挑発を全部削ります」


「言葉が弱くなる」


「弱い言葉と、血の通った届く言葉は違います」


 真白は別の紙を差し出した。


 短いが、筆圧は強い。


『私たちは、勝つ前に信じてくださいとは言いません。


 ただし、逃げません。


 支払いからも、順位表からも、サポーターの怒りからも、スポンサーの失望からも逃げません。


 次の試合で、変わろうとしている姿勢を示します。』


 若槻が顔を上げた。


「これなら……ギリギリ、スポンサーの社長に頭を下げながら持っていけます」


 氷室圭吾が、電卓から目を離さずに言った。


「『支払いから逃げない』は、私の胃に免じて死守してください」


「事実にする」


「その一文だけなら使えます」


 白鳥千景が、契約書の束を閉じた。


「『姿勢を示します』なら安全です。勝利を保証したと取られる表現は避けてください」


「保証はしない」


「してください。勝利保証など、法務から見れば爆弾です」


 原稿を読み返す。


 弱い。


 最初はそう思った。


 だが、二度目に読むと、泥の底から這い上がる重みがあった。


 逃げない。


 今のヴァンテールには、勝つと言い切る資格はまだない。


 だが、逃げないと言う責任はある。


 三枝玲奈が、壁際から口を開いた。


 広報・メディア担当。黒いタブレットを抱え、会見場の席順表を睨んでいる。


「会見は十五分で強制終了させます」


「短いな」


「長いほど、言葉の端を切り取られます。最前列に、犬飼毅が来ます」


 若槻が露骨に嫌な顔をした。


「あの炎上屋か」


 三枝はうなずいた。


「クラブが死にかけている時だけ、お通夜に群がるハイエナみたいに元気になる人です」


「事実を聞かれるなら答える」


「事実を悪意で切り取るのが、あの人たちの仕事です」


 三枝はタブレットを机に置いた。


 過去の記事見出しが並んでいる。


『最下位クラブ、まだ懲りずに夢を見る』


『泥舟に新オーナー、現場は冷ややか』


『補強失敗の責任は誰に』


 嘘ではない。


 だが、悪意はある。


「犬飼は、おそらくこう聞きます」


 三枝は画面を叩いた。


「『サポーターは今の不甲斐ないクラブに強い怒りを抱いています。新オーナーとして、その怒りをどう受け止めますか』」


「正面から受ける」


「駄目です」


 即答だった。


「『受けて立つ』に変換されます」


 真白も赤ペンを止めた。


「ほぼ間違いなく、その形になります」


「なら、どう返す」


 三枝は、俺の目を見た。


「怒りは、受け止めるのではなく、預かる、です」


「預かる?」


「怒りを消すとは言わない。理解したとも言わない。勝手に代弁もしない。ただ、重荷として預かって、次の試合と運営の姿勢で返す。そう言ってください」


 真白が原稿の余白に書き込む。


『サポーターの怒りは、受け止めたと言えるほど軽いものではありません。預かります。次の試合と、これからの運営で返します。』


 若槻が小さく息を吐いた。


「泥臭くて、いいですね」


「使う」


 三枝が冷たい目で釘を刺した。


「原稿通りに、一言一句そのまま言ってください。絶対に足さないでください」


「足すとしたら?」


「秒で燃えます」


 真白が即答した。


 そして、原稿の一番上に大きく書いた。


『十五分。挑発しない。保証しない。逃げない。』


「この三つだけ、絶対に守ってください」


「命令か」


「お願いです」


「お願いの字ではないがな」


「命令に見える、必死のお願いです」


 若槻が噴き出しかけ、氷室の視線で口を塞いだ。


 会見室に移動すると、すでに熱気とインクの匂いがこもっていた。


 安い蛍光灯の下で、黒いカメラのレンズが、銃口のようにこちらを向いている。会見台の布は端がほつれ、クラブの困窮を隠し切れていなかった。


 最前列に、犬飼毅が座っている。


 細い目。


 軽い笑み。


 手帳は開いていない。


 録音機だけが回っていた。


 会見が始まる。


 真白が俺の斜め後ろに立つ。


 三枝は壁際でストップウォッチを見る。


 たった十五分。


 それだけの防衛線だ。


 ここで一言間違えれば、若槻のスポンサー営業が死ぬ。氷室の資金繰り表に赤が増える。片桐の戦術ボードも、藤代のスパイクも、神田の裏抜けも、全部泥に沈む。


 犬飼が、獲物を見つけたように手を挙げた。


「成瀬オーナー。サポーターは今の不甲斐ないクラブに強い怒りを抱いています。その怒りを、どう受け止めていますか」


 予想通りの毒針だった。


 俺はマイクに手を添え、真白の文字を思い出す。


 逃げない。


「受け止めた、と言えるほど軽いものではありません」


 犬飼の細い目が、わずかに動いた。


「怒りは受け止めるのではなく、預かります。次の試合と、これからの運営で、結果としてお返しします」


 シャッター音が鳴る。


 俺は原稿から目を逸らさなかった。


「勝つ前に信じてくださいとは言いません。ただ、逃げません。支払いからも、順位表からも、サポーターの怒りからも、スポンサーの失望からも逃げない」


 犬飼は笑った。


「つまり、勝てると?」


「勝とうとしている姿勢を、ピッチで示します」


「勝利の保証はしないと?」


「サッカーで勝利を保証する人間は、嘘つきか、現場の泥を知らない人間だけです」


 会見場がざわついた。


 犬飼の笑みが深くなる。


「では、成瀬さんは現場を知っていると?」


 その問いは、腹の底に来た。


 才能の壁。


 選ばれなかった最後の一枚。


 俺の右足の甲に、古い痛みが蘇る。


 だが、背後で真白の書類が小さく鳴った。


 俺は、深く息を吐いた。


「知っている、とは言いません」


 そう答えた。


「だから、片桐監督に任せます。私は、クラブが泥の中から勝つために必要な材料を揃える。ピッチの中で決めるのは、監督と選手たちです」


 壁際で、三枝が小さくうなずいた。


 十五分の会見は、予定通りに終わった。


 大きな失言はない。


 勝利宣言もない。


 だが、逃げないという言葉だけは、記者たちの録音機に刻まれた。


 会見室を出た直後、若槻のスマートフォンが震えた。


「スポンサー候補からです」


 若槻が画面を見て、目を丸くする。


「『泥舟のオーナーが逃げないと言い切った会見は見た。次の試合後、数字を見てから、十五分だけ社長が会う』。そう来ています」


 真白は表情を変えなかった。


「言葉で、最初の十五分を取りましたね」


「ああ。首の皮一枚だ」


「次は、ピッチ側の十五分です」


 その言葉で、練習場の荒い息遣いを思い出した。


 藤代と神田で作る、後半の短い勝負時間。


 言葉の削り合いで勝ち取った十五分を、今度はピッチの泥で証明しなければならない。


 その夜。


 地元ウェブ紙の記事が更新された。


 書いたのは、やはり犬飼毅。


 見出しは、こうだった。


『若き新オーナー、怒れるサポーターにまさかの宣戦布告か』


 真白は画面を読み、無言でタブレットを伏せた。


 十五分は取った。


 だが、外の炎は、まだ何一つ消えていない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ