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二部最下位の泥舟サッカークラブを買い取った俺、クラブビルドシステムで世界一のメガクラブに育て上げる  作者: 園路 遥々


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30/40

第30話 配球の天才は、俯いている

「この選手、本当に必要ですか」


 海老名修の第一声は、容赦がなかった。


 夜の分析室。


 大型モニターには、七瀬玲央の試合映像が映っている。白いユニフォームを泥で汚した細身のMF。背番号は十六。中央寄りの位置でボールを受けるが、身体はどこか小さく見えた。


 味方CBからのパスを受けた七瀬が、一瞬だけ顔を上げる。


 右足のアウトで持ち出そうとした瞬間、相手ボランチが肩をぶつけてきた。


 七瀬の身体が簡単に傾く。


 ボールが足元から離れ、相手のスパイクに引っかかった。


 奪われる。


 カウンター。


 七瀬はすぐ追いかけようとした。だが、最初の一歩が遅い。接触の衝撃が残っているのか、重心が沈んでいた。


 海老名は腕を組んだまま唸る。


「当たられると終わる。二部の中盤でこれは怖い」


 久我晴臣がタブレットを操作しながら頷いた。


「接触耐性はかなり低いです。守備時の寄せも軽い。球際に入る前に身体を逃がす癖があります」


 成瀬隼人の視界に、《クラブビルドシステム》の表示が浮かぶ。


【補強候補】


 七瀬玲央

 総合値:低

 右足パス精度:A+

 接触耐性:E

 守備強度:D-

 判断速度:B

 心理状態:自信喪失


 数字だけ見れば、危うい。


 国内プロ二部リーグの中盤は、綺麗なパスだけで生き残れる場所ではない。肩をぶつけられ、足を削られ、雨の芝で転がりながら、それでも前へ進めなければならない。


 七瀬は、その泥に弱い。


「今のヴァンテールには、球際で逃げる選手を抱える余裕はない。藤代の膝があの状態で、もう一人守れない司令塔を増やすのは危険だ」


「同感です」


 久我が短く答える。


「普通に使えば、リスクの方が大きい」


「普通に使えば、か」


 成瀬は画面を見つめた。


 映像の七瀬は、俯いていた。


 ミスのあと、味方の誰かが手を叩いて声をかけることもない。ベンチからも指示は飛ばない。七瀬は失ったボールを数秒だけ見つめ、それから視線を落として中盤へ戻っていく。


 要求されていない。


 信頼されていない。


 その事実が、彼の姿勢をさらに小さくしていた。


「次を」


 成瀬が言うと、久我が映像を切り替えた。


 別の試合。


 七瀬は右サイド寄りでボールを受けた。相手のプレスはまだ遠い。


 前方には味方FWが一枚。


 だが、そのFWは足元へ欲しがっている。手を下げ、近くへ出せと要求している。


 七瀬は一度だけ、右奥のスペースを見た。


 誰もいない場所だ。


 そこへ出せば、普通ならパスミスになる。味方のいない空間へ蹴っただけに見える。


 七瀬は、結局、近くの味方へ横パスを出した。


 受けた味方は、すぐに詰められてバックパス。


 攻撃は止まった。


 久我が映像を戻す。


「ここです」


 画面が止まる。


 七瀬が右奥のスペースへ視線を向けた瞬間。


「ここ、出す前に神田が走っていたら届きます」


 海老名の眉が動いた。


「距離があるぞ」


「七瀬の右足なら届きます。しかも、ただ強く蹴るんじゃない。落とす場所を見ています」


 久我は画面を一コマ進める。


 七瀬の軸足。


 身体の向き。


 右足の振り幅。


 蹴らなかったパスの軌道が、そこに薄く残っているように見えた。


「この時、味方は誰も走っていません。でも七瀬は、誰かが走れば届く場所を見ている」


 成瀬の脳裏に、神田太陽の走りが重なった。


 相手CBの肩の外。


 半歩待ってから、裏へ消える足。


 今のヴァンテールには、その空間へ本気で走るFWがいる。


 七瀬の視線の先に、神田がいたら。


 その右足は、届く。


 海老名はまだ渋い顔をしていた。


「見えているのは分かる。だが、出せていない。パスは蹴って初めて評価される。見えてるだけなら、スタンドの客でもできる」


「なぜ出せなかったかです」


 成瀬は言った。


 久我が次の映像を出す。


 七瀬が縦パスを狙った場面。


 味方FWが一瞬だけ走り出す。


 七瀬は右足を振る。


 だが、蹴る直前に相手MFが身体を寄せた。


 七瀬の軸がズレる。


 パスは弱くなり、相手CBにカットされた。


 直後、七瀬は両手を膝に置き、俯いた。


 チームメイトが苛立ったように手を広げている。ベンチからも厳しい声が飛ぶ。


 それから先の映像で、七瀬はほとんど冒険しなくなった。


 横パス。


 バックパス。


 安全な逃げ道。


 海老名が、少しだけ目を細めた。


「心が折れてるな」


 久我が頷く。


「はい。技術より先に、自信が死んでいます」


 成瀬の視界に、システム表示が揺れる。


【心理状態】


 自信喪失

 縦パス選択率:低下

 失敗回避傾向:強

 味方要求反応:過敏

 潜在役割:配球点


 配球点。


 成瀬はその言葉を静かに読む。


 試合を支配する王様ではない。


 相手を一人で剥がすドリブラーでもない。


 ただ、味方が走るべき場所を見つけ、そこへボールを置く選手。


 正しい走り手がいなければ、ただの臆病な横パス係に見える。


 だが、神田が走るなら。


 渡瀬がバイタルへ入り、神田が相手CBを下げるなら。


 七瀬の右足は、第三の刃になるかもしれない。


「成瀬」


 海老名の声が低くなる。


「まさか、獲る気じゃないだろうな」


「まだ獲りません」


 成瀬は即答した。


 久我が小さく息を吐く。


「調査段階、ですね」


「ああ。移籍期間、登録期限、契約条件、年俸、本人の意思、所属クラブの扱い。全部確認が必要だ。今ここで獲得を決める段階ではない」


「分かってるならいい」


 海老名は腕を組み直した。


「ただ、調べるなら早い方がいい。こういう選手は、価値が見えた瞬間に値段が変わる」


「まず、現地で見る。映像では、彼が俯いた理由までは分からない」


 成瀬の言葉に、久我がメモを取った。


「現地視察ですね」


「白鳥に契約状況を確認させる。若槻にはスポンサー資料にはまだ出させない。氷室には概算だけ見てもらう」


「氷室が聞いたら顔をしかめるぞ」


「いつものことだ」


 その時、分析室のドアが開いた。


 片桐巧が入ってくる。手には練習メニューの紙がある。


「七瀬ですか」


「知っているのか」


「映像だけは。昔、ユース年代ではかなり評価されていました。ボールを持つ前に、味方を走らせる選手でした」


 片桐はモニターの七瀬を見た。


 画面の中の七瀬は、また右奥のスペースを見ている。


 そこには誰もいない。


「今は、誰も走ってくれない場所を見ているんですね」


「そうだ」


 成瀬は頷いた。


「そこへ走る選手なら、うちにいる」


 片桐は神田の名前を口にしなかった。


 言わなくても分かっていた。


「ただし、七瀬を入れれば全部解決するわけではありません」


「分かっている」


「彼が当たられて潰れるなら、周りが逃げ道を作らなければならない。守備で軽いなら、後ろの負担も増える。神田を走らせる代わりに、別の場所へ歪みが出ます」


 海老名が鼻を鳴らす。


「だから怖いんだよ。綺麗な右足には、だいたい汚い請求書がついてくる」


 久我が小さく笑った。


「表現は荒いですが、正しいです」


 成瀬はモニターを見つめ続けた。


 七瀬玲央。


 総合値は低い。


 接触耐性も低い。


 心理状態も悪い。


 だが、誰も走っていない空白を見ている。


 それは、ヴァンテールが今、喉から手が出るほど欲しい視線だった。


     *


 その頃。


 古びたロッカールームの隅で、七瀬玲央は一人、スパイクの紐をほどいていた。


 チームメイトの声は遠い。


 誰かが笑っている。


 誰かが次節の話をしている。


 七瀬に声をかける者はいない。


 彼はスマートフォンを開き、今日の試合映像を一瞬だけ見た。


 右奥のスペース。


 自分が見た場所。


 誰も走らなかった場所。


 画面を閉じる。


「……見えても、意味ないよな」


 小さな呟きは、誰にも届かない。


 七瀬はスパイクの紐をほどく手を止めた。


 もう一度だけ、顔を上げる。


 けれど、その視線の先には、まだ誰も走っていなかった。



------

【現在地】 ヴァンテール海浜FC

国内プロ二部リーグ:20位/20クラブ

成績:3勝8分10敗

勝点:17

得失点差:-18

状態:降格圏。藤代に頼らない攻撃構造を作る必要がある。

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