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二部最下位の泥舟サッカークラブを買い取った俺、クラブビルドシステムで世界一のメガクラブに育て上げる  作者: 園路 遥々


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28/40

第28話 背後を消されたFW・後編

「後半、お前が触らないまま、相手を壊す」


 片桐巧の言葉は、ロッカールームの空気を凍らせた。


 神田太陽は、泥のついたスパイクを見下ろしたまま動かなかった。


 ボールに触らなくてもいい。


 点を取りたいFWにとって、それは慰めではない。胸の奥をえぐる命令だった。


「太陽」


 藤代誠二が、右膝に氷嚢を当てたまま低く声を投げた。


「お前が触らねえで勝ったら、悔しいか」


「……悔しいです」


「なら、その顔で走れ。相手は、その悔しそうな顔が一番怖い」


 神田は顔を上げた。


 藤代の横では、篠宮藍が時計を見ている。


 藤代を使える時間は長くない。


 それでも、その目はまだ死んでいなかった。


「俺にボールが来なくても、勝てますか」


 神田が訊いた。


 片桐は即答した。


「勝つために、お前へボールを出さない時間を作る」


 その言葉を飲み込むように、神田は深く息を吐いた。


     *


 後半開始。


 神田はまた中央の裏へ走った。


 相手CBは、やはり追ってこない。ただ下がる。神田の俊足を警戒し、あらかじめ深く構えて走る空間を消す。


 ボールは来ない。


 一本目も、二本目も。


 だが、ヴァンテールの二列目の動きは変わっていた。


 渡瀬が、神田の走り出しより半拍早く、相手が下がって空けた中盤の空白へ顔を出し始める。


 バイタルエリア。


 前線と中盤の間に生まれる、ほんの数秒だけの隙間だ。


 後半八分。


 左サイドに逃がしたボールが、ワンタッチで中へ戻った。


 神田が中央へ走る。


 相手CB二枚が、反射的に下がる。


 その手前に、渡瀬が入った。


「そこだ!」


 片桐の声が飛ぶ。


 渡瀬は前を向いた。だが、シュートの前に相手ボランチが戻ってくる。右足を振る直前、寄せられて軸足がブレた。


 ボールは枠の上へ外れる。


 渡瀬が天を仰いだ。


 神田は、喉まで出かかった言葉を噛み殺した。


 俺に出せ。


 そう言いたかった。


 だが、言わなかった。


 そのかわり、次のプレーでまた走った。


 触れないまま。


 相手を下げるためだけに。


 後半十八分。


 相手は苛立ち始めていた。


 神田を消しているはずなのに、ヴァンテールの二列目が何度も手前へ入ってくる。CBが下がれば、その前が空く。ボランチが戻れば、サイドが空く。


 どちらかを閉じると、どこかが開く。


 その迷いが、相手の守備に少しずつ亀裂を入れていた。


 だが、得点はまだない。


 ベンチで、篠宮が時計を見た。


「藤代さん。ウォームアップは五分だけです」


「五分もくれるのか。太っ腹だねえ」


「皮肉を言う余裕があるなら、まだ出しません」


「黙るよ」


 藤代は立ち上がらず、まず膝を伸ばした。ゆっくり、慎重に。篠宮の視線が、足首から膝、股関節までを追う。


 後半二十九分。


 第四審判のボードが上がった。


 藤代誠二、投入。


 スタンドがざわつく。


 神田は中央で振り返った。


 藤代はピッチに入る直前、神田へ短く言った。


「俺を見るな。相手の最終ラインの深さを見ろ」


「はい」


「あと、悔しそうな顔はそのままでいい」


「うるさいです」


「いい返事だ」


 藤代が入った瞬間、相手の中盤が一歩寄った。


 藤代への縦パスを切る。


 その約束事は、相手の頭にも焼きついている。


 だが、藤代は前を向こうとしなかった。


 後半三十二分。


 右サイドから戻されたボールが、藤代の足元へ入る。


 相手ボランチが猛烈に寄せる。


 神田が中央の裏へ走る。


 相手CB二枚が、その脅威に引っ張られてずるずると自陣深くへ下がる。


 その瞬間、藤代は絶妙な一拍を置いた。


 神田の裏ではない。


 神田が相手を引きはがして作った、手前の空白。


 そこへ、短い縦パスを刺した。


 渡瀬が、泥を蹴って飛び込んでいた。


「撃て!」


 片桐の声が裂けた。


 渡瀬は一瞬だけ迷いかけた。


 前半の失敗が頭をよぎったのが、遠目にも分かった。


 だが、神田の咆哮がその迷いを叩き割った。


「撃てえええ!」


 渡瀬の右足が振り抜かれる。


 低い弾道のシュート。


 ボールは相手DFの股を抜け、芝を削るように滑った。


 GKが反応する。


 指先が触れる。


 それでも、ボールは止まらなかった。


 ゴール左隅のネットが揺れた。


 1-0。


 ヴァンテール海浜FC、先制。


 スタジアムが爆発した。


 渡瀬は一瞬、自分が決めたことを理解できずに立ち尽くした。次の瞬間、神田が真っ先に飛びつく。


「決めた! 決めたじゃないですか!」


「お前が叫ぶから撃ったんだよ!」


「俺、触ってないです!」


「だから空いたんだろ!」


 神田は笑っていた。


 悔しさが消えたわけではない。


 だが、自分が走った場所の後ろで、確かにゴールが生まれた。


 自分の足は、ボールに触れずとも相手の守備を壊したのだ。


 ベンチ前で、片桐は拳を握りしめた。


 成瀬隼人はスコアボードを見た。


 1-0。


 だが、勝利の匂いに酔うには早すぎる。


 北関東戦から続く消耗は、確実にヴァンテールの足を鈍らせていた。


 藤代はピッチ中央で小さく膝を曲げ、すぐに伸ばした。篠宮の視線が鋭くなる。


「藤代さん、残り十分です!」


 片桐が叫ぶ。


「分かってるよ!」


 藤代は答えたが、その声には明らかに余裕が減っていた。


 後半四十一分。


 ヴァンテールは逃げ切りに入った。


 神田は前に残る。相手CBを押し上げさせないための重石だ。


 だが、そこでミスが起きた。


 自陣右側。


 若手CBが縦パスを入れようとして、足元をわずかに滑らせた。


 芝は乾き切っていない。


 ボールは予定より弱く、内側へずれた。


 相手MFがその一瞬を逃さなかった。


 奪われる。


 スタンドが悲鳴を上げた。


「戻れ!」


 海老名修の怒声。


 奪った相手は、迷わず前へ運ぶ。ヴァンテールの最終ラインは、神田を前に残した分、人数が足りない。


 中央へスルーパス。


 相手FWが抜け出す。


 オフサイドではない。


 GKが飛び出す。


 相手FWは冷静だった。右足で軽く浮かせる。


 ボールはGKの肩を越え、無情にネットへ落ちた。


 1-1。


 同点。


 空気が、一瞬で重く沈んだ。


 若手CBは膝に手をつき、顔を上げられなかった。


「俺の……ミスです」


 その声は誰にも届かない。


 神田は前線で立ち尽くした。


 自分が触らなくてもゴールは生まれた。


 だが、勝てなかった。


 触らないまま相手を壊すことはできた。


 それでも、試合を終わらせる力はまだ足りなかった。


 アディショナルタイムは四分。


 藤代はもう限界だった。


 片桐は交代カードを切る。藤代が下がり、守備的MFが入る。


 藤代はピッチを出る時、神田の方を見た。


「太陽!」


 神田が振り返る。


「今日の一本は、お前の足だ!」


 神田は何も言えなかった。


 ただ、拳を握った。


 最後の数分、ヴァンテールは押し返そうとした。


 神田は走った。


 渡瀬も走った。


 だが、相手ももう二度は同じ場所を空けない。


 主審の笛が鳴る。


 試合終了。


 1-1。


 ヴァンテール海浜FC、引き分け。


 累計成績は、三勝八分十敗。


 勝点十七。


 得失点差は、マイナス十八のまま。


 勝ち切れなかった。


 だが、何も得られなかったわけではない。


     *


 試合後の分析室。


 久我晴臣が映像を止めた。


 後半三十二分。


 神田が走り、相手CB二枚が下がり、渡瀬の前に空白が生まれた瞬間。


「ここです」


 久我の指が、画面の中央を示す。


 神田は画面を見つめたまま息を止めた。


 久我は映像を一コマ戻す。


 神田が、まだボールに触れていない。


 ただ走り出しただけの瞬間。


 それだけで相手CB二枚の重心が後ろへ沈み、その手前のバイタルエリアが、ぽっかりと口を開けている。


「神田を見て下がった瞬間、相手の腹が空いています」


 久我の言葉が、静まり返った部屋に落ちる。


「神田は消されたのではありません。神田が相手を下げ、別の刃を入れるスペースを作ったんです」


 神田は、何も言わなかった。


 映像の中で、相手の強固な守備は、確かに自分の走りに引きずられていた。


 だが、久我は次の映像で、もう一度停止ボタンを押した。


 後半四十一分。


 若手CBの縦パスが奪われた瞬間。


「そして、こっちもです」


 久我の声は重かった。


「勝ち筋は見えました。でも、終盤にこの刃を握ったままどう試合を閉じるか。出口管理の精度がまだ足りません」


 画面の中で、ボールを奪った相手MFが前を向く。


 その瞬間、ヴァンテールの最終ラインは一枚足りなかった。


 成瀬は無言で画面を見つめた。


 神田のデコイから、新たな得点パターンは生まれた。


 だが、最後の十分をどう守り切るか。


 泥舟には、まだ重い宿題が残されていた。



------

【現在地】 ヴァンテール海浜FC

国内プロ二部リーグ:20位/20クラブ

成績:3勝8分10敗

勝点:17

直近結果:1-1 引き分け

得失点差:-18

状態:降格圏。勝点1を拾ったが、勝ち切れず最下位脱出はまだ遠い。

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