第20話 北関東ガーディアンズ戦・前編
最初のボールは、空から落ちてきた。
キックオフ直後。
北関東ガーディアンズのCBは、迷いなく右足を振り抜いた。
細かくつなぐ気配など、欠片もない。
ボールは高く、重く、夜の照明に照らされながらヴァンテールの最終ラインへ向かって落ちてくる。
その下で、北関東のFWが身体をねじ込んだ。
肩。
腰。
背中。
すべてを使って、ヴァンテールの若手CBを落下点から半歩だけ押し出す。
「くっ……!」
若手CBは歯を食いしばって競った。
完全には勝てない。
だが、中央には落とさない。
練習通り、外へ。
タッチライン側へ。
ボールは狙いの場所へこぼれた。
作戦通りだった。
そのはずだった。
だが、次の一歩が速すぎた。
北関東の中盤が、獣のように泥を蹴って突っ込んでくる。ヴァンテールの選手が身体を寄せるより半歩早く、相手のスパイクがボールの横に入った。
前を向かせないはずだった。
けれど、相手は前を向かなくても蹴った。
腰をひねり、爪先で強引に中央へ戻す。
そこへ、もう一枚の北関東の選手が突っ込んできた。
開始一分も経っていない。
なのに、ヴァンテールのペナルティエリア前には、もう泥と汗の匂いが満ちていた。
「弾け!」
片桐巧の声がベンチから飛ぶ。
ヴァンテールのCBが、身体ごとシュートコースに飛び込んだ。
ボールは胸に当たり、鈍い音を立てて跳ね返る。
スタンドが呻いた。
北関東ベンチの前で、鬼瓦権蔵が腕を組んだまま、低く笑った。
「ほら見ろ。サッカーは空から落ちてくるんだよ」
その声は、ピッチの騒音の中でも妙に重く響いた。
藤代誠二はセンターサークルの少し後ろで、右膝の感覚を確かめるように一度だけ足を置き直した。
六十五分。
その数字は、試合前から全員の頭に刻まれている。
篠宮藍はベンチ脇に立ち、試合開始直後から藤代の動きを見ていた。
走っていない。
だが、踏ん張っている。
右足を軸に、身体の向きを作っている。
それだけで、藤代の膝には見えない砂袋が積まれていく。
成瀬隼人は、ベンチの端でピッチを見つめていた。
狙い通り、中央では競らせていない。
蹴らせる方向も、かなり限定できている。
セカンドボールも、完全に北関東の好きな場所へは落としていない。
だが、問題はその先だった。
北関東は、こちらが外へ逃がしても嫌がらない。
外で拾えないなら、外で潰す。
前を向けないなら、横へ叩く。
横へ叩けないなら、身体ごとぶつかって、次のこぼれ球を作る。
泥臭さの量が違う。
こちらが一つの罠を張れば、相手はその罠ごと踏み抜いてくる。
「太陽、戻りすぎるな!」
片桐の声が飛ぶ。
神田太陽は前線で歯を食いしばった。
戻りたい。
助けたい。
だが、自分が下がりすぎれば、北関東のCBが全員押し上げてくる。
藤代が六十五分で下がる以上、神田の背中は最後まで相手を縛る鎖でなければならない。
北関東のGKが、また大きく蹴った。
今度は、狙いより少し中央寄りに落ちる。
若手CBが競る。
北関東FWの肘が、見えない角度で脇腹に入った。
「ぐっ……!」
笛は鳴らない。
危険な肘打ちではない。
だが、確実に呼吸を削る接触だった。
ボールが真上に跳ねる。
その瞬間、北関東の二列目が、迷わず落下点へ身体を投げ出した。
ヴァンテールのボランチも飛び込む。
肩と肩がぶつかり、芝が抉れ、ボールがまた転がる。
「藤代さん!」
久我晴臣がベンチ後方から叫んだ。
「次、近いです!」
藤代は顔を上げなかった。
見る前に、身体の向きを作る。
右足をほんの少し外へ逃がし、半身になる。
ボールが来る。
練習なら、ここで神田の背後へ流せた。
だが、本番の北関東は一歩が違った。
藤代の足元へボールが届くより早く、北関東のMFが身体を寄せてくる。
肩から突っ込む。
藤代は受けた瞬間に、右足一本で踏ん張った。
膝が、わずかに沈む。
「藤代!」
篠宮の声が鋭く飛んだ。
藤代は歯を食いしばり、倒れなかった。
だが、パスは出せない。
仕方なく横へ逃がす。
ボールは味方に届いたが、攻撃の刃は完全に丸められた。
神田は裏へ走り出しかけて、急停止した。
行き場のない悔しさが、胸の中で暴れた。
「まだだ、太陽!」
藤代の声が飛ぶ。
「俺を見るな! 相手CBの肩を見ろ!」
「はい!」
神田はもう一度、北関東CBの立ち位置を見た。
深い。
こちらを警戒している。
だが、怖がってはいない。
むしろ、いつでも潰してやるという顔で待っている。
前半十一分。
北関東は、また空へ蹴った。
ヴァンテールは外へ逃がす。
北関東は拾う。
ヴァンテールは前を向かせない。
北関東は身体で押し込む。
同じような場面が、何度も、何度も続いた。
スタンドの声が少しずつ荒くなる。
「耐えろ!」
「そこで負けるな!」
「押し返せ!」
だが、ピッチの上の選手たちには分かっていた。
これは、ただ耐えればいい時間ではない。
罠に誘導している。
だが、その罠の縁で、自分たちの足も削れている。
前半十六分。
北関東のロングボールが、また右奥へ落ちた。
若手CBが身体を当てる。
今度はうまく外へ流した。
セカンドボールが、藤代の近くへ転がる。
「来た!」
片桐が叫ぶ。
藤代は半身を作っていた。
神田も、相手CBの肩の外へ走る準備ができていた。
だが、北関東のMFが一瞬早い。
藤代の前に足を滑り込ませ、ボールをつつく。
そのまま奪うのではない。
ボールを殺す。
泥の中へ叩き落とす。
転がったボールを、別の北関東の選手が拾った。
そこから、迷いなくクロス。
ヴァンテールのゴール前へ、高く、嫌な弾道が入る。
屈強なFWが飛ぶ。
CBも飛ぶ。
GKも出る。
三人の身体が空中でぶつかり合った。
ボールはヴァンテールのCBの頭にかすり、ゴールラインの外へ逃げた。
一瞬、スタジアムが静まる。
主審が腕を上げた。
コーナーキック。
北関東ガーディアンズのCK。
ヴァンテールの選手たちは、息を荒げながら自陣ゴール前へ戻っていく。
藤代は遠くからそれを見ていた。
膝に手を置きたい衝動を、意地だけで押し殺している。
神田も戻りかけて、片桐の声で足を止めた。
「太陽、残れ! お前は前だ!」
神田は悔しそうに振り返り、ハーフウェーライン付近で止まった。
北関東の選手たちが、次々とゴール前へ集まってくる。
大きい。
厚い。
重い。
その全員が、まるで落ちてくる岩を待つように、ペナルティエリア内で身体をぶつけ合っている。
鬼瓦権蔵はベンチ前で、腕を組んだまま動かない。
ただ、低く呟いた。
「さあ、もう一回だ。空から落としてやれ」
コーナーフラッグの横で、北関東のキッカーが助走を取る。
ヴァンテールのゴール前に、息苦しいほどの肉の壁ができていた。
その中心で、若手CBが歯を食いしばる。
ボールが蹴られた。
高く、重く、逃げ場のない弾道が落ちてくる。
若手CBは一歩目を踏んだ。
その背中に、北関東のFWの影が重なった。
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【現在地】 ヴァンテール海浜FC
国内プロ二部リーグ:20位/20クラブ
成績:2勝7分10敗
勝点:13
状態:降格圏。勝てる形は増えたが、まだ順位表は動かない。




