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二部最下位の泥舟サッカークラブを買い取った俺、クラブビルドシステムで世界一のメガクラブに育て上げる  作者: 園路 遥々


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14/24

第14話 商店街のシャッター

 アウェー帰りの深夜バスは、前節の勝利の夜とは違い、通夜のように静まり返っていた。


 試合結果は、1-1。


 負けはしなかった。


 だが、勝ち切れなかった。


 累計成績は二勝六分十敗、勝点十二。順位表の一番下から、泥にまみれた足はまだ抜け出していない。


 相手は、神田太陽の裏抜けを最初から消しにきていた。


 CBを一枚深く残し、ラインを上げない。神田が走れば、先に身体を入れて進路を塞ぐ。神田は何度も走った。肺から血の味がするまで走った。だが、前節のような空間は残されていなかった。


 その分、前線と中盤の間には穴が開いた。


 けれど、今のヴァンテールはそこを使い切れない。縦パスは引っかかり、サイドの判断は一拍遅れ、藤代誠二のパスも、受け手の身体の向きと噛み合わない。


 後半、こぼれ球から先制を許した。


 終了間際、神田が相手CBを引っ張り続けた背後から、右サイドの折り返しを二列目が泥臭く押し込んだ。


 追いついた。


 ただ、それだけの勝点一だった。


 バスの窓に、神田の横顔が映っている。泥のついたスパイクを両手で抱えたまま、一睡もしていない。


 神田太陽だけでは、もう勝ち切れない。


 それは絶望ではない。


 このクラブが次に進むための、冷徹な現実だった。


 翌日。


 海浜中央商店街のシャッターは、昼前だというのに半分ほど下りていた。


 雨上がりのアーケードには、濡れた段ボールと古い揚げ油の匂いが沈んでいる。


 若槻航は、汗ばんだシャツのネクタイを締め直した。


「美月さん。ぶっちゃけ今日、俺は何回怒られる予定ですかね」


 隣を歩く笹原美月は、地元資料を詰めたファイルを胸に抱えたまま答えた。


「予定ではありません。死ぬ気で覚悟してください」


「せめて数で教えてほしかったんですが」


「数え始めると、途中で営業スマイルが引き攣ります」


「これでもプロの営業ですよ。顔くらい保ちます」


「ヘラヘラ笑いすぎると、今回は火に油です」


「相変わらず鋭く刺しますね」


「刺していません。致命傷になる前に止めています」


 若槻は苦笑いし、一軒目の前で足を止めた。


 古い赤文字の看板に、『海浜精肉店』とある。ガラスケースには、揚げる前の白いコロッケと、串に刺された豚肉が並んでいた。


 頑固そうな店主は、新聞を畳みもせず顔を上げる。


「……また来たのか、お前ら」


 最初の一言から温度が低い。


 若槻は営業の笑顔を封じ、深く頭を下げた。


「お時間をいただき、本当にありがとうございます」


「協力するとは一言も言ってねえぞ」


「はい。今日は虫のいいお願いではなく、うちの過去の不手際の説明と、これからの契約条件を持ってきました」


「説明なら聞き飽きた。地域密着だの、改革だの」


 店主は、油の染みたカウンターに新聞を叩きつけた。隅には、昨日の1-1の記事が小さく載っている。


「で、昨日は勝ったのかよ」


 若槻の喉が動いた。


「……引き分けました」


「だろ」


 店主は鼻で笑った。


「勝った翌日なら、うちの重いシャッターも少しは軽かったかもしれねえのにな」


「おっしゃる通りです。勝てていません」


「勝てない泥舟の看板出して、うちに何が残る。ただのボランティアじゃねえんだよ」


 店の奥で、油が小さく跳ねた。


 笹原が、ファイルから一枚の写真を差し出す。


 雨のアウェースタジアム。試合終了直後、泥まみれのユニフォームで膝に手をつき、今にも倒れそうな神田太陽の写真だった。背後のスコアボードは1-1。アウェー席では、十数人のサポーターが拍手している。


 店主は、その写真を睨んだ。


「……この小僧、点取ったのか」


「取っていません」


「じゃあ、なんなんだよこれは」


「最後まで走りました。でも、昨日は完全に対策されました。今のうちの実力では、この子一人に頼るだけじゃ勝ち切れなかったんです」


 若槻が、次の写真を並べた。


 同点ゴールの直前、神田が二人のCBを引き連れて中央へ走り、右サイドの選手が空いた場所へ抜け出す瞬間だ。


「だから、次はこの空いた場所を使える選手を増やさないといけません。神田の名前を売りに来たわけじゃありません。この街の肉を食って、チーム全員でもう一歩走りたいんです」


「それで、うちに肉をタダで寄こせって話か」


「違います」


 若槻の声が低くなった。


「選手寮の食事を、正式に地元から仕入れたいんです。無償提供ではなく、クラブの予算で買います。ビジネスとして、買わせてください」


「きれいな言い方だな」


 店主の目に、怒りが戻った。


「昔も似たような話があった。試合の日に、うちの串を出した。チームはボロ負け。客は来ない。串は大量に売れ残った。担当は次の週から電話一本よこさなかった」


 笹原の指が、ファイルの端を白くなるほど押さえる。


「売れ残った段ボールを、雨の中で誰が片づけたと思う? うちの女房だよ。あとで届いたのは、印刷された礼状一枚だ。お前らの地域密着なんて、その程度の搾取だろ」


 笹原は、直角になるほど深く頭を下げた。


「その時の担当は退職しています。ですが、私も当時、この商店街の担当でした。止められませんでした。本当に申し訳ありません」


「覚えてたのか」


「忘れたら、二度とこの街の土は踏めません」


「だったら、なおさら来るなよ」


「来なければ、あの最悪なクラブと同じままで終わります」


 笹原の声は震えていた。


 だが、引かなかった。


「今日は、勝ったから味方してくださいと言いに来たのではありません。昨日は引き分けました。まだ弱いです。神田くんだけでは勝てませんでした」


 若槻も横に並び、頭を下げた。


「だから、選手がもう一歩走るための食事を、地元から適正価格で買わせてください。スタジアムに来る理由を、裏切られた怒り以外に、もう一度だけ作らせてください」


「……在庫の赤字を、店に押しつけねえんだな?」


「絶対に押しつけません」


 若槻は、氷室と白鳥が徹夜で確認した申込書を出した。


「次のホームゲームで、商店街の屋台枠を正式に作ります。まずはそこに、海浜精肉店さんの串を出していただきたいんです」


 出店条件。クラブ負担金。販売場所。搬入時間。雨天時の補償。売れ残り時の相談窓口。


 細かい数字と、フロントの退路を断つ文言が並んでいる。


「売れ残りのリスクを店に押しつけません。すべて書面で保証します。窓口は笹原です。もし私が逃げても、笹原が私の首を掴んで逃がしません」


「逃げる前提かよ」


「逃げません。だから、逃げられない紙を持ってきました」


 店主は、申込書を睨んだ。


 すぐには受け取らない。


「後から、苦しいからって値切りに来たら叩き出すからな」


「値切りません。買うなら正規の価格で買います。うちの財務の氷室が、一円単位の領収書まで鬼の目で確認しますから」


「誰だ、そりゃ」


「うちで一番、血も涙もない怖い男です」


 若槻が真顔で言うと、店主は一瞬呆れ、それから鼻で笑った。


「……ケチな泥棒より、怖い奴が金を見てる方が少しはマシか」


 カウンターの下から、油染みのついた黒いボールペンが放り出された。


「置いてけ」


 若槻が顔を上げる。


「申込書、受け取っていただけますか」


「読むだけだぞ」


「ありがとうございます!」


「礼を言うのは百回勝ってからにしろ。あと、次に来る時は、引き分けじゃなくきっちり勝ってから来い」


 若槻は、今日一番深く頭を下げた。


「次は、必ず勝って肉を買いに来ます」


「軽く言うな、青二才」


「軽くは、言っていません」


 店の外へ出ると、若槻は肺の空気をすべて吐き出した。


「申込書、まずは一枚……!」


「まだ、たったの一枚です」


「一枚ですよ、美月さん。昨日まで完全にゼロだったシャッターが、一枚こじ開いた」


 笹原は、アーケードの先を見つめた。


 半分下りたシャッターが、まだ何十軒も並んでいる。


「ここからです。あの過去を怒っている店は、あそこだけじゃありません」


「分かってます」


 若槻は、少し曲がったネクタイを直した。


 目の奥に、営業の火が灯っていた。


「頭なんていくらでも下げますよ。このクラブが、神田たちが生き残るためなら、何百回でも」


「次の店では、最初から絶対に笑わないでください」


「そこまで表情指定します?」


「します。相手はまだ、うちの試合結果で笑う気分じゃありません」


「了解。行きましょう」


 二人は、次の冷たいシャッターへ歩き出した。


 アーケードの奥で、古い衣料品店のブラインドが、風もないのに少しだけ揺れた。


 暗い店内から、誰かがじっと二人の背中を見つめている。


 完全に閉じきったわけではない。


 だが、歓迎して開いたとも、まだ言えない。


 その頑なな隙間へ、ヴァンテールの未来を賭けた申込書が、いま確かに向かっていた。

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