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二部最下位の泥舟サッカークラブを買い取った俺、クラブビルドシステムで世界一のメガクラブに育て上げる  作者: 園路 遥々


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第12話 最初の勝点三

 後半二十四分。


 右サイドからの低いクロスが相手DFに弾かれ、ゴールラインを割った。


 コーナーキック。


 得点にはならない。


 それでも、ゴール裏の拍手はすぐには止まらなかった。


 神田太陽は、ペナルティエリアの中で肺を焦がしながら息を整えていた。


 自分にボールは来なかった。


 それでも、相手CBは恐怖の顔で自分についてきた。だからサイドが空いた。その冷たい戦術の事実が、胸の奥で熱く脈打っている。


「太陽!」


 エリア外から、藤代誠二の声が飛ぶ。


「中で地蔵みたいに待つな。削り殺されるぞ、動け!」


「はい!」


「点を取りたいガキの顔をするな。敵をハメて点を取らせる、最悪の顔をしろ!」


「そんな顔、分かりません!」


「じゃあ走れ! 顔の作り方はあとで教えてやる!」


 神田は、思わず笑いそうになった。


 すぐに相手CBの肩を見る。まだこちらの脚を警戒し、重心を後ろに引いている。


 コーナーキック。


 ヴァンテールは直接ゴール前へ入れなかった。ショートで一度後ろへ戻す。


 スタンドから短い不満が漏れる。


「おい、入れろよ!」


「逃げるな!」


 だが、片桐巧はベンチ前で動かなかった。


「焦るな」


 拳を握りしめ、低く呟く。


「もう一度、深く作れ。俺たちの形を」


 戻されたボールが藤代の足元へ入る。


 藤代は動かない。右足の裏でボールを止め、寄せてくる相手ボランチをぎりぎりまで引きつける。


 その瞬間、神田が中央からニアへ走った。


 オフサイドにならないぎりぎりの位置から、相手CBの視界を横切る。


 相手CBが弾かれたようについてくる。


 神田はさらに角度を変えた。


 ゴールへ向かう走りではない。


 敵のDFラインを奈落へ連れていくための、最悪の囮の走りだ。


 悔しい。


 今すぐ自分でぶち込みたい。


 だが、走った先にボールが来ないことを、今の神田は分かっていた。


 藤代の右の軸足が、ぐっと外を向く。


 パスは神田を無視し、右サイドの裏へ、さっきより一拍早く転がった。


 相手SBが振り返るより早く、ヴァンテールの右サイドが泥を蹴って追いつく。


 神田はなおもニアへ突っ込む。


 相手CBが神田の背中に引きずられ、もう一枚のDFも完全に目を奪われた。


 その背後。


 ペナルティスポットの少し後ろ。


 完全な空白へ、二列目の選手が遅れて入ってきた。


「戻せ!」


 藤代の怒声が響く。


 右サイドの選手は、ゴール前へ強く蹴らなかった。


 マイナスへの折り返し。


 ボールは削れた芝の上を低く滑る。


 飛び込んだ選手の右足に、吸い付くように合った。


 シュート。


 乾いた、短い破裂音。


 ボールは相手GKの指先を抜け、ゴール左隅のネットを揺さぶった。


 一瞬、世界から音が消えた。


 副審の旗は上がっていない。


 主審の笛は、センターサークルを指している。


 ゴール。


 ヴァンテール海浜FC、先制。


 その瞬間、ゴール裏が爆発した。


 神田は得点者ではなかった。


 それでも、誰よりも先に叫んだ。


「っしゃあああああ!」


 得点した選手が走ってくる。神田はその胸を両手で叩いた。


「ナイスです! ナイスすぎます!」


「お前がディフェンスを全部連れてったんだろ!」


「俺、触ってないです!」


「だからそこが空いたんだよ!」


 泥まみれの神田の頭と肩を、仲間の腕が叩く。


 神田は笑っていた。


 自分で決めたかった悔しさは消えていない。胸の奥で、まだ獣のように暴れている。


 だが、それより大きな快感があった。


 自分が走った軌跡の後ろに、ゴールが生まれた。


 片桐はベンチ前で、爪が食い込むほど拳を握っていた。声は出さない。ただ、その手だけが震えている。


 成瀬隼人は、スコアボードを見上げた。


 1-0。


 ただの一点。


 だが、この一点は、神田の足と、藤代の目と、片桐の我慢が作った、今までのヴァンテールにはなかった一点だった。


 視界の端で、淡い表示が明滅する。


【クラブビルドシステム】


■ 戦術連動:成立

■ 神田太陽:囮走行による守備ライン牽引

■ 藤代誠二:右サイド裏への展開成功

■ サポーター熱量:急上昇中


 成瀬は、すぐに表示を閉じた。


 今は数字を見る時間ではない。


 ここからが、勝点三という血の対価を守る時間だ。


 後半三十一分。


 相手はなりふり構わず前へ出てきた。CBまで中盤へ押し上げ、ロングボールを放り込んでくる。


 ヴァンテールは自陣に押し込まれた。


 クリアしても、すぐに拾われる。


 藤代が膝に手を置く時間が増えた。


 篠宮藍がベンチ脇で片桐へ短く告げる。


「もう限界です」


 片桐が叫ぶ。


「藤代さん、あと五分です!」


「三分にしろ……膝が文句を言ってやがる」


「分かりました」


「そこであっさり分かるなよ。少しは根性見せろって止めろ」


「止めます。きっちり三分後に」


 藤代は苦々しく笑った。


「本当に、人使いが荒くなったな、監督」


 後半三十四分。


 藤代が下がった。


 守備的MFが、泥をかぶるために入る。


 交代ボードを見た神田が、息を荒げながら駆け寄った。


「ありがとうございました!」


「礼は勝ってから言え、バカ野郎」


「勝ちます!」


「言ったな」


 藤代は神田の胸のエンブレムを小突いた。


「なら最後まで背中で勝て。点を取った奴より、相手を走らせたお前の仕事は、まだ一ミリも終わってねえぞ」


「はい!」


 相手の猛攻はさらに激しくなった。


 守備に戻りたい気持ちで、神田の身体が引き戻されそうになる。


 だが、片桐の声が飛ぶ。


「神田、戻りすぎるな! 前に残れ!」


 神田は強引に足を止めた。


 前に残るのも仕事だ。


 相手全員を前へ行かせないための、最前線の重石。


 後半四十一分。


 相手が前がかりになった瞬間、ヴァンテールが大きくクリアを蹴り上げる。


 神田が走る。


 相手CBが慌てて戻る。


 ボールには届かない。


 それでも、相手は神田の影に怯えて戻らざるを得なかった。


 その数秒で、ヴァンテールの最終ラインがようやく息を吸った。


 ゴール裏から声が飛ぶ。


「走れ、太陽!」


「そのまま嫌がらせし続けろ!」


 神田に笑う余裕はなかった。


 肺が焼ける。腿が鉛のように重い。


 それでも前へ走った。


 アディショナルタイムは四分。


 表示された瞬間、スタンドが呻いた。


 あまりにも長い四分間。


 相手のコーナーキック。


 ゴール前に敵味方の身体が密集する。


 ボールが蹴られた。


 ファーサイドで相手が頭で折り返す。


 混戦。


 誰かの足に当たり、ボールが浮いた。


 ヴァンテールのCBが身体ごと飛び込む。胸で当て、執念で外へ弾き出した。


 まだ終わらない。


 相手が拾う。


 もう一度クロス。


 神田は、本能で自陣近くまで戻っていた。


「太陽、そこじゃない! 前だ!」


 片桐の声が飛ぶ。


 神田は一歩戻りすぎた場所で、こぼれ球を拾った。


 顔を上げる。


 前には誰もいない。


 走るしかない。


 前へ大きく蹴り、自分の身体を放り出すように追う。


 相手CBが必死に戻る。


 神田の足はもう動かない。追いつけない。


 だが、時計の針は進んだ。


 ボールはタッチラインを割る。


 主審が時計を見る。


 笛が鳴った。


 ピー、ピ、ピーッ。


 試合終了。


 1-0。


 ヴァンテール海浜FC、勝利。


 成瀬就任後、初めての勝点三。


 スタジアムが、地鳴りのような歓声で爆発した。


 空席の隣にいた二人の男が、狂ったように手を叩いている。


 真ん中の席は、最後まで空いたままだった。


 だが、その空席の手すりには、いつの間にか、青緑の汚れたタオルマフラーが固く結びつけられていた。


 神田はピッチに崩れ落ち、芝を叩いた。


 泣いてはいない。


 ただ、呼吸が乱れて立ち上がれない。


 得点者が彼の髪をぐしゃぐしゃに掴む。


「お前が空けたんだ、太陽!」


 神田は首を横に振る。


「決めたのは、あんたです……!」


「うるせえ。お前が空けなきゃ全員死んでた!」


 藤代はベンチでそれを聞いていた。膝に分厚い氷嚢を当て、痛みに耐えながら、口元だけで笑う。


「遅いんだよ、たった一つの初勝利がよ……」


 片桐は、戦術ボードを胸に抱えたまま、ピッチを見つめていた。


 誰かに肩を叩かれても、反応しない。


 ようやく、肺の底から小さく息を吐いた。


「勝った……」


 ロッカールームは沸騰していた。


 神田は何度も頭を叩かれ、得点者は水を浴びせられ、藤代は氷嚢を守りながら怒鳴った。


「俺に水をかけるな! 膝の細胞が死んでんだよ!」


「もう死んでるなら冷やしても一緒でしょう!」


「バカ言え! これは計算された精密な冷却だ!」


 笑い声が弾ける。


 勝ったから笑える。


 その単純で偉大な事実が、今のヴァンテールには涙が出るほど新鮮だった。


 成瀬はロッカーの入口の影で、その狂乱を見ていた。


 勝点八だった数字は、十一になる。


 累計成績は、二勝五分十敗。


 まだ最下位。


 まだ、地獄の底から何も終わってはいない。


 その時、氷室圭吾がロッカールームの入口に現れた。


 歓声の中で、彼だけがいつも通りの無表情だった。


 手には、不気味に分厚い茶色い封筒。


「おめでとうございます、オーナー」


「……ありがとうございます」


「勝点は確かに増えました。お見事です」


 氷室は、その封筒を成瀬の胸元へ差し出した。


「では、次を始めましょう。請求書です」


 ロッカーを揺らす歓声の中で、その茶色い封筒だけが、やけに重く見えた。

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